1983年 - 中村、片桐、久米兄弟が脱退。その後、久米兄弟は「B・A・T」を結成し、高田、覚田は、ベーシスト・炭谷貴士とコカ・コーラのテレビCM「Yes Coke Yes」に出演。
1984年 - 織田哲郎が作品として初めてプロデュースをしたアルバム「東京ストリートロッカー」を発売。
殆どの作曲・編曲・プロデュースを織田哲郎が、作詞を小暮陽が担当しており、「バーニング・ラブ」のみは自作である。
1985年 - コカ・コーラのテレビCM「Coke is it!」に出演。
via youtu.be
via www.fanfan1.com
1986年 -グループ解散。1994年 - 高田、覚田の2人で再結成。1999年まで活動する。
BLACK CATSのバンド名からとった場所がある!
原宿にある「キャッツストリート/キャットストリート」
当時原宿に「ガレッジパラダイス」、渋谷に「クリームソーダ」というロカビリーのショップがあり、その道に「BLACK CATS」の出待ちファンが行列を作ったことからそう呼ばれるようになりました。
via blogs.c.yimg.jp
via pds.exblog.jp
原宿から渋谷まで行く途中のキャッツストリートは、有名な通り道です。
なぜ、店員をやりながらバンドをしているのか?
ボーカルの覚田修がインタビューでこう答えていました。
ボクもキャロル以来いろんなグループを見てきたけれどプロのミュージシャンになってしまったら生活までめちゃくちゃにされてしまうからあくまで店員のままやっていくならと思っています。
一生に一度、1回ぐらいなにかの為に集中した時期があった方がいいと思うし 店員とバンドのかけもちでメンバーも大変だけどそういう時期になるのならいいんじゃないですか。
だからレコード会社も店から一番近い所にあるのにしたんです。たくさんのグループの成功と失敗を見てますからね。ミュージシャンになることだけがすべてじゃないと言ってるんですよ生活があってそれから音楽でしょ。まぁ、どうなるか先の事はわからないけどやれるところまで思いっきりやらせてみるつもりです。」
当時のバンドメンバーの私生活はというと・・・。
6人が住んでいるアパートを見りゃビックリ。すでにスーパーミュージシャンの暮らしぶり、20畳のワンルーム、アーリーアメリカンの気分で私生活もロカビリー、しかもこのアパートはクリームソーダの社員寮、寮とはいえど
2億円のビルというんだから開いた口がふさがらない。
凄い私生活でびっくりします!!
また、中村元(ベース)在籍では、唯一のオリジナルアルバムでもある。12曲中8曲は自作曲。