実録 スクール☆ウォーズ  この物語はある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である
2020年3月1日 更新

実録 スクール☆ウォーズ この物語はある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である

この物語は、ある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか7年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余す所なくドラマ化した物語である。

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スクールウォーズOP:「ヒーロー」by麻倉未稀.

伝説のイングランド戦

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1943年2月15日、山口良治は福井県の南西部、若狭湾に接する三方郡美浜町の農家に生まれた。
山口良治が小学1年生のとき、実母:梅子が37歳で亡くなった。
「母ちゃんはね、リンゴをたくさん買いに行ったんやで。
もうすぐ帰ってくるよ。
母ちゃんがそういっていたもん。
なあ母ちゃん、帰ってくるやろ?」
3つ下の妹:登志枝は母親の死が理解できず、帰ってくるものだと信じて待った。
1年後、父:定一は再婚し、先夫との間の子を抱えた継母が家にやって来た。
少しは寂しさが癒えるかと思ったが、一緒に暮らしてみると逆に悲しみは増していった
継母は、山口良治の弁当をつくらず、靴下や下着も洗濯してくれなかった。
冬、氷が張るような水で靴下を洗っているとあかぎれで血がにじんだ。
まだ小学校低学年。
友人が母親と歩いていると胸が締めつけられた。
継母からほんとうの愛情を感じたことは、1度もなかった。
小学4年生のとき、外れたボタンを自分ではつけ直すことができず、悩んだ末、継母に頼んだ。
次の日の朝、ボタンは頼んだ位置とは違うところに乱雑につけてあった。
「もう1回、やってちょうだい」
腕にしがみついて頼んでもしてくれなかった。
継母の目の前でボタンを引きちぎり家を飛び出し、近所の女性に
「ボタンをつけて」
と頼みわんわん泣いた。
それ以降、継母と心が通じ合うことはなくなった。
「母ちゃんが死んで愛情に飢えていた。
2人目の母親とは折り合いが合わんかったからね。
寂しくて寂しくて、どうしようもなかった。
あれは4年生の遠足やったかな。
バスガイドさんの手を握ったまま離さんかった。
母ちゃんが生きていたら、こんなに温かい手をしていたんかな。
そう思いながらずっと握ってた。
それほど人の温もりが欲しかった」
小、中学校時代の教師は、よく山口良治を自宅に呼び、ご飯を食べさせた。
家に帰りたくない日は、山口良治は先生の子供と一緒の布団で寝た。
中学時代は野球部に入り、キャッチャーで4番だった。
「もしあのまま野球を続けていれば長島さんと王さんに負けんだけのプレーをしていたと思います。
これはもう絶対です」
しかし進学した福井県立若狭東高等学校には野球部がなくラグビー部に入部。
たちまちのめり込み、大学は第1回日本選手権で八幡製鉄と日本一を争った日大を選んだ。
しかしその練習は過酷で、また封建的な雰囲気が支配していて、自主性に乏しかった。
そんな日大のやり方に疑問を感じ、また中学時代の体験から体育教師になりたかった1年生の山口良治は
「難しいやろうな」
と思いながらも日体大への編入を希望した。
しばらくすると日体大学長から1通のハガキが届いた。
「あと3年間、日体大で学業を頑張りたまえ」
こうして特例で日体大へ編入が認められた。
日体大ラグビー部の綿井永寿監督は山口良治の素質を見抜き、マンツーマンで指導した。
また早稲田大学ラグビー部の大西鉄之祐も山口良治を高く評価した。
大西鉄之祐は、日本が世界で勝つためには
「接近、連続、展開の3つが必要」
と説いた。
体力、体格で勝るチームと対戦するときは、いかにスピードで相手を抜くかという展開ラグビーになりやすい。
しかし大西鉄之祐は、展開に加え
「手足の長い外国人が槍ならこちらは刀、相手が刀ならこちらはドス(短刀)」
と接近戦の必要性を訴え、
「勇気なき者は去れ」
とタフな肉体と戦闘意欲が不可欠だとした。
山口良治は、オール関東に選抜され、日本代表入りも期待された。
卒業時、トヨタ自動車、近鉄、三洋電機など強豪から熱心に誘われた。
「自分の実体験を教師になって伝えたかった。
だからたくさんの企業から話をもらったが教員になりたい思いがブレることはなかった。
お父さん、お母さんがいない子や、荒れる子の寂しさは痛いほどわかる。
その気持ちを抱きながら生きてきたからね。
もし母親が生きていたらラグビーはしていなかったやろうし教師にもなっていなかった。
おそらく田舎で農民にでもなっていたやろうな」

名キッカー 山口良治

1966年、岐阜県内の高校で教員をしていた山口良治は、大西鉄之祐が率いる日本代表(オールジャパン)に選ばれた。
ポジションはフランカー。
ラグビーは15人のメンバーから成り立ち、大きく8人のFW(フォワード)と7人のBK(バックス)に大きく分けられる。
フォワードは、スクラムを組み、ボールがタッチラインの外に出ればラインアウトで敵とボールを奪い合い、 BK(バックス)が捕まれば、すぐに駆けつけてボール確保に身を削る。
力強く突進してボールを奪い、敵ディフェンスを蹴散らすのが仕事。
ぶつかり、倒し倒され、下敷きになり、踏まれ、そしてすぐに起きて走るタフな大型選手が並ぶ。
FWが確保したボールは、HB(ハーフバック)に渡る。
HBとは、SO(スタンドオフ)とSH(スクラムハーフ)の2人で、彼らがボールを持って走るか、蹴るか、パスするかでチームの攻撃が決定する。
戦術、判断、俊敏性、堅実なラン、パス、キックのスキルが要求される。
BK(バックス)は、FWに比べスリムな選手が多い。
HBが選択した攻撃を実行するためのスピードと突破力が求められる。
攻撃では、俊足を飛ばしてトライをあげフィニッシャーとなるが、ディフェンスでもその役割と責任は大きい。
フランカーは、フォワードに属し、軍事用語で「側兵、側面部隊」を指し、スクラムでは側面について攻めたり守ったりする。
守ればスクラムサイドを衝いてくる相手にはタックルをかます。
現役時代、山口良治は、自分の守るサイドは誰にも抜かせなかった。
ボールを持てば突進し、味方がタックルされて倒れたらすぐにサポートに入り、ボールを拾ったり、接点に入ってくる相手を弾き飛ばしたりして2次攻撃のポイントとなる。
こうした接点でのボールの奪い合いこそフランカーの腕の見せ所で、いいフランカーはどこでポイントができるかをいち早く読んで、その地点にトップスピードで入る。
ボールに頻繁に触り、かつ相手選手とのコンタクトも多く、体の強さとスピード、キツくなっても働き続けられる気持ちの強さが要求されるポジションである。
また山口良治は、キックも得意で、そのゴールキックは圧倒的な成功率を誇った。
1971年9月28日、東京の秩父宮ラグビー場で行われた全日本 vs イングランドでは、日本はスクラムで勝り、タックルを次々突き刺し、前半を2PG(ペナルティゴール)に抑え、0対6で折り返した。
後半は何度も相手ゴール前に迫った。
33分、イングランドの反則からPGを得て、山口良治は40mのロングキックを成功させた。
結局、3対6で敗れたが、最後まで
「もしかして・・」
と思わせる試合だった。

京都市立伏見工業高校

 (2167696)

山口良治は桜のジャージを脱いでオールジャパンを去った。
右膝はグラグラだった。
仕事も京都市役所に変わった。
1973年3月25日、春休みに入って最初の日曜日、吉祥院グラウンドでラグビー教室があり、山口良治は、ラグビー教室に通う幼稚園児から小学6年生までの200名に教えた。
その様子をみていた京都市立伏見工業高校校長の山本普は、練習後に面会を求めた。
山口良治が教員免許を持っていることを知るとすぐに欲しいと思った。
(明日から日参したろ)
次の日から毎日、教育委員会詣を始めた。
「おくんなはれ!」
「そら山口さんは京都市役所の職員です。
けど犬をもらうようにくれくれいわれたかてそう簡単にいきまっかいな。
なんちゅうたかてまだ現役でっさかい市役所としても放すかどうかわかりまへんで」
「さあ、そこや」
「どこや?」
「ここで彼をもらえんかったら京都の教育界は逸材を失う。
この損失は大きいで」
30歳を過ぎた山口良治は、現役引退後の人生の準備を始めていた。
社会人ラグビーチームから監督のオファーが2件もあり、給料はいずれも市役所よりはるかに多かった。
そこへ伏見工業高校の話が来た。
「わしのところへ来い」
「そんなら期限を切ろ。
2年でエエよ。
その後、社会人の監督に鳴ればエエ。
わしも定年まで2年や。
その間、一緒にやってくれ」
山本普に口説かれても正直、冗談ではなかった。
しかし教育委員会はついに折れた。
「行ってくれんか?」
山口良治は、全日本代表の遠征や合宿、社会人大会などで教育委員会に迷惑をかけていた。
頭を下げられると弱かった。

伏見工業高校ラグビー部・日本一への挑戦

1974年3月18日、京都市立伏見工業高校に体育教師として赴任するよう教育委員会から内示があった。
「偏差値25。
劣悪やな」
10日後、山口良治は京阪電車の伏見稲荷駅を降りて学校へ向かった。
伏見工の近くには稲荷山があり、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社が建っていた。
稲荷山全体が神域とされ、信者から奉納された約1万基の鳥居があり、特に「千本鳥居」と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられ名所となっている。
駅から西に徒歩5分、京都市立伏見工業高校はあったが、すでにタバコをふかす生徒、雀荘の中にいる生徒を見かけた。
バイク事故の件数が京都ワースト。
教師への暴力など日常茶飯事。
シンナーを吸う生徒や学校の廊下をバイク走る生徒もいて、ある教師は怯え、ある教師は教師はみてみぬふりをした。
校門を入りグラウンドをみるとラグビーポールは4本とも折れていた。
次にラグビー部の部室にいってみると、床にタバコの吸殻が散らばっていた。
「誰や」
背後から声をかけられた。
振り返ってみるとサングラスをさしたアロハシャツに白いエナメル靴、チンピラのような格好をした男がいて、マッチを擦ってタバコに火をつけた。
「おい、やめとけ。
ここは部室やぞ」
かまわずタバコをふかす男に山口良治は自己紹介した。
「新任の山口や」
「教師か。
勝手に部室に入ってもろたらかなんな」
「君はコーチか?」
「いいや、オレはラグビー部主将の中村昭憲や」
「そうか。
他の部員は?」
「さあ知らん。
用がないんやったら出て行ってくれ」
山口良治は、校長室で山本普と会った。
「どや、エエ学校やろ?
そろそろラグビー部が練習しよる。
みてやってくれんか」
「部室みたらわかります。
あれはラグビーではありません」
「ワシもそう思う」
その後、山口良治はラグビー部の練習を校舎の窓から見学した。
20人足らずの部員の体が全然鍛えられていなかった。
指導者はいなかった。
準備体操もパス練習もせず、彼らはいきなり試合形式の練習を始めた。
キックされたボールをひ弱なフォワードがキャッチ。
そのフォワードに大柄な部員がタックルし転倒させた。
(危ない!)
その後、部員たちはルール無用で走り、ボールを奪い合った。
怒号と悲鳴、パンチと蹴りが飛び交った。
キックし終えた部員に他の部員がタックルした。
タックルされた部員は後頭部から地面に落ち、タックルした生徒はVサイン。
「やめろ!」
山口良治は走った。
倒れている生徒は脳振盪を起こしていた。
部員が集まってきた。
「誰か水をくんで来い。
それと折れたポールを持って来い」
やがて持ってこられた水が倒れた部員にかけられた。
「お前らジャージを脱げ」
拒否反応を示す部員。
「こうするんじゃ」
山口良治は自ら背広を脱いだ。
「ポールを両脇につけろ。
そっとやれ」
2本のポールが置かれると背広をポールの下に入れた。
「担架や」
3人の部員がジャージを脱いで担架をつくった。
「そっと持ち上げろ。
落とすなよ」
体育教師になる夢と社会人チームで腕を振るいたいという思い。
山口良治は悩んでいた。
学校はまだ春休み中で断るなら今しかなかった。
しかし生徒をみてしまった以上、もうダメだった。
もう退くことはできなかった。
ラグビー部にはすでに監督がいたため、当面はコーチとして協力していくことになった。
春休み中の練習は2時間だった。
山口良治は、なにもいわずに黙って部員の動きを目で追った。
そして心の中で問うた。
(お前らはなぜラグビーをやるんだ)
(なぜラグビーなんだ)
(ラグビーに何を求めているんだ)
そして練習が終わるとなにもいわずに去った。
(彼らのはラグビーじゃない。
何かが違う。
もっと強いハッキリした意識を持った部員が現るまで指導はできない)

コイツらは本当は寂しかったんや

 (2167697)

ある日、山口良治は体育の授業のためにグラウンドに出ると、授業は始まっているのに20名ほどの3年生がソフトボールをして遊んでいた。
受け持ちの1年生はグラウンドの隅で並んでいた。
「おーい、どこに並んどる。
こっちへ来んか」
しかし3年生を恐れて誰も来なかった。
山口良治は3年生に向かって歩き出した。
「おいお前ら、なんの授業だ。
先生は誰や?
授業は何や?」
「ソフトボールやんけ」
「ソフトの授業は聞いていない。
運動場はオレの教室だ。
オレの教室で勝手なことはさせん」
「グダグダうるさいやつやの。
いてもうたる」
バットが振り上げられた。
「やるんやったらやったらどや。
しかしオレの教室で暴れたら生きたままで校門は出さん。
覚悟ができとったらそのバット振り下ろせ」
3年生グループは散っていった。
不良たちはやり場のない不満や憎悪を募らせ、ただ荒れていく一方だった。
生徒を探しに伏見稲荷大社に行くと他校の生徒とケンカをしていたこともあった
廊下を歩いていると教室から声がした。
「ポンッ」
そして笑い声が起きた。
みると社会の授業中、生徒はマージャンをしていた。
山口良治はガラスが割れそうなくらいの勢いでドアを開けた。
「お前らなにをやっとるんじゃ。
立て」
4人の生徒が不貞腐れながら立った。
「サングラスもとらんかい」
伸びてきた山口良治の手を生徒は払った。
平手打ちが飛び、サングラスをかけた生徒は倒れた。
逃げる3人をまとめて窓際に押しつぶし1人1人平手を食らわせた。
マージャンをみていた6人も
「お前らも同罪じゃ」
と蹴り飛ばした。
タバコを吸っていた生徒をみつけ
「お前、何をくわえているんや?」
と聞くと、下にタバコを捨て
「俺か? 
指くわえてたんや」
と答えたため
「お前が吐く息は、そんなに煙みたいに白いのか?」
といって殴った。
廊下をで前からバイクが廊下を走ってきたときは正直、怖かったが
( 生徒を信じよう、信じよう)
と念じていた。
するとバイクは横を通り過ぎた。
数日後、バイクを走らせた生徒が訪ねてきた。
「ゴメンな先生。
先生だけや、俺に注意してくれたのは。
誰も俺に注意なんてしてくれへんで」
その言葉でわかった気がした。
(コイツらは本当は寂しかったんや)
 (2167698)

ラグビー部の練習に集まる部員は数人だけだった。
練習試合で全員の切符を買って駅で待っていても1人も来ないこともあったし、試合をしても勝てるはずはなかった。
「ちょっと部室へ来てくんなはれ」
ある日、山口良治は3年生部員に呼ばれた。
行ってみると主将の中村昭憲を含む3年生部員が7人いた。
「先生、今後、わいらに口出しせんとってほしいねん。
監督でも部長でもないあんたにああせいこうせいいわれたくないねん」
「あんた?」
「伏見工には伏見工の伝統がおまんねん。
それを赴任早々、偉そうに口出しされたらかなん」
「もう何もいわん。
お手並み拝見といこう」
そういいながらも、それまで経験したことのないほどの屈辱と不快感を感じていた。
(オレは全日本代表だぞ)
(教師なんてなるんやなかった)
しばらく後悔と自己嫌悪がこみ上げてきたが、最後には負けじ根性が出てきた。
(問題のない学校に教師などいらない。
教え屋がいればいいのだ。
こういう学校こそ教師が必要だ。
オレは体育教師だ。
体育教師が生徒にぶつけられるのは情熱だ。
闘志だ。
力だ。
そして信頼だ。
たとえラグビーと切り離されても・・)
苦境になればなるほど、悪い状況になればなるほどより燃えてくる男だった。
ラグビー部から絶縁された山口良治は教師として全力を尽くすことを決めた。
まず生徒の服装問題に取り組んだ。
毎朝、校門に立って検査を行った。
「アロハはダメ?
なんで?」
「制服を着て来い」
「持ってない」
「どうした?」
「親父が質屋に流して飲んでもた」
「わかった。
親父と一緒に来い」
服装違反の生徒には名前を書かせた。
「3回違反したら処分するぞ」
「処分って?」
「退学じゃ」
3週間後、服装違反は激減した。
卒業式前になって、ラグビー部の2年生の1人の落第が決まった。
その部員は
「もうやめると決めた」
という。
「落第が恥ずかしいのか?」
「そらカッコ悪いですよ」
「それでやめたらカッコウ悪くないのか?
違うと思うな。
本当に恥ずかしいのは今までの生活態度と違うか。
落第はその結果や。
やめてしまえば取り戻すことができなくなる。
そんなことは承知せん。
1年留年するからって挫折してしまったらなにもできんぞ。
先生はお前らを鍛えるためにやってきた。
が、1年を棒に振った。
お前と同じや」
「ボクと同じ?」
「そうや。
監督落第や。
けどこの4月から監督をやるぞ。
それでもやめるんか?」
「え、ホンマですか?」
「ホンマや」
ウソだった。
ほんとうはまだ社会人ラグビーチームの監督の要請が来ていて、決めかねていた。
しかし勢いだったとはいえ生徒に嘘はつけない。
その後、校長に監督就任の決意を伝えた。

屈辱の大敗

 (2166353)

1975年4月、山口良治の新しいラグビー部づくりが始まった。
まずは京都府の高校ラグビーの情報収集を行った。
(絶望的やな)
府内にはラグビー部が約30校あり、花園高校、同志社高、洛北高、塔南高、京都商業、西京商業、嵯峨野高校などが強かった。
特に花園高校は1958年に創部以来、全国大会に9度出場し、準優勝1回、国体では優勝していた。
伏見工ラグビー部は、1960年に創部されて以来、公式戦に出れば負け続け、練習試合は記録すらなくCクラスだった。
(Dクラスがあったらそこに落ちるな)
伏見工ラグビー部員は31人。
保護者が父親でない部員が11人。
安定性のある職業の保護者は少なく、職業欄が空白のものもあった。
「さてわかりやすいところから始めよう。
ラグビーはボールの奪い合いだ。
ボールが奪れなければ、どんなに速く走れてもどんな技術を持っていても意味がない。
攻撃権はいつもボールを持ったほうにあるんだから」
山口良治はそういってボールを持って円陣の中に入った。
「誰でもいい。
先生の手からこれを奪ってみろ。
さあ来い」
1人が前に進み出ていきなり飛びかかったが、すぐに地面に叩きつけられた。
「次っ!」
5人が挑んだが、全員が地面を這わされた。
「ゴロパンや。
奪りに走れ」
次に山口良治はゆるいゴロパント(ボールを地面に転がすキック)を蹴った。
みんなボールを追ったが、勢いをつけすぎてボールを後方へ逸らしたり、拾おうとしてもボールが左右へ跳ねて落とした。
楕円型のボールは生き物のように変化した。
3本のゴロパントで部員はフラフラになった。
「次はセービングだ」
セービングとは、ルーズボールに対して体ごと飛び込んでいくプレー。
転がっているボールを手だけで押さるのは難しい。
だから飛び込んで体で押さえ込み、確実にマイボールにする。
セービングには、フロントセービングとバックセービングがある。
フロントセービングは、競りあって相手より少しでも速くボールを確保したいときにヘッドスライディングでセービングする。
ボールを確保した後、立ち上がれればよいが、頭から飛び込んでいるため、相手が覆いかぶさってきたとき味方にボールを送るのが難しい。
バックセービングは、相手側に背中を向けるように飛びこむセービング。
自陣内にボールを蹴りこまれ相手選手に雪崩れこまれたときなど、体を横向きにしながらボールに飛び込み、敵に背中をみせて、そのスパイクに蹂躙される危険を冒しながらセービングする。
すると敵からボールがみえず、かつ味方はサポートしやすい体勢となる。
セービングは、飛び込む角度やスピードなど様々な要素もあるが、なによりも大事なのは地面や相手を恐れず飛び込む勇気で、相手や地面とぶつかる恐怖でためらいや躊躇が生まれるとダメになる。
またセービングをした後は、すぐに次のプレーに移らなければいけない。
敵が来ていなければすぐに立ち上がって前を向き、敵が覆いかぶさってきたら、腹でボールを抱え味方側にボールを置く。
タックルが派手でかっこいいのに対しセービングは地味で犠牲的精神を伴うプレーである。
山口良治は、自分でボールを蹴って、走って、倒れて、ボールを腹でコントロールし、すばやく立ち上がるという一連のプレーをやってみせた。
1人目の部員はボールに覆いかぶさろうとして腹をボールで強打した。
山口良治は、ボールを置いて静止した状態で飛び込む位置とタイミング、腹でボールを抱えてコントロールし立ち上がる方法を教えた。
やがて17時を過ぎた。
「よし、今日はカエル跳びで終わりだ。
行け!」
こちらのゴールから向こうのゴールまでの蛙跳びだったが、何人かはハーフラインまでで倒れ、スムーズにグラウンドを縦断できる生徒は少なかった。
整理体操をしながら山口良治は部員1人1人の顔をみた。
(これでやっていけるのだろうか)
自分の高校生の頃と比べて、部員たちのレベルはあまりに低かった。
高校総体が迫っていた。
(辞退したほうがいいかもしれない)
そうも思ったが最後には開き直った。
(逃げるわけにはいかない)
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