『みちづれ』は牧村三枝子の12枚目のシングル
みちづれ 牧村三枝子
アイドルのようにかわいらしいですよね!!
所属事務所の社長から「ミーコ」と呼ばれ可愛がられていたそうです。
所属事務所の社長から「ミーコ」と呼ばれ可愛がられていたそうです。
via www.youtube.com
牧村三枝子 みちづれ
お着物姿もとても素敵ですね!曲としっくりきますね!
via www.youtube.com
ヒットまでの道のり
ヒット曲も多数あり、順風満帆な歌手人生を歩んでいるように見える牧村さん。しかし最初のヒット曲となった『みちづれ』に出会うまでは大変な苦労があったそうです。
2016年にテレビ番組でエピソードを語られていました。
2016年にテレビ番組でエピソードを語られていました。
徹子の部屋 7月27日 ! 徹子の部屋 牧村三枝子 - 16.07.27
via www.youtube.com
牧村三枝子さんは、北海道美唄市出身の5人兄弟の末っ子として生まれました。
via www.photo-ac.com
炭鉱夫であった父が、40代後半になると長年の炭鉱勤務による疲労から、体が衰弱し、ほとんど働くことが出来なくなりました。牧村さんはまだ小学校に入るか入らないかの頃です。
そして母の食堂での皿洗いだけが収入源になります。
暮らしぶりといえば、6畳一間に家族7人がすし詰め状態。極貧生活だったそうです。
そして母の食堂での皿洗いだけが収入源になります。
暮らしぶりといえば、6畳一間に家族7人がすし詰め状態。極貧生活だったそうです。
via www.photo-ac.com
牧村さんが15歳のとき、歌手になることを決意。上京し、釣り具店で働きながら歌手の道を目指します。
19歳の時に『少女は大人になりました』で歌手デビュー。しかしその後レコードを数枚出すものの全く売れなかった。一方で両親が暮らす美唄でも炭鉱が閉山してしまい、両親は完全に職を失い、そんな両親を放っておけず、牧村さんは、わずかな稼ぎから仕送りをし続けました。
19歳の時に『少女は大人になりました』で歌手デビュー。しかしその後レコードを数枚出すものの全く売れなかった。一方で両親が暮らす美唄でも炭鉱が閉山してしまい、両親は完全に職を失い、そんな両親を放っておけず、牧村さんは、わずかな稼ぎから仕送りをし続けました。
via www.amazon.co.jp
渡哲也に『みちづれ』をいただく
レコードがなかなか売れない苦しい時期が8年程度続きました。
そんなある日、所属レコード会社の先輩歌手にあたる渡哲也さんのシングル曲『みちづれ』を偶然聞き、この曲を歌いたいと直談判したのです。
そんなある日、所属レコード会社の先輩歌手にあたる渡哲也さんのシングル曲『みちづれ』を偶然聞き、この曲を歌いたいと直談判したのです。
via mojim.com
その結果、渡さんは快諾してくれたのです!!
さらに渡さんは牧村さんのために自分の『みちづれ』を廃盤にし、牧村三枝子さんのレコードが自分のレコードと間違いなく売れるように配慮してくれたそうです。
なんて素敵なエピソードなんでしょうか!渡さんの男気を感じますね。
そんなエピソードを聞いてしまうと、渡さんのレコードも欲しくなっちゃいます!!
さらに渡さんは牧村さんのために自分の『みちづれ』を廃盤にし、牧村三枝子さんのレコードが自分のレコードと間違いなく売れるように配慮してくれたそうです。
なんて素敵なエピソードなんでしょうか!渡さんの男気を感じますね。
そんなエピソードを聞いてしまうと、渡さんのレコードも欲しくなっちゃいます!!
道連れ 渡哲也
とても素敵な歌声です!廃盤なんてもったいない。とても後輩おもいな渡さんですね。
via www.youtube.com
そんな牧村さん、現在も独身なのですが、その理由は牧村さんいわく『結婚したい男性は、先輩でお世話になり『みちづれ』を私に下さった渡さん、亡くなった石原裕次郎さんの二人だけ。私が21歳の頃にそのお二人と出逢ってからは、他の男性に一切目が行かなくなった」とのことです。
確かに、20代のころにこんな男気ある二人に出会ってしまったらほかの人に目がいかなくなるのも分かるかも。。
確かに、20代のころにこんな男気ある二人に出会ってしまったらほかの人に目がいかなくなるのも分かるかも。。
作詞:水木かおる
作曲:遠藤実
1979年第21回日本レコード大賞 ロング・セラー賞
1979年度年間9位(オリコン)
累計売上110万枚