長い下積みから大輪の華を咲かせた、屈強のサラブレッド「イナリワン」
2016年11月25日 更新

長い下積みから大輪の華を咲かせた、屈強のサラブレッド「イナリワン」

大井競馬場でデビュー後、4歳まで地方で競走馬生活を送り、5歳になってやっと中央入り、その後GⅠ制覇を果たし、オグリキャップ・スーパークリークとともに「平成3強」と呼ばれるまでになった「イナリワン」を振り返る。

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3強の一角誕生

1984年5月7日、北海道紋別にのちのイナリワンが誕生します。
父方の血統は良血ながらも、生まれた当初はあまり目立った存在ではありませんでした。
2歳の時に大井競馬場の調教師・福永二三雄(福永洋一元騎手の兄、福永祐一騎手の叔父)に見いだされ、千葉の牧場での訓練後、3歳の時に福永二三雄厩舎へ入厩します。
 (1704009)

母はテイトヤシマ、父は米国産馬ミルジョージ(凱旋門賞馬ミルリーフの子)。母テイトヤシマは、後に廃用となってしまいます。
父方は良血ながら、イナリワンが生まれたころは、まだ産駒が活躍しておらず、イナリワン自身の馬体が小さかったこともあり、注目を浴びることはありませんでした。しかし、小さいながらもパワフルでバネのある肉体が、福永調教師の目に止まったようでした。

激しい気性と強靭なパワー

1986年、数え3歳の時に大井競馬場の福永厩舎に入厩し「イナリワン」が誕生します。
彼の馬房の壁には、畳が張られました。パワーが強いうえに気性が激しく、壁を蹴り上げるので、脚を傷めないようにするためでした。その気性の荒さは、のちのレースで事故を招くことになります。
デビュー戦は遅く、12月9日の大井新馬戦でした。2着に4馬身差をつけての見事な勝利でした。
1987年、数え4歳になった第2戦、1月2日に事故が起きます。
レース直前、ゲート内で頭部をぶつけ、前頭骨打撲で出走取消、そのまま療養に入り、春のレースをすべて回避するのでした。

連勝街道まっしぐら

充実の4歳

復帰戦は大井・5月20日でした。2着を2馬身はなして1着でゴール。休み明けとは思えない強さでした。その後も、勝ち続け、11月、長丁場の東京王冠賞(現在は廃止されている)2600mも制し、4歳ラストランの船橋・東京湾カップも勝利し、デビューから破竹の8連勝!すべて1番人気での勝利という快挙をやってのけたのでした。
南関東最強の4歳馬と称され、大井にイナリワンありと言われるようになりました。

試練の5歳

数え5歳となったイナリワンは、1988年3月3日に大井で初戦を迎えます。
しかし、着順は3着。結果を残せませんでした。
この時馬場は重馬場。小さな体を目一杯使って走るイナリワンには、足元が滑る雨が天敵となったのでした。デビュー後、初めての敗退でした。

最悪の着順

帝王賞  1988年4月13日 ダート2000m

またも重馬場となったこのレースも結果を出せませんでした。
見せ場をまったく作れず、大井競走馬時代で最悪の7着となったのです。

帝王賞レース後も低迷し、8月10日の関東杯・5着、11月2日の東京記念・3着と4歳時の好調がウソのように連戦連敗を重ねるのでした。

第1回全日本サラブレッドカップ 11月23日 ダート2500m

全国の地方競馬の猛者たちが集結した、記念すべき第1回目のレースに参加します。場所は岐阜県笠松競馬場。11頭の強力なライバルを相手に、イナリワンは勝利することができるのでしょうか!?

イナリワンは終始先行し、2番手を進みます。3コーナー付近からスパートしたフエートノーザンが一気に先頭に立ちそのまま直線へ。イナリワンが懸命に追いますが、1馬身半届かず2着。
結果は敗北でしたが、手ごたえを感じた陣営は、東京大賞典への期待をかけると同時に大いなる決断をするのでした。

東京大賞典(大井) 12月29日 ダート3000m

このレースに勝てば中央入り、が具体化していました。馬主・保手浜氏の意向でした。保手浜氏は「イナリワンの走りっぷりはダートより芝が向いている」と感じていたようでした。
そんなことを知るよしもないイナリワンは、復調の兆しを保ったままレースに向かいます。
 (1704386)

馬場は良馬場。本領発揮するにはもってこいのレースとなりました。イナリワンは3番人気。
終始中団で展開したイナリワンは4コーナーを回って4・5番目。直線に入り、内ラチを進んだアラナスモンタが先頭に立ちますが、外からイナリワンが猛追!最後は見事に差し切って1着でゴールイン!!
このレースの勝利によって中央移籍が決定しました。イナリワンを見出した福永二三雄氏は、さぞや感無量だったでしょう。そして移籍後も、イナリワンの世話役としてアドバイザーを務めるのでした。
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