ホームランキング 王貞治の1本足打法   Flamingo Style Butting of Homerun King Sadaharu Oh.
2017年3月30日 更新

ホームランキング 王貞治の1本足打法 Flamingo Style Butting of Homerun King Sadaharu Oh.

王貞治の澄んだ瞳と誠実さは尋常ではない。 個性とバカ話が渦巻く野球界にあって、ひと際、異彩を放っている。 しかし単なるお人好しじゃない。 鉄拳制裁や、、道場通い、刀を握っての練習などは、まさに鬼の所業だった。 三振王からホームラン王に、さらに世界の王となった現役時代の王貞治の軌跡を、一本足打法を中心にまとめてみました。

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ダウンスイング

 (1849290)

野球のバットスイングは、大きく
・レベル(水平)スイング
・アッパー(振り上げ)スイング
・ダウン(振り下ろし)スイング
の3つに分けることができる。
当時の野球は、アッパースイングがよいとされた。
しかし荒川はダウンスイング主義者だった。
重いバットを振るとどうしてもバットの先は下がっていく。
その力を利用するために、ボールを上からみるように構えて、バットはトップからボールまで最短距離で振り下ろすのである。
王は、レベル、あるいはアッパースイングだったが、ダウンスイングに矯正された。
 (1849291)

巌の身

 (1849301)

荒川は、バッターボックスに立ったとき、巌の身になるよう指導した。
「巌の身」とは、
宮本武蔵の剣の極意で、
「岩尾の身と云うのは、動くことなくして強く大きな心」
「磐石のごとく成て万事当たらざる所、動かざる所」
だという。
王は、この動かざる姿勢を練習した。

軽く、柔らかく、逆らわず

「歩く」を変えて、美脚美人/ワタシStyle[キレイスタイル] (1849305)

スタンスは球道と平行に立つ。
前(右)肩は、下げすぎず、かつキャッチャー側にねじり過ぎないように。
右手は、軽く、柔らかくバットを持って、十分、後方にに引かれているように。
そしてボールが来たら、手で打つのではなく、ボールを引きつけて腰で打つ。
このように
「球道に逆らわず、打つことがバッティングの真髄。」
と荒川は指導した。
王のスタンスは、内角に対抗するために開き気味だったが矯正され、バットの握りも固かったが、傘を持つように軽く、柔らかくした。

ノーステップ

真髄・打つ 王貞治

バッティングは、十分な体重移動がなければスイングできない。
体重は、最初は後ろ足へ、それから前足へ移動する。
一般的に、ロングヒッターほど、この体重移動が大きく、スイングも大きい。
まだ2本足打法だった王に、荒川はノーステップ気味にするように指導した。
ボクシングや剣道では、短い距離で攻撃が繰り出され、それに対応する。
それと同じように、瞬間的にボールが来たら、瞬間的に自然に打つためステップを指導した。
王も、それまでタイミングをとって打っていたが、力まず軽く、そして気は抜かずに構えた。
そのスタンスは狭くなった。
1歩足打法は、2本足で立っている姿勢から、1本足になる。
2本足から1本足になるときに体の移動があり、その移動の時にスタンスが広ければ広いほど1本足になるときに姿勢が崩れやすい。
だからスタンスは狭い方がよかった。
ピッチャーが、どんなタイミングで、またどこに投げても、王は、いつでも打てる姿勢で待って、いつでも打てるようなフォームを目指した。

「間」「気」

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合気道の創始者:植芝盛平は、「間」について、
「間なんていうものは必要ない。
あるべきでもない。
合わすべきでもない。
相手があると思ってはいけないし、相手があるとしたら掌握しなければならない(相手と感じてはいけない)。」
という。
現役時代、荒川は、長年、合気道の稽古を続けた。
その鍛錬の中から得た「間」と「気」を、バッテイングに応用した。
そして王に「間」と「気」について
「打球が来たら打てばいい。」
と指導した。

合気道

 (1850161)

荒川同様、王も実際に合気道の道場に行き、稽古を行った。
合気道の基本を学び、相手の力を使う(投手がボールに与えた力をうまく利用する)ことや、「気」をバッティングに応用していった。
力任せにバットを振るのではなく、ピッチャーが球に込めた力を利用してボールを弾き返すほうがより強い打球が打てた。
また「気で打つ」といって、臍下丹田(ヘソの下10㎝辺り)の1点に気を集中し、球が来たら体全体でボールを打った。

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