鳴り物入りで入団も…期待外れだったJリーグ助っ人外国人特集!
2017年12月12日 更新

鳴り物入りで入団も…期待外れだったJリーグ助っ人外国人特集!

2017年シーズンから、元ドイツ代表FW・ポドルスキが、Jリーグのヴィッセル神戸でプレーしています。11月末現在までのスタッツを見ると、破格の年俸のわりに結果は今一つ…。思えばこのような鳴り物入りで入団したのにもかかわらず、結果が伴っていない外国人選手は、これまでに何人もいたものです。そこで今回、期待外れだったJリーグの助っ人外国人を、何人かピックアップして紹介します。

13,351 view

マイヤー(オランダ)‐ヴェルディ川崎・1993年シーズン在籍

ヘニー・マイヤー…。彼の名は、1993年5月15日、日本サッカー史に未来永劫語り継がれることとなりました。なぜなら、この日行われたJリーグ開幕戦「ヴェルディ川崎vs横浜マリノス」において、記念すべきJリーグ第1号ゴールとなる豪快なミドルシュートを叩き込んだからです。
しかし、それ以降は目立った活躍もなく11試合2得点という成績を残し、わずか半年あまりで退団。重要な“始点”となる得点を記録したがため、1000ゴール、5000ボール、10000ゴール、20000ゴールと、メモリアルゴールの達成が近づくたびに、この無名外国人について言及されることになったのでした。同じ外国人でも、せめて、ラモン・ディアスあたりが決めてくれればよかったのですが…。

【公式】特集:J1通算20,000ゴールを決めるのは!?過去のメモリアルゴールを振り返る

ウーベ・ラーン(ドイツ)‐浦和・1993~1994年シーズン在籍

ブンデスリーガ通算106得点。ドイツ年間最優秀選手賞(1986年)、ブンデスリーガ得点王(1986~87シーズン)も獲得…。元ドイツ代表FWウーベ・ラーンの実績は、とにかく抜群でした。

しかし鳴り物入りで入団した浦和レッズにおいては、13試合出場で得点はわずか1。シーズン途中からは、故障者続出のチーム事情により、ボランチやセンターバックをやらされるという散々な扱いを受け、1994年シーズンは1試合も出場することなく、そのまま退団&現役引退してしまいました。

Best of Uwe Rahn - Skills and Goals

ゲーリー・リネカー(イングランド)‐名古屋・1993~1994年シーズン在籍

ご存じ、Jリーグ初期を彩るダメ外人の代名詞的存在。当時のJリーグ最高年俸となる3億円をもらっておきながら、2年間の通算成績は18試合出場・4得点。でも、ワールドカップメキシコ大会(1986年)や、プレミアリーグの異なる3つのクラブ(レスター・シティ、エヴァートン、トッテナム)で得点王に輝くなど、昔はすごい人だったんです!
ゲーリー・リネカー

ゲーリー・リネカー

ゲーリー・リネカー ゴール集

ミューレル(ブラジル)‐柏レイソル・1995年シーズン在籍

ブラジル代表として、56試合に出場して20得点。1986年、1990年、1994年のワールドカップにも出場したその実力は、間違いなく本物でした。1993年から柏に所属するカレッカとの「セレソンコンビ」で得点量産が期待されていたものの、リーグ戦11試合出場で5得点。しまいには、「妻がホームシックだから」とか適当な理由をつけて辞めていきました。
ミューレル

ミューレル

マッサーロ(イタリア)‐清水・1995~1996年シーズン在籍

イタリアの名門ACミランから、清水エスパルスへやってきたダニエレ・マッサーロ。当時世界最強リーグと謳われていたセリエAで、通算77ゴールをたたき出した実力者ゆえに、さぞかし大暴れするんだろうと期待されましたが、2年間で20試合10得点と今一つ。移籍初年度の途中からはベンチ入りすらできなくなり、華々しかった現役生活を異国の地・日本で、寂しく終えることとなったのでした。
ダニエレ・マッサーロ

ダニエレ・マッサーロ

©S-PULSE

元イタリア代表のマッサーロがJリーグ初ゴール!【あの年の今日】

ゴイコエチェア(スペイン)‐横浜・1998年シーズン在籍

1990年代前半、ヨハン・クライフ監督の哲学を体現したFCバルセロナ、通称“エル・ドリーム・チーム”における右サイドのスペシャリストとして躍動したのが、このゴイコエチェアです。1998年に横浜マリノス移籍後は、バルサ時代の同僚でFWのフリオ・サリナスとのコンビが期待されましたが、サリナスが得点を量産してチームの勝利に貢献する中、ゴイコエチェアは存在感を示せず。結局、わずか1年でスペインへ去っていきました。
28 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

名古屋グランパスがJ2降格!Jリーグ開幕初年度から参加し続けた"オリジナル10"の1チームだった

名古屋グランパスがJ2降格!Jリーグ開幕初年度から参加し続けた"オリジナル10"の1チームだった

接戦となっていた残留争いは、名古屋グランパスが来季J2に降格することで決着した。クラブ初のJ2降格となった。かつては今期監督を務めた小倉隆史やリネカー、ストイコビッチ、福田健二らが在籍していた。また、90年代前半にはマラドーナ獲得の話もあった。
Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち

Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち

1993年に日本初のプロサッカーリーグである華々しくJリーグが開幕を果たし、天才と評された選手や、海外のスタープレイヤーがJリーグのピッチに立ちましたが、なかには期待外れと言わざるを得ない結果で終わった選手も。ここでは、そんな「Jリーグ初期の期待外れで終わった選手たち」にフューチャーしていきます。
yt-united | 66,964 view
【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

【訃報】元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが死去。イタリアW杯、ジュビロ磐田などで活躍

「トト」の愛称で親しまれ、1990年のイタリアワールドカップなどで活躍した元サッカー選手、サルヴァトーレ・スキラッチさんが18日、結腸癌のためイタリア・パレルモの病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。59歳でした。
隣人速報 | 122 view
天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

天才・小野伸二が引退。本人も「怪我がなければ…」というフィリピン戦で負った大怪我とは?

サッカー元日本代表で北海道コンサドーレ札幌のMF・小野伸二(44)が3日、明治安田生命J1の最終節・浦和レッドダイヤモンズ戦で、現役ラストマッチを迎ました。
隣人速報 | 402 view
とにかく明るい丸山桂里奈   数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

とにかく明るい丸山桂里奈 数々の栄光と失敗、おもしろエピソード

よく「何にも考えてなさそう」「何も悩みがなさそう」「なんでそんなに明るいの?」といわれる丸山桂里奈だが、決してサッカー人生なにもかもがうまくいったわけではなく、どちらかというと苦労人。だけど明るい理由は「いつかきっと笑ってサッカーをする日が来る。その日のために・・・・」という気持ちだった。
RAOH | 858 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト