実録 スクール☆ウォーズ  この物語はある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である
2020年3月1日 更新

実録 スクール☆ウォーズ この物語はある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である

この物語は、ある高校の荒廃に闘いを挑んだひとりの教師の記録である。高校ラグビー界において全く無名の弱体チームが、荒廃の中から健全な精神を培い、わずか7年で全国優勝を成し遂げた奇跡を通じて、その原動力となった信頼と愛を余す所なくドラマ化した物語である。

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1975年5月10日、連休明けの土曜日、京都府高校総合体育大会が始まった。
伏見工の相手は、洛東高校だった。
1965年の近畿大会の京都予選で花園高校と引き分けたこともある。
しかしハードな練習をこなしてきた伏見工の部員は負ける気がしなかった。
実際、52対0で完勝した。
「イケるやないか」
5月17日、次の対戦相手は優勝候補の花園高校だった。
「忠実なタックル!
それだけを考えろ」
試合前、山口良治はいった。
(力量の差はいかんともしがたい。
しかし一寸の虫にも五分の魂だ。
タックルさえ決まれば点差はそう開くまい)
キックオフで花園高が蹴り上げたボールを伏見工の2人は譲り合ってポトリと落とした。
走りこんできた花園高は、それを拾ってさらに伏見工のバックスの裏へ蹴った。
「いかん」
山口良治が漏らした直後、そのままトライを奪われた。
試合開始早々のノーホイッスルトライだった。
直後、中央付近からのスクラムで押し勝った花園高校はサイドに展開し、無人の野を行くが如くノーマークトライ。
さらにその直後、タックルに入ろうとした伏見工の2人が味方同士で衝突しダウン。
観客席から笑いが起こった。
「全日本のコーチが泣くぞ」
「コラッ!お前らに山口良治はもったいない」
「知恩院さんでケンカする気でかからんかい」
野次にスタンドはドッと沸いた。
かつて伏見工の生徒が知恩院の裏で乱闘寸前になった事件があった。
前半が終わってスコアは、52対0だった。
(この差はなんだ?)
ハーフタイムに円陣を組む部員たちの前に行く山口良治の足は重かった。
「お前たち・・・」
後の言葉が続かなかった。
後半も前半と同様だった。
花園高校はスクラムからボールを出して、バックスに回して伏見工のディフェンスをスルスルと抜けてそのままトライ。
これを繰り返した。
伏見工はタックルもセービングもできなかった。
なにより相手の強さにあきらめてしまっていた。
そして完膚なきまでに叩き潰された。
最終スコアは112対0となった。
山口良治はくやしさで寒気がして鳥肌が立った。
メインスタンドにいるはずの花園高校ラグビー部監督:川勝主一郎を探した。
よくみえなかったが挨拶をした。
(川勝さん。
今日という日をよく与えてくれました。
肝に銘じます)

お前ら、くやしくないんか?勝ちたくないのか?

 (2165865)

試合を終えた部員たちが山口良治の前に集まり整列した。
「オースッ」
(何がオースッじゃアホンダラ!)
山口良治は必死に怒りを抑えた。
「お前ら、ケガはどうや?
大丈夫か?」
誰も答えなかった。
誰もこちらをみなかった。
「お前らどんな気持ちや」
重ねて聞いた。
だが誰も答えなかった。
「なんかいうてみい。
くやしいのか、うれしいのか。
率直な気持ちをいわんかい。
ここ数ヶ月の結果が112対0や。
なんでこんな開きが出るんや。
相手は同じ高校生やぞ。
年も同じ、背丈も同じ、頭かてそんな変わるかい
それでなんでや」
山口良治は不貞腐れてごまかしている部員をにらみつけた。
「くやしくないんか?
お前ら男と違うんか」
このとき1人がグラウンドに膝をついた。
「くやしいです」
グランドの土を血がにじんだ指でつかんで泣き崩れた。
すると共に戦った14人の胸の中にも熱い感情が堰を切って流れ出し、それぞれがうめき声や嗚咽を漏らし始めた。
「お前ら、勝ちたくないのか」
「ウアー」
言葉にならない声が上がった。
全員が勝ちたいと叫んでいた。
「ホンマか。
ホンマに花園に勝ちたいのか?」
「勝ちたいです」
「勝つためにはどないしたらええんや」
「練習です」
「練習です?
よういうた。
花園に勝つにはせなあかんことが山ほどあるぞ。
1つ1つ自分のものにしていかなあかん」
「はいっ」
「今日という日を忘れるな。
いいか、敗戦の痛みは一生だが、拳骨の痛みは3日で消える。
歯を食いしばれ」
山口良治は全部員を殴り倒した。
「今やったら、問題になってしまうやろうな。
ひどい負け方をしたのに、どいつもこいつも平気な顔をしていた。
本当は負けるに決まっているしやりたくなかったかも知れん。
でも悔しさを知らない生徒に、自分がやってきたことを伝えてやりたい。
そういう使命感に燃えていた。
平気な顔をしていた生徒が『勝ちたい!』というてきた。
『じゃあ、勝つためにどうするんや』と聞いたら『先生の言うことを聞きます』と。
その時に覚悟を決めさせたんです」
この試合を、入学したばかりの蔦川譲(六甲アイランド高ラグビー部顧問)はベンチでみつめていた。
キックオフしてはトライを奪われる繰り返し。
伏見工のメンバーは、ただ立ち尽くしているだけで、汗もかいていなかった。
蔦川も目標を持てない生徒の1人だった。
だが試合後に「勝ちたいです!」と叫んだ先輩たちが次々と殴られるのをみて心の奥に何か小さな火がともった。
「先生が『殴られた痛みは3日で消える。
だがこの悔しさは一生忘れるな』
そういいながら殴っていたのは忘れられないです。僕自身、中学の頃から目的がなかった。
高校に行って何をすればいいのかわからなかった。
目標なく高校に入って、花園高校に勝ちたいという目標ができた。
目標を持つ人生を教えてくれた人、それが山口先生でした」

お前らは、やればできるんや

 (2166355)

それから授業には出なくても、多くの部員が練習には顔を出すようになった。
練習時間になると1年生がマージャン荘まで先輩を呼びに行った。
ひたすら基本練習を繰り返す猛練習が始まった。
山口良治の持つミットに並んだ部員がタックルする練習が延々と続いた。
数が多くなればなるほど、その力は弱くなっていく。
「あと何本やろ」
長岡龍聡悟はつぶやいた。
「お前ら黙って練習できんのか」
「なんもいうてません。
先生の空耳や」
荒井重雄がいうと山口良治はその首根っこをつかんで地面に投げた。
「ネチネチ言いわけするな」
「それはペナルティです。
故意に投げたりタックル以外の・・・」
「うるさいぞ!
練習中に無駄口を叩くな!」
その剣幕に全員が黙り顔をそむけた。
「お前ら勝手に練習しろ」
山口良治はそういい捨てて走り出した。
「監督、謝ります。
僕らが悪かったです。
戻ってください」
「戻らん。
勝手にしろ」
「ようわかった。
監督は嘘つきや。
信は力なりやなんて大嘘じゃ。
オレもラグビーやめたらぁ」
部員の声を背に刺さったが、そのまま校門を出て稲荷山を駆け上がった。
そして山の中腹でうずくまった。
「私が鉄人とあだ名されるのはもっと後のことです。
未熟な生な人間。
そんな部分があまりに多く残っていて教師としては欠点だらけでした」
山口良治は不良たちと真剣に向き合った。
練習が終わっても、どこでまたケンカやバイクで暴走行為をするかわからないので、生徒の家を回った。
そして悪行を発見したら丸刈り頭にさせた。
「せっかくパンチパーマをあてても、次の日に坊主にさせられた先輩もおった。
まっすぐ家に帰らないと、いつ先生が来るかわからんから、寄り道もできんかった」
そうやって横道にそれないよう、目標を達成できるよう、導いていった。
部員たちは目の色を変えて練習をするようになった。
自分がそうしてもらったように、山口良治はよく自宅に生徒を招いた。
いつも朝早く家を出て帰りは遅い。
2人の娘がいたが
「寝顔しかみたことがなかった」
家にたくさんの部員を連れてこられる妻:憲子は困った。
「食べ盛りですからね。
やっぱりお肉がいるし、お米はいくらあっても足りなかった。
大勢でザワザワしていると寝ていた娘2人が起きてしまってね。
よくふすまの間からこちらをのぞいていました」
現在、六甲アイランド高(兵庫)でラグビー部顧問を務める蔦川譲も、練習試合で兵庫を訪れたとき、西宮北口駅前にあったトンカツ屋で腹いっぱい食べさせてもらった。
20人近いメンバーで決して安くはない代金を山口良治は自分の小遣いで払った。
蔦川譲は中京大に進み、2年生のとき大病を患った。
するとどこから聞いたのか、山口良治は病室に飛んできて
「大変やったな」
と涙を流した。
「高校の頃は怒られては走らされ、しばかれてはまた走らされた。
でも大学に行き4年になってようやくメンバーに入ると自分のことのように褒めてくれた。
今でも生徒と接していると、山口先生ならどうするやろうなと考えることがあります。
あの情熱と愛情を今の子供たちに伝えてやりたい」
 (2167702)

稲荷駅の通りをはさんで真向かいに大鳥居があり、それをくぐり進んでいくと楼門があり、さらに進むと伏見稲荷の本殿があり、その右奥に千本鳥居があった。
千本鳥居は平坦な道だが、それを過ぎると階段が姿を現し、稲荷山の頂上まで120段、急勾配で部員を苦しめた。
しかし山登りによって部員の足腰は鍛えられた。
「技術は体で覚えるもの」
「口で教えてしまうと器用だがひ弱な選手になってしまう」
と考える山口良治は技術を口では教えなかった。
肉体をいじめ、酷使することで身につけさせた。
田井照二は、山口良治にロックとしてダッシュ力のなさと状況判断のまずさを連日指摘され怒られ、悩んだ。
「オレはいつも怒られている。
なんでやろ。
タックルにいっても内へ入るな、キックするな、ゲームを組み立てろと。
しまいにはお前はアホかやて。
返事をする気になれんでせんかったら、もっと素直になれといわれるし・・・
どうしたらいいのか」
山口良治は田井照二が悩んでいるのを知っていたが、とことん突き放した。
「悩めば悩むほど将来の成長に加速度がつく」
スポーツを志せば必ずぶつかる壁。
成長が止まってしまったような感じ。
何をやってもうまくいかない感じ。
常に心の中に焦りがあり、自信もロスしてしまう。
田井照二はついに教官室を訪ねた。
「食欲もなくなり夜も眠れません」
山口良治はいった。
「君が来るのを待っていた」
そして紅茶を出した。
「君はうまくなりたい、強くなりたい、そればっかり考えているんと違うか。
スポーツで上達したいものの基本はそれだ。
最初はそれでいい。
しかしいずれそれでは不足してくる
何が足りないかわかるか」
「わかりません」
「第1にスタミナ不足。、筋力不足、スピード不足を解消し、第2にラグビーをよく知ることだ。
第1の課題は、嫌かもしれんがランニングとタイヤ引き、ウエイトトレーニングを人一倍やることだ。
第2の課題は、経験を積むしかない。
これは絶えず試合を頭に描いて練習することだ。
君の努力は認める。
それが報いられることを祈ってる」
田井照二は何度もうなずいた。
目は濡れて輝いていた。
1975年5月17日に花園高に112対0で惨敗した伏見工は、同年、秋に全国大会京都府予選に出場した。
そして勝ち進み、11月22日、決勝戦で花園高とぶつかり、前半25対3、後半28対0で敗れた。
「なんでや」
部員達は悔しがり、また殴られることを覚悟した。
しかし山口良治はいった。
「春は112対0。
今日は53対3。
半年で失点半分。
わずか半年でここまできたんや。
お前ら立派や」
「負けてもですか」
「勝ち負けは結果や。
ここまでくる過程が大事なんや。
さあ胸を張れ。
頭を上げろ。
お前らは、やればできるんや」
その瞬間、部員の目の色は変わった。
「あの言葉で、みんなのやる気がでたんです」
山口良治が伏見工という荒野にまいた種は芽を出そうとしていた。
「京都一のワル」が、入学してきたのはそんなときだった。

京都一のワル 山本清吾

 (2166106)

1976年の入学試験で、山口良治は初めて、中学時代、京都一のワルといわれた山本清吾をみた。
山本清吾は教室で周囲の受験生を睨みつけていた。
京都随一の繁華街「祇園」にあった弥栄中学では、178cmセンチ、90kgの体格でバイクを乗り回し、タバコと酒もしていた。
昼はマージャン、花札、パチンコに熱中し、勝ったら夜はスナックに繰り出し、15歳で両隣に大人の女性を座らせた。
「ちょうどその頃にカラオケが流行りだした。
大人顔負けの遊びをしとった。
老け顔やからいけたんですわ」
野球部ではファーストを守り、ホームランをカッ飛ばす不良少年だったが、野球推薦で受験した私学高校は不合格になった。
「落とされたっていうのは僕の中で負け。
負けることは嫌いやった」
担任に公立の進学校である堀川高を受ける意思を伝えると、翌日に学年主任、生徒指導部長ら4人が自宅に来て、
「性格検査したら君は工業に向いている」
と諭された。
「要するに『お前は受からへんから伏見工業受けえ』っていう話ですわ。
性格検査なんか受けた覚えないですから。
僕は高校に落ちた屈辱を晴らすだけやったから学校はどこでも良かった」
山口良治は思った。
「これはおもろいな」
入学式直後、仲間と歩いていた山本清吾は、体育教官室前で腕組みをした山口良治に止められた。
「清悟、ラグビー部に入れ!」
「ラグビー?
何やそれ。
入るわけないやろが!
ワシは野球をやるんや」
山本清吾は吐き捨てるように去った。
呼び捨てられたことに腹が立ったが、185㎝で筋肉質の山口良治の体から異様な空気を感じた。
「こいつは素手では勝てん」
中1のとき、タバコを教師に見つかったことがあった。
12歳の山本清吾は、こんな数学教師を1発で突き飛ばせると思った。
しかしその教師は自宅を訪問し父親の前で山本清吾を殴った。
「この先生、結構本物やな」
中学の教室のガラスを全部割ったときも、その教師姿をみると投げようと持ち上げていた机を置いた。
 「やめろ、やめろっていいながら腰が引けてる教師っていますやんか。
その先生だけやったんですよ。
真剣にぶつかってきてくれる先生はね」
山口良治は、その唯一感謝していた教師と似ていた。
山本清吾は、入部届に「野球部」と書き入れ体育教官室に向かった。
一言、伝えておかねば・・・
「よお、先生。
声かけてくれたけれど、やっぱりワシ野球やるわ」
「いいに来てくれたんか。
まあ、ええから、ちょっと入れ」
教官室に入ると、山口良治はこびりついた泥を落としながらスパイクを差し出した。
「これをやる」
日本代表の頃から履いているスパイクだった。
「ラグビーはルールのあるケンカや。
ボール持ったら何をしてもええ。
蹴る、殴る以外は何したってええんや。
お前やったら1番になれるんちゃうんか」
翌日、山本清吾の姿はラグビー部にあった。
ニコチンやアルコールまみれの体で、ボールを回しながら100m走るランパスで、隣に20~30mも離された。
夜になれば仲間から誘いがあった。
「やっぱり遊びたかったし楽をしたかったんですわ」
そして問題を起こし警察に連れて行かれることもあった。
「先生、何しに来たんや」
警察署まで迎えに来た山口良治に悪態をついた。
何度も
「ワシ、(ラグビー部を)辞める」
といった。
すると翌朝、山口良治は6時に起きると7時には山本清吾の家を訪ねた。
「寝てますわ」
と父親がいうと上がって
「清悟!起きんかい」
と蹴り飛ばした。
そして支度をして2人で駅近くの喫茶店に入った。
いつも山口良治は2枚ずつ出されたトーストの1枚を山本清吾の皿へ移した。
こうして山本清吾はギリギリのところで辞めるのを踏みとどまった。
中学時代にワルで有名だった先輩たちが必死に楕円球を追いかける姿が不思議だった。
 (2166094)

1976年6月5日、京都府高校総体の決勝で、花園高と対戦。
屈辱の112対0は1年前のことだった。
前夜から雨でグラウンドはドロドロだった。
通常の状態なら技術に勝るチームのほうが有利だが、泥濘(でいねい)戦では普段の走りこみと全員の前に出るんだという意識で勝負は決まる。
「いいか。
雨の日の試合は足を生かせない。
ボールを奪ったら手渡しの要領で全員が前へ出ろ」
「タックルは痛くないから思い切り入れ」
山口良治はアドバイスを与えてバックスタンドへ向かった。
試合が始まると泥しぶきを上げて激しい肉弾戦を展開された。
伏見工は空中戦でもタックルでもセービングでも負けず、前半を8対4でリードして終えた。
「ボールをしっかりコントロールして前へ出ろ」
後半も伏見工は互角以上に戦い、残り1分の時点で10対8。
しかし最後の最後で花園高のスタンドオフがボールを持って突進。
「倒せ!」
伏見工の1人がタックルに入り突進を止めた。
振り切ろうとする仲村に2人目のタックルが刺さった。
ここで笛が鳴りノーサイド。
トータル18対12で伏見工は花園高に勝った。
部員は泥んこのまま山口良治に飛びついた。
屈辱からわずか1年で112点差を埋め強豪校に肩を並べた。
山本清吾は、必死に戦う先輩たちの姿を雨でびしょびしょのスタンドからみて心を打たれた。
衝撃的だった。
赤のジャージーが茶色になっていた。
不良から改心した先輩たちが1年前に完敗した相手に何度もタックルを繰り返し、ノーサイドの笛が鳴ると泣きじゃくって勝利を喜んでいた。
山本清吾の目も自然と涙があふれた。
 「そのとき、正直に『美しいな』って思ったんですわ。
ひたむきで格好良かったんです。
苦しくて泣いたことはあってもうれしくて泣いたことはなかった」
 (2166113)

「打倒!花園高」を果たした伏見工だったが、21日後、1976年6月6月26日、第31回国体予選で、同志社高に64対4で大敗した。
山口良治は何が足りないのか反省した。
伏見工は自分のペースで戦えているうちは圧倒的な強さを発揮したが、タックルやミスで流れを敵にとられるとズタズタになった。
強いチームはミスも少なく、かつミスをして崩されてもすぐに修正し復元することができる。
伏見工は部員のやる気と練習量は格段に増えたが、集中力が切れたことによるミスも多かった。
(自分を尺度にして、部員に技術を身につけさせようと基本の走りこみや当たりをおろそかにしなかったか?)
何より部員同士が
「もっとええパス投げろ」
「お前がしっかりとれ」
とお互いに不平や文句をいい合っていた。
(プレーに信頼がない)
こういう問題は理論で説明したり殴ってわからせる類のものではなかった。
また一部の部員は、オートバイ、喫煙、ケンカなどを行っていた。
「技術より精神面の強化やな」
山口良治は、部員にラグビー日記をつけさせた。
そして毎日、30冊の日記をチェックした。
1行だけのもの、誤字脱字だらけで意味不明のものなどもあった。
飲酒やギャンブルをしたことを書いたものもあったが、山口良治は自分を信頼して書いてくれている部員を叱らなかった。
また
「走り負け、当たり負けせんことは当然やが、もう1つ意味のある練習をやる」
と早朝練習も始めた。
部員は夜遊びをやめ早く寝るようになった。
夏休みは9~12時、14~17時の2回練習が行われた。
 (2166101)

夏は過酷だった。
山本清吾は、毎日、水を飲むことも許されず走らされ、ゼェゼェと肩を揺らした。
走り込みはケンカよりも辛かった。
ランパスのゴールで最後にボールを受け取り
「もう辞めたる」
と地面にボールをたたきつけたこともあった。
しかし
「清悟、ええぞ」
「清悟、頑張れ!」
周囲の言葉で厳しい練習を耐えた。
しかし次第に脚は速くなった。
「人間ってしんどくなると決意したことを忘れがちになる。
そんなときに仲間や先生が支えてくれたんですわ」
不良仲間の誘いはに断ることが多くなった。
「よし、昼飯にしよう」
愛知遠征のとき、マイクロバスで相手校に到着すると部員は一斉に弁当箱を開けたが、山本清吾は窓の外をみた。
昼飯はいつも100円で買う菓子パンだけだった。
「おい、清悟!
これを食え!」」
振り返ると山口良治がいた。
「ええから食え」
そういって遠ざかっていく大きな背中に渡された風呂敷包をほどくと大きなおにぎりが2つ入っていた。
まだ薄暗い早朝に山口良治の妻:憲子が
「食べ盛りだから主人よりも、とにかく大きいものを」
と握ったものだった。
山本清吾は父子家庭で育ち、父親は朝早くから仕事に出た。
おにぎりを口に押し込みながら周囲に悟られないように泣いた。
「この先生のためにラグビーを続けよう」
腹をくくった。
夏をを乗り越えると秋の全国大会予選が始まった。
山本清吾は、プロップでレギュラーになった。
1976年11月13日、京都予選の準決勝で伏見工は昨年、敗れた同志社高と対戦。
前半は肉弾戦となり伏見工優勢だったが、後半、同志社高は戦法を変更しハイパントを多用した。
伏見工は防御網を破られ39対15で負けた。
同志社高は花園高に負け、花園高は全国大会の決勝に進出し、東京代表の目黒高校に29対9で敗れた。
こうして山口良治が監督1年目が終わった。
「ラグビーをやる目的は勝つだけではありません。
負けたけど貴重なものを手に入れる、そんなことも大事です。
1年目の部員たちはそれらを体得してくれたと思います。
勝ちたい、勝とう、そこから努力が生まれます。
そんな集積が大事なんですね」

フーロー

 (2166098)

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  • くまちゃん 2022/3/22 04:59

    私の母校なので訂正して頂けたらと思います。伏見工業の京都府予選の相手として名前が出てくる学校。「絡東」高校ではなく「洛東」高校です。同じく「絡西」ではなく「洛西」高校。3箇所ほどあります。

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