競馬界のレジェンド・武豊に初めてのGI勝利をもたらした馬、スーパークリーク
2019年12月30日 更新

競馬界のレジェンド・武豊に初めてのGI勝利をもたらした馬、スーパークリーク

通算勝利数は4100を超え、GI勝利も地方・海外含め100勝以上挙げている競馬界の生ける伝説・武豊。そんな彼に初めてのGI勝利をもたらした馬がスーパークリークです。天才・武豊が初めて惚れ込み、誰にも渡したくないとまで言った馬。今回は1980年代後半に巻き起こった第二次競馬ブームを牽引した馬・スーパークリークをご紹介します。

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第二次競馬ブーム

時は1980年代後半、このとき巻き起こった第二次競馬ブームを牽引したのが今回ご紹介するスーパークリークイナリワン。そして競馬を知らなくてもこの馬の名前は知っているというくらいのスーパーアイドルホース・オグリキャップ。まさにこの競馬ブーム最大の立役者です。この3頭は「平成三強」と呼ばれ、この時代の競馬界を牽引しました。
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素質を高く評価されるもセリでは買い手がつかず

そんな平成三強と呼ばれた馬の1頭であるスーパークリークですが、幼い頃から左前脚が外向しており当歳の夏に出されたセリ市では買い手がつきませんでした。翌年の夏のセリ市でも買い手はつかず、スーパークリークの素質を高く評価していた調教師の伊藤修司が馬主の木倉誠に話をもちかけ、秋のセリ市で何とか落札されたのです。

3歳夏のデビューを目指していましたが、調子を崩しデビューは12月の阪神開催までずれ込みます。そして迎えたデビュー戦は12月5日の阪神競馬場・芝2000m。鞍上に田原成貴を迎えたスーパークリークは単勝5.3倍の4番人気に支持されますが、レースでは最後の直線で終始内にささりっぱなし。それでも半馬身差の2着に来ます。中2週で臨んだ2戦目も阪神の芝2000m。単勝2.0倍の圧倒的1番人気に支持されたスーパークリークは見事人気に応えて快勝。レース後鞍上の田原成貴は「ひょっとするとこの馬は大変な大物かもしれない」と話したといいます。

相棒・武豊との出会い、そして骨折

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年が明けて4歳になったスーパークリークは、連闘で福寿草特別に挑みます。単勝2.9倍の1番人気でレースを迎えますが4着に敗れたスーパークリーク。1ヵ月後の京都でいよいよ重賞に挑戦することに。選ばれたレースは京都・芝2000mのG3、きさらぎ賞でした。単勝4番人気で迎えたレースでしたが、惜しくも3着。勝ち切れないレースが続きます。

5戦目のレースとして選ばれたのは3月の阪神、芝2200mのオープン特別すみれ賞。スーパークリークはここで運命的な出会いを果たします。鞍上にデビュー2年目、若干19歳の武豊を迎えることになったのです。デビューしたその年にいきなり69勝を挙げ、天才と呼ばれた男・武豊。2年目を迎えたこの年もスーパークリークが3着に敗れたきさらぎ賞でマイネルフリッセに騎乗し見事重賞勝利を手にしており、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの若武者でした。

そのすみれ賞は3番人気で迎えたレースでしたが、見事優勝。2勝目を挙げました。このレース以降、引退するまでのすべてのレースでスーパークリークの手綱は武豊が握ることになります。相棒・武豊の誕生です。しかしここから日本ダービー制覇を目指し、前哨戦の青葉賞に出走予定だったスーパークリークは調教で左前脚を骨折。日本ダービー制覇の夢は幻となってしまいます。

どうなる、菊花賞出走!?

幸い左前脚の骨折が軽症だったため、半年の休養で済んだスーパークリーク。武豊と共に菊花賞制覇を目指して神戸新聞杯に出走します。レース当日は単勝4番人気ながら3着に入り復調をアピールしますが、賞金を上積みすることはかなわず、トライアルレースの京都新聞杯への出走を余儀なくされます。

迎えた京都新聞杯でも単勝4番人気にとどまったスーパークリーク。レースでは他の騎手が振るった鞭が顔に当たったり、直線で行き場を失うなどのアクシデントが重なり6着に敗れてしまいます。ここでもまた春に見せたもどかしいレースが続き、菊花賞出走が厳しいものとなる状況に追い込まれてしまいました。

それでも陣営は出走できると信じて菊花賞に登録します。ところが登録した馬の数はなんと36頭。スーパークリークは賞金獲得順で19番目にあたり、回避馬が出ない限り出走は不可能という状況でした。それでも相棒の武豊は、他に騎乗可能な馬が3頭もいたにもかかわらず、「スーパークリークがだめなら菊花賞に参加できなくても仕方ない」とスーパークリーク騎乗の意思を貫いたのです。

その話を聞いたマイネル軍団の総帥・岡田繁幸は、自身が運営するクラブの所有馬であるマイネルフリッセの出走辞退を表明します。岡田繁幸はスーパークリークの血統配合を考案した人物だったのです。これによりスーパークリークは菊花賞への出走が可能となりました。

素質開花・菊花賞制覇で武豊GI初勝利!

第49回(昭和63年)菊花賞【スーパークリーク】

何とか菊花賞へのゲートインを果たしたスーパークリーク。当日の人気は単勝8.5倍の3番人気。1番人気は皐月賞馬でトライアルレースの京都新聞杯も制したヤエノムテキで、単勝2.1倍の圧倒的支持を受けていました。レースは4コーナーを回って早々と先頭に立ったスーパークリークが後続を5馬身突き放して圧勝。遂にGI制覇を成し遂げます。

このレースで鞍上の武豊は史上最年少・19歳8カ月でのクラシック制覇。そして父である武邦彦との菊花賞親子制覇という偉業も達成します。競馬界のレジェンド・武豊の伝説はまさにここから始まったのです。そんな武豊はスーパークリークについて「僕が初めて惚れ込んだ馬。僕の期待に応えてくれた大事な馬。誰にも渡したくない」と語っていました。また、自身のキャリアを振り返ったときに「あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのGIに乗れなかったと思う。本当に強い馬だった。ある意味僕の原点かな。この馬と一緒に全国区になった」とも語っています。

有馬記念では失格処分に

菊花賞制覇後、スーパークリークは有馬記念に出走します。オグリキャップやタマモクロス、サッカーボーイなどそうそうたるメンバーが揃ったこのレースでスーパークリークは単勝7.4倍の4番人気。レースではオグリキャップ、タマモクロスに次ぐ3位入線を果たしますが、最後の直線でメジロデュレンの進路を妨害したとして失格処分を受けてしまいます。

5歳から6歳にかけて本格化

1989'天皇賞(秋) スーパークリーク

年が明けて5歳になったスーパークリークは後脚に筋肉痛を発症し、それがなかなか回復せず、春のシーズンを棒に振ることに。秋は10月の京都大賞典からの復帰となります。その京都大賞典は、単勝1.4倍の圧倒的支持に応えて快勝。しかもコースレコードのおまけつき。続いて挑んだ天皇賞(秋)では、同期のスーパーホース・オグリキャップの猛追をクビ差凌いでGI2勝目を飾り、スーパークリークは充実の秋を迎えようとしていました。

しかし単勝1番人気で臨んだジャパンカップはホーリックスの世界レコードという大駆けの前に4着に敗れてしまったスーパークリーク。暮れの大一番、有馬記念では直線で先頭に立つもゴール直前でイナリワンにハナ差交わされ2着に終わります。またも勝ち切れない面が顔を覗かせたかと思いきや、6歳を迎えて初戦の産経大阪杯を快勝。続く天皇賞(春)も単勝1.5倍という圧倒的1番人気の支持に応え、有馬記念でハナ差敗れたイナリワンの追撃を半馬身差凌いで雪辱を果たします。この勝利で史上初の天皇賞秋春連覇を達成したスーパークリークは完全に本格化のときを迎えたのでした。

次走に宝塚記念を予定していたスーパークリークでしたが、またも筋肉痛を発症。宝塚記念の出走回避を余儀なくされます。それと同時に宝塚記念の後に予定されていた凱旋門賞遠征プランも白紙となってしまいました。

第101回天皇賞(春) スーパークリーク 武豊

引退、種牡馬入りするもその血は残せず

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