悲しみの【ボビー・ミッチェル】雨に消えた2本のホームラン
2016年11月25日 更新

悲しみの【ボビー・ミッチェル】雨に消えた2本のホームラン

1976年から79年日本ハムに在籍した伝説の外国人助っ人。当たればホームラン、そうでなければ三振。在籍した4年間で4度の三振王。身長193センチ、大型扇風機と呼ばれた男の悲劇とは?

3,775 view

”本塁打王”とはなったが

 また、ミッチェルは大沢監督に嫌われていたようであった。79年ミッチェルと同僚だったサム・ユーイングは、大沢監督に対して猛抗議した。
ボビー・ミッチェルが、大沢啓二当時ファイターズ監督に不当に扱われていると感じたサム・ユーイングは、怒りを露に大沢監督に詰め寄った。
 「他の選手だって同じようなミスをしているのに、なんでミッチェルだけ罰金をとられなきゃいかんのだ。こんな馬鹿のクソまみれな話、聞いたことがない」と激怒。対する大沢監督も、「俺はチームの監督だ。もしも、俺のやり方が気に入らんというのなら、とっとと出て行きやがれ」と反論した。
 ミッチェルは、79年で解雇となり、ユーイングは翌年80年も在籍したが、オープン戦後に任意引退となりチームを去った。
日本ハム・大沢監督が…|ponpon1223さんのブログ (1532330)

1978年も相変わらず三振は多かったが、36本塁打、93打点と好成績を残し、打率も.274と基準点をマークする。さらにこの年は初の本塁打王を獲得する。またこの年は、オールスターゲームにも選ばれており、このゲームの初打席でも本塁打を打っている。
1979年は、打撃3部門の成績を前年よりも落とす成績となり、この年限りで解雇。日本ハムに在籍した4年間、全てパ・リーグの最多三振を記録した。
 「帰国して牛乳配達をするのはゴメンだ」と口癖のように言っていたが、米国に戻ってからの足取りははっきりしていない。
via ボビー・ミッチェル(1943年生の外野手)-Wikipedia
ウォルター・ウィリアムス

ウォルター・ウィリアムス

身長167センチ。長身のミッチェルと凸凹コンビと呼ばれた。
 筆者は、小学生の頃は巨人ファンであった。しかし中学生になると、天邪鬼なところもあったのか、同じ後楽園を本拠地とするチームでも、人気面では正反対の日本ハムファンに宗旨替えをした。高橋一三と富田勝が巨人から日本ハムにトレードされたことも影響したのかもしれない。また、席がガラガラで見に行きやすいというのも良かった。そして、ファンクラブの少年ファイターズに入会した。年会費が千円か2千円で内野席がフリーパスだったと思う。帽子やら、ガイドブック、ブロマイドなど豪華なグッズもたくさんもらえた。少年たちにとって最高なファンクラブだった。だから、78年の”球宴ジャック事件”の時も、純粋な気持ちで頑張って投票をした。
 ミッチェルと、2年で日本を去ったウィリアムスとのコンビは強く印象に残っている。首がなく顔からすぐ下が胴体で「ノーネック・ウィリアムス」というあだ名だった。外野の守備につくときに必ず2塁ベースを踏んでいくので、外野をやっている少年たちはよくそれをマネをしていたものだ。
 ”三振かホームラン”のミッチェルと愛嬌たっぷりのウィリアムスの凸凹コンビ、その後の”怪人”ソレイタと”ガッツマン”クルーズのコンビ、この助っ人外国人たちがいた日本ハムは面白い時代だった。
28 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【訃報】大島康徳さん5年に及ぶ闘病の末に死去。野球界から悲しみの声が続々と

【訃報】大島康徳さん5年に及ぶ闘病の末に死去。野球界から悲しみの声が続々と

元プロ野球選手で、日本ハムで監督を務めた大島康徳さんが6月30日、大腸がんのため亡くなっていたことが明らかとなりました。70歳でした。
隣人速報 | 2,175 view
巨人と台湾のOB選抜戦で、王貞治が「一本足打法」を披露!両軍ナインはベンチ前で整列、球場のファンは総立ち!

巨人と台湾のOB選抜戦で、王貞治が「一本足打法」を披露!両軍ナインはベンチ前で整列、球場のファンは総立ち!

両国のレジェンドが集まった巨人と台湾のOB選抜戦は15-11で巨人OB選抜が逆転勝ちした。試合では”世界のホームラン王”の王貞治氏が1968年の台湾キャンプ以来、48年ぶりに故郷で打席に入り、豪快なスイングを披露した。
サモアの怪人【トニー・ソレイタ】に”おソレイッタ”

サモアの怪人【トニー・ソレイタ】に”おソレイッタ”

「おソレイッタ」「それ行ったー」とスポーツ紙上に見出しを躍らせ、日本ハムで4年間の在籍期間に本塁打155本を記録した”サモアの怪人”。”〇〇の怪人”の名はソレイタから始まったのだ。
tiro | 3,530 view
【訃報】“怪童”と呼ばれた元プロ野球選手・中西太さん死去。野球界からの哀しみの声が続々と

【訃報】“怪童”と呼ばれた元プロ野球選手・中西太さん死去。野球界からの哀しみの声が続々と

現役時代に“怪童”と呼ばれたプロ野球選手で、西鉄ライオンズ、日本ハムファイターズなど5球団で監督や監督代行を務めた中西太(なかにし ふとし)さんが11日、心不全のため東京都内の自宅で亡くなっていたことが明らかとなりました。90歳でした。
隣人速報 | 346 view
【プロ野球】1試合で記録!1人が9ポジション守った!10投手が登板した!1974年の珍記録

【プロ野球】1試合で記録!1人が9ポジション守った!10投手が登板した!1974年の珍記録

過去のペナントレース公式戦で、1人の選手が全9ポジションを守った試合がありました。しかも、1試合の中でのことです。さらにこの試合には、10人もの投手が登板しています。そもそも選手交代やポジション変更の厳密なルールを遵守した上で、そんな選手のやりくりが可能なのでしょうか?実際に何があったのか見てみましょう。
izaiza347 | 808 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト