競馬界最高峰のレース「日本ダービー」には当然、他陣営も頂点に立つべく照準を合わせており、後に「3強」といわれるライバル馬、ナリタタイシン・ビワハヤヒデもレースに向け調子は万全です。
2頭の他にもマイシンザン・サクラチトセオー・ステージチャンプなど、強者曲者が揃っています。
2頭の他にもマイシンザン・サクラチトセオー・ステージチャンプなど、強者曲者が揃っています。
レースはマルチマックスがスタート直後に落馬するという波乱の展開で幕を開け、ウイニングチケットは道中中団でじっと待機し、3・4コーナーあたりで仕掛けると、府中の長い直線を一気に駆け抜け見事に日本ダービーを制しました。
1993年 日本ダービー ウイニングチケット 柴田政人.mp4
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直線では早めにスパートしたことと、ビワハヤヒデとナリタタイシンが後方から迫っていたことで「我慢してくれ、頑張れ」と叫び続けたという
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デビュー24年目・通算19回目の騎乗でダービー優勝を果たした。ウイニングランの最中には約17万人の観客から「政人」コールでの祝福を受け、競走後のインタビューにおいては、「この勝利を誰に伝えたいか」との質問に対し「世界中のホースマンに、第60回日本ダービーを勝った柴田政人ですと伝えたい」との言葉を残した
2冠目を狙った菊花賞
ダービー馬ウイニングチケットの次の目標は、もちろん菊花賞を制して2冠馬となることでした。秋競馬緒戦の京都新聞杯は逃げるマイヨジョンヌをなかなか捕えられず、冷や冷やする展開となったが最後はきっちり差し切り見事勝利、菊花賞制覇へ向け弾みをつけました。
1993 京都新聞杯 ウイニングチケット
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いよいよ菊花賞当日、ウイニングチケットは2番人気でした。1番人気に支持されたのは、前哨戦の神戸新聞杯で他馬を寄せつけず圧倒的な強さで勝利したビワハヤヒデです。
レースは逃げ馬不在のスローな展開となり、流れの中で脚を溜めて末脚勝負が持ち味のウイニングチケットにとっては、あまり向いていない展開となりました。
いつもより早めに仕掛けた柴田政人騎手でしたが、スタミナに勝るビワハヤヒデには及ばず結果は3着。この年の3冠レースは皐月賞・ナリタタイシン、日本ダービー・ウイニングチケット、菊花賞・ビワハヤヒデと3強で3冠を分け合う結果となりました。
レースは逃げ馬不在のスローな展開となり、流れの中で脚を溜めて末脚勝負が持ち味のウイニングチケットにとっては、あまり向いていない展開となりました。
いつもより早めに仕掛けた柴田政人騎手でしたが、スタミナに勝るビワハヤヒデには及ばず結果は3着。この年の3冠レースは皐月賞・ナリタタイシン、日本ダービー・ウイニングチケット、菊花賞・ビワハヤヒデと3強で3冠を分け合う結果となりました。
1993年 第54回 菊花賞(GI) ビワハヤヒデ(岡部幸雄)レコード
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4歳秋~5歳 そして引退の時
菊花賞で3着に敗れたウイニングチケットは、中2週空けてジャパンカップ(東京競馬場 芝2400mGⅠ)に出走しました。
結果は優勝馬レガシーワールド、2着コタシャーンに次ぐ3着でした。
更に年末の有馬記念(中山競馬場 芝2500mGⅠ)にも出走しましたが、秋4戦目の疲れもあり結果は11着と惨敗でした。
結果は優勝馬レガシーワールド、2着コタシャーンに次ぐ3着でした。
更に年末の有馬記念(中山競馬場 芝2500mGⅠ)にも出走しましたが、秋4戦目の疲れもあり結果は11着と惨敗でした。
1993年ジャパンカップ - レガシーワールド
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1993年 有馬記念 トウカイテイオー
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明けて5歳となったウイニングチケット。菊花賞での結果を踏まえて陣営は天皇賞(春)(京都競馬場 芝3200mGⅠ)ではなく、中距離適性を重視し、宝塚記念(阪神競馬場 芝2200mGⅠ)を目標としました。
しかし、この休養期間に主戦の柴田政人騎手の落馬事故が起こり、柴田騎手は頸髄不全損傷ならびに左腕神経叢損傷という重傷を負い、長期休養を余儀なくされてしまいます。
しかし、この休養期間に主戦の柴田政人騎手の落馬事故が起こり、柴田騎手は頸髄不全損傷ならびに左腕神経叢損傷という重傷を負い、長期休養を余儀なくされてしまいます。