この2ndも凄ぇぇぇ!!。1曲目のゲリラ・ギャングからパワー全開!!。疾走感という点では前作に一歩譲るが、このアルバムではそれに替わって整合感が出てきています。それにしても、MASAKIのヴォーカルはほんとに凄い。バクチク?黒夢?NO、NO、NO!!日本にはそいつらよりも強力なバンドが一昔以上まえにいたんだってことがこのアルバムを聴けば分かってもらえるはずだ。ジャパメタの一括りで語るのが本当に勿体無いバンドだ。
バンド名を『E・Z・O(イーズィーオー)』に改名
渡米直後に所属事務所をアミューズに移籍し、バンド名も『FLATBACKER』から『E・Z・O(イーズィーオー)』に改名しました。そしてアメリカのゲフィン・レコードと契約をかわし、プロデューサーにキッスのジーン・シモンズを迎え、1987年に1stアルバム『E・Z・O』を発表しました。
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アミューズの戦略により歌舞伎を彷彿させるメイクを施し、当時アメリカでショー・コスギが忍者ブームを巻き起こしていたことに着目し『忍者メタル』として売り出す。
MASAKI(風)SHOYO(火)TARO(地)HIRO(水)
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【視聴コメント】
聴けば聴くほど味が出るアルバム。
フラット・バッカー時代にはなかった品格が備わり、芸術的な音楽を創造している。
様式美やスラッシュでもなく、また、ジャパニーズHM臭さもないオリジナリティーを有している。
個々の楽曲云々よりもアルバム・トータルで一つの世界が完結する、といった印象。
時代が変わっても淘汰されない存在感は見事である。
ジャーナリズムに取りあげられることは比較的少ないが、HM史上に残る上質なアルバムである。
あまり空間処理をほどこしていないディストーションを抑え気味のギターが味わい深い。
1987年には、、アメリカのハードロックバンド『ガンズ・アンド・ローゼズ』とのクラブツアーも実地し、1990年では隈取りメイクを落とし、2ndアルバム『FIRE FIRE』をリリースしました。
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【視聴コメント】
2枚目にして最期のアルバム。アメリカ最大手のGeffenも、こういうバンドにこそ金を掛けるべきだった。せめてGuns N'RosesやWhitesnakeの10分の1でも良かったから。
タイトル曲は日本のハードロック/へヴィメタル史上最強の出来栄え。EZOの持っている全ての良い面が聴ける。
特に中間部のギターがアコギに変わる部分は鳥肌物。狙いはLed Zeppelinだったのだろうか? そしてその後に続くソロもこれ以上ない感動の一節である。全ての面において日本のメタル史上の頂点に位置する大名盤。
バンドはアメリカで生活し、ツアーなどをしていましたが、日本では1度もツアーを行いませんでした。そして、1990年にバンドは解散しました。
解散後
解散後、MASAKIはLOUDNESSにボーカリストのマイク・ヴェセーラの後任として加入。HIROは1991年に浜田麻里のサポートドラマーとして依頼を受けたことで帰国。後にLOUDNESSからドラムの樋口宗孝が脱退すると、HIROが樋口の後任として加入する。
2000年にLOUDNESSがオリジナル・メンバーでの復活後、MASAKIはニューヨークを拠点に現在はFiRESiGNなるバンドで女性シンガーを従え、ベース兼バックボーカルとして活動している。
一方でHIROはLOUDNESS時代に柴田直人と知り合ったこともあり、2001年以降再始動したANTHEMに参加していたが2012年、2008年のバイク事故による足の怪我が悪化したことにより一時離脱、2013年に正式に脱退が発表された。
EZO時代にグリーンカードを取得したSHOYOはアメリカ在住のまま第一線から退いており(同じくジャパメタの人間でアメリカに移住したMORRIEのソロアルバムに参加したことはある)、寿司職人として『SUSHISAMBA』に勤務し、「EZOロール」という独自の巻き寿司を出している。
TAROはミュージシャン業から足を洗い、現在はSPEEDSTAR RECORDSのA&Rディレクターとして所属し、くるりやハナレグミ、高田漣などの担当をしている[6]。
映像関連
Flatbacker 1985.09.08 - YouTube
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Flatbacker - Guerrilla Gang - YouTube
From餌 -ESA-(1986)
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フラットバッカー ハードブロー - YouTube
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FLATBACKER - MIMIZU - YouTube
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