2016年11月25日 更新
アルゼンチン元エース、ディエゴ・マラドーナは悪童だったのか?神の子だったのか
ディエゴ・マラドーナは、アルゼンチン・リーグ史上最年少(13歳)でプロデビューし、ボカ・ジュニアーズなどを経て欧州に渡った。FCバルセロナではさまざまな問題に陥り活躍しきれなかったが、SSCナポリではセリエA優勝2回、UEFAカップ優勝1回の動力源となり、「ナポリの王様」としてファンから愛された。アルゼンチン代表エース10番として1986年の本大会で優勝、代表でも大活躍したが、1997年に現役引退から年月が経った現在でも彼の信奉者多い。特にアルゼンチンではマラドーナを「神の子」と崇拝され、ナポリでは「フットボールの王様」として讃えられている。
1977年に歴代最年少(16歳)でアルゼンチンA代表にデビューし、1979年にはU-20アルゼンチン代表としてFIFAワールドユース選手権で優勝して大会最優秀選手に選ばれた。
アルゼンチン初代表
弱冠16歳の代表
プロデビューから間もなくアルゼンチン代表に招集され、1977年2月16日、ハンガリーとの親善試合に途中出場し、16歳にしてA代表の最年少出場記録を樹立した。翌年に地元アルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップには最終候補の25人に残るも、残念ながら「経験不足」という理由により大会登録メンバーから外れた。マラドーナはこの落選を「人生に永遠に残る、決定的な、一番大きな失望だった」と語る。一方この地元開催のワールドカップでは、同じアルゼンチン人のFWマリオ・ケンぺスが得点王になり、大会最優秀選手(MVP)となった。
1979 FIFAワールドユース選手権
U20チームのキャプテンとして、日本で開催された1979 FIFAワールドユース選手権に出場。6試合中5試合で6ゴールを決め、ワールドユース初優勝に貢献した。チームメイトのラモン・ディアスが8ゴールを挙げてゴールデンシューズ賞(得点王)となり、マラドーナはゴールデンボール賞(MVP)に選出された。圧倒的な攻撃力をみせたアルゼンチンユース代表について、マラドーナは「文句なしに、自分のキャリアの中で一番素晴らしいチームだった」と語る。
1982 FIFAワールドカップ スペイン大会
アルゼンチン代表は1978年大会優勝メンバーにマラドーナ、ディアスらユース世代を加え、1982 FIFAワールドカップに出場した。21歳のマラドーナは10番を付けて出場し、第1ラウンド2戦目のハンガリー戦でワールドカップ初ゴールを含む2得点を挙げた。
第2ラウンド緒戦イタリア戦では「殺し屋」ことジェンティーレに徹底的にマークされた。続くブラジル戦では味方選手がファウルを受けた際、バチスタの下腹部を蹴り、報復行為でレッドカードを受けた。実はこの時マラドーナはブラジルのジーコ率いる「黄金のカルテット」のパス回しに翻弄されており、「逆ギレ」してチームは1-3で大敗し、大会を去った。
マラドーナのための大会
1986年メキシコワールドカップ優勝
伝説の名実況 「マラドーナの5人抜き」 NHK山本アナ
1985年5月に約3年ぶりに代表に復帰。ビラルド監督はマラドーナをキャプテンに指名し、その個人能力を活かすチーム作りを行った。マラドーナは右膝に負傷を抱え、チームの成績も芳しいものではなく、当時のチームはメディアから「史上最弱」と酷評されていたが、1986 FIFAワールドカップが始まると一転して華々しい活躍を見せた。グループリーグ初戦韓国戦ではチームの3ゴールすべてをアシスト。イタリア戦ではボレーで同点ゴールを決め、ブルガリア戦でも1アシストを記録した。
準々決勝 アルゼンチン対イングランド 5人抜きゴールと神の手ゴールと
5人抜きの序曲」
試合前には3年前のフォークランド紛争の因縁もあって両国メディアの舌戦が続いたが、その試合はいわゆる「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルを記録を樹立したした試合として知られた。相手は名もない弱小チームではなく、ゲーリー・リネカー率いるサッカーの母国イングランド。後半4分、ペナルティエリアに走りこんだマラドーナと浮き玉を処理しようとした相手GKピーター・シルトンと交錯したが、マラドーナは空中のボールを素早く左手ではたき、ボールはそのままゴールインした。シルトンをはじめイングランドの選手はマラドーナのハンドを主張したが、審判は彼の得点を認めた。その4分後にはセンターライン付近でパスを受けると単独で60m近くドリブルし、5人を抜いて無人のゴールにボールを蹴りこんだ。前者の得点については「本当は手で触れたのだが、神の思し召しにより許された」という趣旨の発言をしたことから「神の手」ゴールという呼称が広まった。
神の手ゴール
その後のワールドカップ大会
1990 FIFAワールドカップ イタリア大会
本大会では不調といわれながらもグループリーグ全試合に出場し、ソビエト連邦戦では自陣ペナルティエリア内で手を使ってシュートを防ぐ2度目の「神の手」を見せた。決勝トーナメント1回戦のブラジル戦では、ドリブルで相手4人を引きつけながら右足でカニーヒアへ絶妙のパスを送り、決勝ゴールをお膳立てした。
準決勝は所属クラブの本拠地ナポリで、開催国イタリアと対戦し、勝利した。決勝の西ドイツ戦では、ブッフバルトのマークに沈黙。敗戦後は人目をはばからず号泣するマラドーナの姿が人々に記憶されている。
西ドイツ優勝に涙
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