マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド  不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。
2021年1月7日 更新

マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド 不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。

マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、リディック・ボウ・・・ 1980~90年代、アメリカのボクシングは最強で、無一文のボクサーが拳だけで数百億円を手に入れることができた。しかしボクサーはお金のためだけにリングに上がるのではない。彼らが欲しいのは、最強の証明。そして人間は考え方や生き方を変えて人生を変えることができるという証だった。

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1996年12月14日 、リディック・ボウとアンドリュー・ゴロタが再戦。
リディック・ボウは、前戦より17ポンド減量。
2R、アンドリュー・ゴロタのジャブからの右がテンプルに入り、リディック・ボウはよろけるように後退し、膝が突っ張らせてダウン。
その後もロープに詰められパンチの連打を浴びたが、この最中にアンドリュー・ゴロタは頭突きを入れてしまい減点1。
これで時間を稼いだリディック・ボウは、このラウンドを生き延びた。
4R、リディック・ボウの右でアンドリュー・ゴロタがグラつき、続く連打から右アッパー、左フックでダウン。
アンドリュー・ゴロタは左目から出血。
ローブローで減点1をもらいながらなんとかピンチを乗り切った。
5R、アンドリュー・ゴロタがダウンを奪った。
リディック・ボウはグロッキーになりながらロープに体をあずけてなんとかピンチを乗り切った。
6R、7R、アンドリュー・ゴロタ優勢。
8R、リディック・ボウのワン・ツーをもらってもアンドリュー・ゴロタは平然としていた。
9R、自らが攻めるときもフラつくリディック・ボウに、勝利まであと一歩のアンドリュー・ゴロタがローブロー。
崩れ落ちるリディック・ボウをみてレフリーはアンドリュー・ゴロタを失格負けにした。
アンドリュー・ゴロタは、試合を優位に運びながら2戦連続失格負け。
「喧嘩師」
「東欧のゴロツキ」
「ポーランドの悪童」
とダーティーファイターというレッテルを張られた。
2度もダウンをする大苦戦の末にローブローによって反則勝ちしたリディック・ボウは引退。
7Rにパラシュート男がリングに落下してきたイベンダー・ホリフィールドとの2戦目の判定負け以外負けなし。
「モハメド・アリの再来」といわれながら、スターになることはなかった。
その後、リディック・ボウはアメリカ海兵隊に入隊したが、新兵訓練中の態度が問題となり11日間で除隊となった。
1997年2月7日、マイク・タイソンがWBCランキング1位のレノックス・ルイスを蹴ってイベンダー・ホリフィールド戦を優先して同タイトルを返上したことで空位となったWBC世界ヘビー級王座決定戦、オリバー・マッコール vs レノックス・ルイスが行われた。
オリバー・マッコールは、3年前にレノックス・ルイスからこの王座を奪ったが、その後、フランク・ブルーノ、マイク・タイソンへと渡った。
レノックス・ルイスにとってオリバー・マッコールはプロで唯一負けた相手で雪辱戦でもあったが、オリバー・マッコールは明らかに戦意を喪失した状態で、ついには試合中に泣き出してしまう醜態をみせ、レノックス・ルイスは5RTKO勝ちで2度目のWBC王座に返り咲いた。
1度目はリディック・ボウがゴミ箱に捨てたベルト与えられ「ペーパー・チャンプ」と揶揄され、2度目も勝ち方が勝ち方だけに世界ヘビー級チャンピオンにして強烈なインパクトを与えることができず、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、リディックボウに続くヘビー級第4の男という存在しかなかった。
1997年4月、リディック・ボウが妻のジョディを気絶させるほど殴り逮捕。
息子が母親は死んだと勘違いするほど壮絶な暴力だったという。
その後、リディック・ボウは、家族との関係を回復させようと努力したがうまくいかなかった。

Mike Tyson (USA) vs Evander Holyfield (USA) 2 | Ear's Story, BOXING fight, HD

1997年 6月28日、WBA世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールド vs マイク・タイソンが行われた。
世界中が注目した世紀のリターンマッチでマイク・タイソンは、大きいのを狙わずシャープなパンチに徹し、とらえどころなく動きまわった。
イベンダー・ホリフィールドは、マイク・タイソンが俺が打ってくるのに合わせて飛び込んだが、身長で7㎝上回る189㎝のイベンダー・ホリフィールドの頭がマイク・タイソンの頭より低い位置にあり、頭突きとなった。
(俺より背が高いのに、俺より頭を低くしてどうするんだ?)
マイク・タイソンは頭突きは偶然の出来事ではなく戦略だと確信した。
2R、バッティングでマイク・タイソンが目の上を大きく切り、レフリーが傷口をチェック。
「頭突きだ」
マイク・タイソンはレフリーにアピールしたが、偶然のバッティングと判断したミルズ・レーンは何もいわなかった。
3R、ハラワタが煮えくり返っていたマイク・タイソンは、早く戦いたくてマウスピースを着けずにコーナーを出てしまい、セコンドに呼び戻されて口に入れられた。
そして強いパンチを2発当てたとき、バッティングで意識が飛びそうになった。
「殺してやる」
冷静さを失い、イベンダー・ホリフィールドの耳に噛みついた。
右耳の一部を噛みちぎりリングに吐き捨て、
「おい、拾え」
といわんばかりにそれを指差した。
(実際、イベンダー・ホリフィールド陣営は、試合後にその断片を拾って縫いつけようとしたがくっつかなかった)
イベンダー・ホリフィールドは痛みに飛び上がり、クルリと背を向けてコーナーに歩いた。
(逃げるな!!)
マイク・タイソンは背中を突いた。
もう町のケンカだった。
コーナーでドクターが調べ続行を許可。
そこでミルズ・レーンはマイク・タイソンに2点減点を申し渡した。
試合再開後、また頭がぶつかった。
クリンチしたとき、マイク・タイソンが反対側の耳に噛みついたが。3Rが終わるまで試合は続行された。
そこから大混乱が始まった。
イベンダー・ホリフィールドのセコンドの訴えを聞いて、レフリーのミルズ・レーンは試合を止めた。
マイク・タイソンは目をひん剥いて
「Why!」
と叫び、イベンダー・ホリフィールドにつっかかっていった。
「ホリフィールドは自分のコーナーにいた。
もうまっぴらごめんだったろうが、俺はまだあいつのコーナーにある何もかも、あそこにいる誰もかれもぶち壊したい。
みんなが俺を引っぱり、前に立ちはだかった。
やつはコーナーで体を丸め、みんなでやつを守っていた。
おびえた顔のあいつに、なおも俺は手をかけようとした」
 (2245571)

リングから下ろされたマイク・タイソンは、控え室に戻る途中、ペットボトルを投げつけられ、中指を立てられた。
手すりを乗り越えて襲いかかろうとしたが、セコンドたちに引き戻され、さらにあちこちから炭酸飲料やビールが投げつけられ、控え室に入ってもグラブをはめたまま壁を殴りつけ怒り狂っていた。
「マイクは目の上に3インチの裂傷を負い、イヴェンダーはちょっと耳を噛まれたが、あんなものなんでもない。
小さな雌犬みたいにリングを飛び回りやがって。
あんな長い間、頭突きを許すなんてどういうことだ。
いいかげんにしろ。
バッティングのうち1回は偶然だったかもしれないが、あとの15回はそうじゃない」
(ジョン・ホーン、マイク・タイソンのスタッフ、キャンプコーディネーター)
試合後、MGMグランドでは、カジノのあちこちでケンカが起こり、ケガ人が病院に搬送され、営業中止を余儀なくされた。
ひっくり返ったゲーム台からチップが盗まれ、警察は監視カメラが録画したビデオをみて、盗んだ人間たちを追うなど大混乱だった。
マイク・タイソンは車で自宅に帰ったが、外には抗議の群衆がいて、クラクションを鳴らし、
「八百長」
「出ていけ」
などと叫び、家の敷地にゴミを投げ込んだ。
医者に切れた箇所を縫ってもらった後、徐々に冷静になったマイク・タイソンは
「あんなことはすべきじゃなかった」
とファイターとして規律やルールを守り、最後まで戦うべきだったと後悔し
「ファンは俺のことを嫌いになる」
と気に病んだが、周囲に慰められ、マリファナを吸い、少し酒を飲んで眠りについた。
「(マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの耳を噛んだのは)ホリフィールドがマイクに頭突きをし続けたからだと思うよ。 
ホリフィールドという選手は非常に汚いテクニックを使うファイターだ。
その事について誰も指摘しないがね!
ホリフィールドは汚いテクニックと戦略を使うのが非常に上手く巧妙な奴だ。 
あのジョージ・フォーマンですら、「ホリフィールドは今まで戦った相手の中で最も汚いテクニックを使うファイターだ」といったくらいだ。
最初。ホリフィールドがマイクをロープに弾き飛ばし跳ね返って来たところにホリフィールドがマイクに頭突きを食らわしたところから始まってたんだ。 
それでマイクは顔を切ったんだ 。
その後、試合中、同じ事をホリフィールドが繰り返したんだ。 
注意してみなくてはならないが、あの試合はかなり過熱していたんだ。 
でもよ~く試合をいてみるとマイクがホリフィールドの耳を噛み切る前に頭突きを止めろという警告としてホリフィールドの耳を軽くかじる行為をしているんだ。
もちろんマイクがそんな行為に出たのは間違ってるよ。 
以前は、ああいう違反はよくあったんだよ。
例えばどういう風に相手を掴むや、頭から頭突きをするように相手に入り込むや、肘を相手のアゴの下に置くや、親指で相手の目を狙うや、下腹部を殴るや、膝で相手の股間を蹴るなどだ。
自分がヤバい状態に追い込まれたらこういうテクニックで逃げ切れる事ができる。
これらはレフリーにとっても見分けにくいんだ。 
試合はどちらかが勝者と敗者に決定される戦争だからね。
もちろん試合にはルールがありそれに従おうとするものだが、ホリフィールドのようなファイターは、これらルールを度々破るタイプだね。
俺ならマイクに、「ホリフィールドの顔めがけて突っ込み、頭をもっと動かせ!」といったね。 
頭を動かすスタイルこそ、マイクのファイティングスタイルの基本なんだ。
そうすれば相手は苦しくなる。 
ファイターがパンチを放って空振りすると慎重になり同じパンチを出さなくなる。 
そうして困惑したときに頭を動かしているマイクがパンチをお見舞いしKOとなるんだ。
もし正しいトレーニングをマイクがし俺がセコンドについたならホリフィールドをノックアウトできるよ。 
それは疑う余地のない事だ」
(ケビン・ルーニー)
 (2244732)

6月30日、試合から2日後、マイク・タイソンは当地のホテルで会見し謝罪。
『どうして耳を噛んだのですか?』
「ホリフィールドとは2度目の対戦だった。
俺は何より頭にきてた奴をメチャクチャにしてやりたいと思った。
それでキレちまったんだ」
『何に怒ってたんですか?』
「俺の人生のこと、(イベンダー・ホリフィールドとの)最初の対戦のこと、俺を悪くいった奴らのこと、そういうことを考えたら腹が立って仕方がなかった。
例えば最初の対戦のとき、ホリフィールドは最初の2R、わざとバッティングをしてきた。
こっちが気を失いかけたほどだったんだぜ。
それを2度目も同じようにやられたんだ。
またかと思ってプツンときちまった。
ジョージ・フォアマンはホリフィールドはこれまでみたなかで1番ダーティーなファイターだっていってたんだ。
最初の対戦のときなんてあのおかげですっかり感覚が麻痺しちまってパンチをもらってるのもわからなくなってたほどだった。
ああ、あのバッティングはわざとだったよ。
絶対にな」
『つまり復讐するために噛み付いたってことですか?』
「殺してやりたかったんだよ。
噛みついてやりたかった。
頭にきまくってたのさ」
『試合後はどう思いましたか?』
「どうしようもなくなっちまった。
あんなことをやっちまった自分が腹立たしかったよ。
それ以前は怒りを感じながら試合に臨んだことなんてなかった。
1度もな。
そうはみえなかったかもしれないが、あの試合まで俺は絶対に怒りを引きずったままリングに立ったことなんてなかったんだだから、あんな事をやった自分が恥ずかしかった。
ショックだったし怖かった。
あんな事になるなら、(普通に戦って)負けたほうが良かったさ」
『2度のホリフィールド戦はあなたの経歴にどんな影響を与えたんでしょう』
「あんまりいい影響じゃないな。
俺には敵が多すぎる。
そういう奴らが全てをコントロールしてるんだからな。
奴らは俺の評判をできるだけ下げようとしてるのさ。
クソッタレどものことなんて、もうどうでもいい。
俺は名誉の殿堂入りするチャンスを自分でダメにしちまった。
そういう男になることを、あれだけ夢みてたっていうのにな。
だから、もうどうでもいいんだ
評論家どもは、ホリフィールド戦のことを持ち出して俺を否定するだろう。
でもアリだって負けたことはあるんだぜ?
もう本当にどうでもいいよ。
俺の人生なんて、もう終わりさ。
あとはただ生きていくだけだよ」
『終わり?』
「もちろんカネは稼げるだろうさ。
タイトルだって獲れるかもしれない。
だが俺の社会的地位ってやつは?
ゼロさ」
勝つために反則ギリギリのテクニックとして頭突きを使うイベンダー・ホリフィールド。
それに怒り、堂々と公明正大に反則をやり返すマイク・タイソン。
多くのファンは
「獣か」
とあきれたがマイク・タイソンのピュアさに魅力を感じるファンもいた。
反面、イベンダー・ホリフィールドはしたたかではあるが、強い精神力を持っていることを疑う人間はいなかった。
Amazon | Mission Impossible: How Lennox Lewis Unified the World Heavyweight Title | Lawton, James | Boxing (2245577)

1997年7月、マイク・タイソンがイベンダー・ホリフィールドの耳を噛みちぎった2週間後、WBC世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスが挑戦者、ヘンリー・アキワンデと対戦。
このWBCタイトルマッチは1500人しか収容できないアリーナで行われた。
イベンダー・ホリフィールド vs マイク・タイソン戦の1/10以下の規模だった。
レノックス・ルイスは、5ヵ月前、、オリバー・マコールを下して2度目のWBC世界ヘビー級チャンピオンになったが、コカイン中毒のオリバー・マコールが戦意を喪失し、リング上で泣き出し、失格勝ちによっての復権だった。
この試合も、ヘンリー・アキワンデがほとんどパンチを出さず、再三のレフリーの注意にも関わらずクリンチを繰り返したため、レノックス・ルイスの失格勝ちというお粗末な結果に終わった。
「タイソン、マコール、アキワンデ、ドン・キングがプロモートする選手は失格負けが好きなようだな。
次戦はWBAチャンプのイベンダー・ホリフィールド戦を希望する。
IBFヘビー級のベルトはマイケル・モーラーが巻いているが、あんな選手は単なる絵に過ぎない。
ここにお集りの皆さんがご存知のように、ホリフィールドと自分の試合こそ、最強のヘビー級を決めるに相応しい。
ヘビー級タイトルマッチで1度ならず3度も失格によって勝敗が付くことは、ボクシングビジネスを衰退させてしまうことに繋がる。
そうならないためにもホリフィールドとの統一戦を早急に実現させたい」
(レノックス・ルイス)
しかしイベンダー・ホリフィールドが次戦の相手にマイケル・モーラーを選んだため、レノックス・ルイスはアンドリュー・ゴロタ(WBC世界ヘビー級2位)との防衛戦にサインした。
1997年8月、リディック・ボウが、妻、ジョディと子供が住むノースカロライナ州まで車を走らせ、3人の子供をバスの停留所で待ち伏せし誘拐。
さらにジョディが住む家に押しかけ車の中に用意してあったナイフや手錠、催涙スプレーをみせて脅し車に乗せた。
ジョディはボウの自宅のあるバージニア州に行くまで間にトイレに行きたいと嘆願しレストランに駆け込んで助けを求め、警察へ通報され事件が発覚。
ボウは誘拐容疑で逮捕。
 (2245578)

1997年10月4日、レノックス・ルイスが2度目の防衛戦のリングに上がり、95秒で挑戦者、アンドリュー・ゴロタをKOした。
「ホリフィールドには、過去に何回もオファーを出しているんだ。
いいかい、ヤツはリディック・ボウと3回、タイソンと2回戦って、マイケル・モーラーとも11月に2度目のファイトをするんだよ。
なのになぜオレとはやろうとしないんだ?
恐れているっていわれてもしょうがないだろう。
実現したら必ずヤツをKOしてみせる。
楽しみにしていてくれ」
1997年11月、耳を噛まれながらもマイク・タイソンを返り討ちにしたイベンダー・ホリフィールドは、ジョージ・フォアマンにノックアウトされて王座から陥落した後、IBF世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いていた宿敵、マイケル・モーラーと対戦。
パワーで勝るイベンダー・ホリフィールドは押しつぶすように攻め、5R、7R、8Rに5回ダウンを奪った。
マイケル・モーラーは、その度に立ち上がったが、8R終了後、試合を棄権。
イベンダー・ホリフィールドは、マイク・タイソンから奪ったWBAに加え、IBFのベルトも再度獲得することに成功。
WBA、IBFとくれば残っているのはWBCのタイトルのみ。
そのベルトを巻いていたのはレノックス・ルイスだった。
1998年2月、リディック・ボウが、テリという女性と再婚。
家もニューヨーク郊外のメリーランドに引っ越したが、ジュディと5人の子供を誘拐したとして有罪判決を受け、17ヶ月間刑務所で服役することが決まった。
1999年 1月16日、マイク・タイソンが1年半ぶりにリングに復帰。
相手は、フランソワ・ボタ(Francois Botha)
187cm、116kg。
ニックネームは「The White Buffaro(ザ・ホワイト・バッファロー)」
1R終了間際、フランソワ・ボタとマイク・タイソンが乱闘。
リング上で両軍のセコンドが入り乱れての大混乱となった。
5R、マイク・タイソンが右1発でKO。
フランソワ・ボタは首の骨がズレるほどの重症を負い担架で運ばれた。
1999年2月5日、マイク・タイソンは1998年8月の暴行事件でメリーランド州から懲役2年実質1年の実刑判決を受けた。
模範囚なら1カ月後には、昼に拘置所から外出して練習や試合をできる特別待遇の「更生プログラム」の適用を受ける見通しだった。
2月19日、拘置所内で大暴れし特別待遇は微妙になり、3月にはテレビを投げつける大騒ぎを起こしたが、その後、模範囚を続けた。
 (2245583)

1999年3月13日、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオン、マイク・タイソンに2連勝し、モハメド・アリとならぶ3度のヘビー級王座獲得を果たし、4度目の防衛戦となるイベンダー・ホリフィールド vs WBC世界ヘビー級チャンピオン、5度目の防衛戦となるレノックス・ルイス戦が行われた。
この一戦は統一戦だったが、多くの人が実績や格からイベンダー・ホリフィールドにレノックス・ルイスが挑戦する試合とみていて、体重で13.6kg、身長で7.6㎝、リーチで17.8㎝優るレノックス・ルイスにイベンダー・ホリフィールドが逃げずに戦って最終的に勝利者になることを期待していた。
「とにかく1番戦いたいのはホリフィールド。
その後、ヘビー級のベルトを統一したらタイソンにチャンスを与えてやってもいい」
とレノックス・ルイスはずっと対戦を希望していたが、マイク・タイソンへ戦で「金ではなく自分が最強であることを証明するため」といっていたイベンダー・ホリフィールドが、2000万ドル、2500万ドル、3000万ドルとファイトマネーをつり上げ、対戦を引き延ばしていた。
またイベンダー・ホリフィールドには、かなり以前からステロイド、筋肉増強剤使用の疑惑があり、スキンヘッド、心臓病はその副作用だといわれていた。
抜き打ち検査がないために、試合数ヵ月前に使用をやめれば痕跡は残らない。
「聖者みたいな顔をしやがって、あっちこっちに子供をつくりまくっている。
ホリフィールドはとんだ偽善者だ」
(レノックス・ルイス)
「私はホリフィールドにとても親近感を持っているのだが、彼にとって今回のルイス戦は最悪の悪夢になる。
彼は対戦を後悔することだろう。
私がイベンダーのスタッフだったらルイスとは対戦させない。
タイソンを破った時点で引退すればよかったと思うよ。
ルイスが精神を集中してリングに上がったならホリフィールドにはノーチャンスだ。
ルイスは強いジャブを持っている。
ホリフィールドは強いジャブを持つ相手には常に苦しんできたんだ。
それに多くの戦いをしてきた彼は腫れやすく切れやすくなっている。
パンチ力だってルイスの方がはるかにナチュラルなハードヒッターだ。
なにより重要なファクターは、ルイスは今まで得られなかった認知を得ようと非常にハングリーになっているという点だ。
ルイスには、あんまり(趣味である)チェスみたいなことを考えないでほしいんだ。
エモーショナルになってガンガン攻めて欲しい。
ルイスはまだポテンシャルの75%くらいしかみせていない。
ホリフィールド戦では、残り25%、少なくとも10%はみせて欲しいね」
(エマニュエル・スチュワード、レノックス・ルイスのトレーナー)
対するイベンダー・ホリフィールドは
「3RKO」
を宣言した。
「たしかに私の9人の子供のうち、5人までが私生児(未婚の母の生んだ子)だ。
2人は去年生まれた。
しかし私は偽善者などではない。
偽善者とは逃げる人々のことだ。
私は逃げない。
ルイスがなんといおうと彼の勝手だが、その代償は払ってもらうぞ。
私は28年と17週間もリングで戦ってきた。
リングで何が起こるのかは予測できる。
信じない人は3月13日を見ればいいさ」
「3R KOの予言は感心しないな。
だって1Rと2Rに起きたらどうするんだ?
それに私は、勝負を5R以降に持ち込みたい。
ハートがないとまではいわないが、ルイスは苦しくなったら逃げのファイトをすると思う。
あからさまに試合を投げることはしなくてもホールディングに終始するとか足で逃げ回るとかね。
一方、勝利をあきらめるくらいなら死を選ぶようなファイターがごく稀にいる。
アリとかホリフィールドがそうだ。
どんな試合でも5Rを過ぎたら意志の勝負になるんだ。
今回も5Rを過ぎたらホリフィールドのものさ」
(ドン・ターナー、イベンダー・ホリフィールドのトレーナー)

イベンダー・ホリフィールド vs レノックス・ルイス スーパーファイター達

試合が始まると、体重で13.6kg、身長で7.6㎝、リーチで17.8㎝優るレノックス・ルイスは、その巨体に似合わぬスピードで長いジャブをコツコツ当てて、イベンダー・ホリフィールドはこれが邪魔で入れない。
リーチで負けるイベンダー・ホリフィールドは飛び込んで左右フックを効かせたが、レノックス・ルイスは接近戦でも右アッパーとフックでロープに追い込む場面もあった。
7R、レノックス・ルイスの右ボディでイベンダー・ホリフィールドはロープに後退。
左フックを打ち返して前に出てクリンチ。
レノックス・ルイスはサイドに回っての右ストレート、右ボディ、さらに打ち下ろすような右、右アッパーでイベンダー・ホリフィールドはでフラつかせて右ボディ。
イベンダー・ホリフィールドは明らかに苦痛で体が曲げたが、ジャブをダブルで当ててパワフルな左フックを返した。
8R、イベンダー・ホリフィールドは前に出て右フックを顔面に。
外れてもさらに踏み込んでボディにフック。
さらに潜り込んで左ボディを当てるがいつものコンビネーションが出ない。
9R、イベンダー・ホリフィールドは踏み込んで左フックで顔面を狙うが、レノックス・ルイスはジャブを動き出しに当てて出鼻をくじき、さらに長い右を当てた。
イベンダー・ホリフィールドは打ち終わりに左フックを出したが間合いが遠い。
10R、イベンダー・ホリフィールドはガンガン出てきて左右フックを出したが、レノックス・ルイスはジャブを突いてクリンチして押し込んだ。
12R、イベンダー・ルイスは攻めたが思うように踏み込めないままゴングが鳴り、がっくり肩を落とした。
レノックス・ルイスは両手を上げた。
明らかにレノックス・ルイスが勝ったと思ったが、判定は116-113、113-115、115-115で1-1でドロー。
お互い、タイトルを獲得することも失うこともなかった。
この判定は議論を呼び、8ヶ月後、リマッチとなった。
1999年11月13日、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールド、イベンダー・ホリフィールドとWBC世界ヘビー級チャンピオン、レノックス・ルイスが再戦。
前戦同様、レノックス・ルイスが遠い間合いからパンチを突き、イベンダー・ホリフィールドは必ず打ち返すという展開になったが、イベンダー・ホリフィールドは前回よりアグレッシブに攻めハードな戦いとなった。
しかしヘビー級としては中型ながら真っ向から打ち合うタイプのイベンダー・ホリフィールドはパンチを受けることも多く、ヒットで優ったレノックス・ルイスが判定勝ちし、WBC、WBA、IBF統一世界ヘビー級チャンピオンとなった。

 (2245600)

2000年6月24日、マイク・タイソンがスコットランドでルー・サバリーゼと対戦。
ゴングが鳴り、長身のルー・サバリーゼはジャブを突いていった。
マイク・タイソンは動きながらかわし続け、低い姿勢から伸び上がるようにして左ロングフック。
この1発目のパンチでルー・サバリーゼはダウン。
起き上がったルー・サバリーゼをマイク・タイソンは容赦なくラッシュ。
レフリーが割って入ったが、マイク・タイソンは試合を止めているのかどうかわからず、そのままラッシュ、ラッシュ。
マイク・タイソン、ルー・サバリーゼ、レフリーがもみ合いになっている状態で、マイク・タイソンは右パンチを連打して、左のパンチを入れようとしたとき、それがレフリーの後頭部を入り、レフリーは落ちかけた。
レフリーは立ち続け、ここでマイク・タイソンも攻撃をやめた。
両陣営のセコンドがリングに上がり、試合は止まったが、そのままおそらくレフリーがマイク・タイソンの勝ちを宣告し、1R 0:38 TKOとなった。
試合の前、コカインとマリファナもちやったマイク・タイソンは、人工ペニスに他人のきれいな尿を入れて薬物検査をスリ抜けていた。
「マイク、これまでで最短の試合じゃなかったですか?」
「アッサラーム・アライクム(あなたに神の平安を、イスラム教徒が使うアラビア語の挨拶)
わからない。そ
うだ、レノックス・ルイス、レノックス、行くからな、待ってろよ」
「たくさん練習してきて、7、8秒で試合が終わってしまうと物足りなくないですか?」
「この試合のためには2週間ほどしか練習しなかった。
親友を埋葬しなくちゃならなかったからな。
(ブルクリン時代からの友人がギャング同士の争いで撃ち殺されていた)
その友人にこの試合を捧げた。
あいつの心臓をぶち破るつもりで戦った。
俺は史上最高、ボクシング史上もっとも残虐で、獰猛で、情け容赦ないチャンピオンだ。
俺を止められる者はどこにもいない。
レノックスは征服者か?
違う!
俺がアレクサンダー大王だ。
俺はソニー・リストンだ。
ジャック・デンプシーだ。
俺は彼らと同類だ。
俺に並ぶ者はいない。
攻めは強烈、防御は鉄壁、ひたすら獰猛だ。
お前の心臓が欲しい。
あいつの子どもたちを食らいたい。
アッラーを称えよ!」
 (2245586)

2000年8月12日、レノックス・ルイスが返上したこWBAのタイトルをめぐって、イベンダー・ホリフィールドと「静かなる男」、ジョン・ルイスが対戦。
イベンダー・ホリフィールドは、コンビネーションでダウンを奪ったが、ジョン・ルイスも持ち前のクリンチワークとタフネスで肉薄。
かなりの接戦となったが、イベンダー・ホリフィールドが判定勝ちし、4度目の世界ヘビー級チャンピオンへ返り咲いた。
2001年2月、リディック・ボウが自宅の私道で妻のテリに対して暴力を振るった容疑で逮捕。
リディック・ボウは、離婚訴訟を有利に進めるためにテリが行った自作自演だと主張したが、裁判所は妻と2人の子供に接触を禁じた。
2001年3月3日、イベンダー・ホリフィールドとジョン・ルイスとリマッチ。
前戦よりジョン・ルイスはアグレッシブで、イベンダー・ホリフィールドをアッパーでふらつかせるなどして判定勝ち。
イベンダー・ホリフィールドは王座陥落。
2001年4月14日、WBA、WBC、IBF、主要3団体のミドル級チャンピオンと1階級上げたフェリックス・トリニダードの4人による統一トーナメントで、IBF世界ミドル級チャンピオン、バーナード・ホプキンスとWBC世界ミドル級チャンピオン、キース・ホームズが対戦し、バーナード・ホプキンスが3-0で判定勝ちし、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオンとなった。
2001年9月29日、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオン、バーナード・ホプキンスとWBA世界ミドル級チャンピオン、フェリックス・トリニダードが対戦し、バーナード・ホプキンスが12R1分18秒TKO勝ち。
WBA、WBC、IBF統一世界ミドル級チャンピオンとなった。
2001年12月15日、イベンダー・ホリフィールドがジョン・ルイスと2度目のリマッチ。
試合は、ジョン・ルイスが前に出てパンチとクリンチ、パンチとクリンチを繰り返す凡戦になったが、判定はドローで防衛を果たした。
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師:カス・ダマトは亡くなり、唯一タイソンを叱ることのできた兄弟子でありトレーナーだったケビン・ルーニーも、タイソンの生む利益にのみ関心のある者たちによって引き離され、全盛期といわれる1988年以降、マイク・タイソンの神話は崩壊していった。
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イベンダー・ホリフィールド  圧倒的!!  無敵のクルーザー級時代。

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悲劇のロスアンゼルスオリンピックの後、プロに転向。超タフなドワイト・ムハマド・カウィとの死闘を制しWBA世界クルーザー級チャンピオンとなり、WBA、WBC、IBF、3団体のタイトルの統一にも成功。すぐに「最強」の称号を得るため、マイク・タイソンが君臨するヘビー級への殴りこみを宣言した。
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イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに

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幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。
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ジョージ・フォアマン 「老いは恥ではない」45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった象をも倒すパンチを持つ男

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1968年、メキシコシティオリンピックで金メダル獲得。 1973年、無敵のジョー・フレージャーを倒し世界ヘビー級チャンピオンになる。 1974年、モハメド・アリにノックアウトされ、やがてリングから消えた。 1994年、マイケル・モーラーを逆転KOで倒して再び世界チャンピオンなる。 アーチ・ムーアやロベルト・デュランなど40歳を超えても戦い続けたチャンピオンはいた。 しかしジョージ・フォアマンは10年間のブランクを経てカムバックし、しかも世界チャンピオンになった。 彼はその間、牧師をしていて、復帰の理由も慈善活動の費用を稼ぐためだった。 少年時代、小学校を留年し中学校を卒業できず犯罪にさえ手を染めた彼が・・・ 圧倒的な強さ、栄光、勝利、すべてを失うような敗北、そして奇跡のカムバック。 まさにアメリカンドリーム。
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孤高の求道者は今なおボクシングの夢を追う、西島洋介山!

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日本クルーザー級のパイオニアとしてその名を轟かせた西島洋介山を知らない人はいないだろう。手裏剣パンチを武器に闘った地下足袋ファイターは、そのボクサー人生の多くをアメリカで過ごした。またボクサーとして現役を退いた後には、日本国内で総合格闘技やキックボクシングにも出陣することに。様々なバックボーンを持ったファイター達とリング上で相見えてきた西島洋介山、孤高のボクサーはその拳にどんな想いを乗せて闘っていたのだろうか。

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