90年代空前の競馬ブームを作った一人・天才ジョッキー武豊
現在も、有馬記念やに日本ダービーなどビックレースでは、10万人以上の観客を集め、人気が高い競馬。ただ、1990年代は今と比べ物にならないほどブームとなっていました。そのブームを牽引していたのが天才ジョッキーと言われている武豊だ。
競馬界のまさにサラブレッド・武豊
曽祖父の彦七は函館大経の弟子で[4]、祖父芳彦は馬主協会元会長[4]、現役騎手邦彦の三男として生まれる京都府で生まれるものの、すぐ現在の栗東市へ引っ越す。なお、四男の幸四郎もJRA所属の騎手(1999年3月~2017年2月)・調教師(2017年3月~)である。10歳の時乗馬を始める。栗東市立金勝小学校・栗東市立栗東中学校を経て1984年(昭和59年)JRA競馬学校入学。
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1988~90年ごろオグリキャップとの黄金コンビ結成
地方競馬から中央に移籍し、次々とG1を制覇した名馬・オグリキャップ。武豊とオグリキャップのコンビは、わずか2回の騎乗ながら、鮮烈に記憶に残るのが1990年の有馬記念ラストラン。それまで不振が続いていて、多くの人が勝てると思っていなかった一戦を、奇跡の走りで見事1位に輝き、多くの競馬ファンを作るとともに、競馬ブームはピークを迎えた。
オグリキャップ 有馬90ラストラン
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オグリキャップ
オグリキャップ(Oguri Cap、1985年3月27日 - 2010年7月3日)は、日本の競走馬、種牡馬である。「平成三強」の一頭。第二次競馬ブーム期に、ハイセイコーに比肩するとも評される[1]高い人気を得た。 1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。1991年、JRA顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など多数。
1987年5月に笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。その活躍と人気の高さは第二次競馬ブームを巻き起こす大きな要因のひとつとなったといわれる。競走馬を引退した後は種牡馬となったが、産駒から中央競馬の重賞優勝馬を出すことはできず、2007年に種牡馬を引退した。
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1998年スペシャルウィークとのコンビで東京ダービー初制覇
天才ジョッキーの名を欲しいままにしていて、競馬ブームを牽引していた武豊。しかし、競馬の華である東京ダービーはなかなか勝てなかったものの、ついに1998年スペシャルウィークとのコンビでダービー制覇し、ついに無敵の称号を得た。
スペシャルウィーク 1998年 日本ダービー 武豊
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スペシャルウィーク
スペシャルウィーク(英:Special Week)は、日本の競走馬、種牡馬である。主な勝ち鞍は1998年の東京優駿、1999年の天皇賞 (春) 、天皇賞 (秋) 、ジャパンカップ。テイエムオペラオーに記録を更新されるまで、当時の日本最高賞金獲得馬であった。
ブームによって競馬ファンの幅を広げる
それまでは、耳に赤ペンをひっかけたおじさんが多いイメージだった競馬を、ブームによって若い女性など幅広い層に広まった。それによって、競馬場も綺麗になり、またUFOキャッチャー人形や、テレビゲームなど、これまで競馬とは無縁だった世代まで取り込んでいった。