竹原慎二 ガン? 勝つのはオレじゃい! じゃあの
2019年1月17日 更新

竹原慎二 ガン? 勝つのはオレじゃい! じゃあの

「ガンはもともと自分の細胞のコピーミスを免疫力で抑えられなかったためにできたものだ。 だから治せるのは自分しかいない」 現役時代、竹原慎二は、どんな勝負でも真っ向から挑んでいった。 ガンとの戦いにおいても、弱音を吐いたり落ち込んだりしたこともあったが、周囲に八つ当たりしたり自暴自棄になったことはなかった。

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新膀胱

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6月13日、ICUから病室へ移動。
「竹原さん、歩きますよ~」
腸閉塞予防のための歩行があったが、看護師4人に抱えられても竹原慎二は痛みがひどくて起き上がることもできず中止された。
翌日から歩くことが日課になった。
最初は20歩が限界だったが、少しずつ距離と回数を伸ばしていった。
左わき腹には管が入っていたが、そこから黄色いリンパ液が漏れた。
自力で体温調節ができず、汗だくになるほど暑くなると冷房を入れ氷枕を持ってきてもらい、震えるほど寒くなると暖房を入れ湯たんぽを持ってきてもらった。
内臓をえぐり取られた痛みは凄まじく、寝ていても座っていても、どんな体勢でも痛かった。
術後3日目にやっと座れるようになったがずっと痛かった。
術後4日目の昼から食事が出た。
重湯とヨーグルトとコーンスープだった。
竹原慎二は新膀胱をつくるために小腸を50㎝ほど切った。
その傷が治るまで固形物は食べられなかった。
術後5日目から体に入っていた管が1本抜かれた。
その後も1本ずつ抜かれていった。
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術後8日目、抜糸。
食事制限もなくなった。
そして新膀胱を洗浄した。
自分の小腸でつくった新膀胱は、摘出した膀胱の代わりに尿管と尿道へ繋げられていた。
体重は入院前より11㎏減っていた。
もともと87~90㎏あった体重が、抗ガン剤で80㎏になり、手術によって76㎏になった。
現役時代は、普段は練習をして食って82㎏、試合では絞ってミドル級のリミット、72.5㎏まで落としていた。
しかし術後の減量は筋肉も体力も落ちていた。
術後13日目、病理検査の結果が出た。
摘出した膀胱にはガンがあった。
そして転移があった骨盤のリンパ節からガンは消えていた。
これにより予定されていた術後の抗ガン剤治療はなくなった
医師はいった。
「おそらく抗ガン剤がよく効いたと思うが、ここまで良い結果が出るのはなかなか珍しい。
何らかの免疫機能が働いたと考えられる。
それでももちろん今後の転移の確率はゼロではない。
それは今後、外来の定期健診でしっかり診ていきましょう」
ガンになってから初めて、竹原慎二は心から笑顔になれた。
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術後14日目、体に入っていた管は1本になっていた。
自分の小腸でつくり、摘出した膀胱の代わりに尿管と尿道につけられた新膀胱には、いきなり尿を流すことはできず、腎臓から管を通して外へ排尿していた。
造影剤を入れてレントゲンを撮って、新膀胱から漏れがないか確認したところ、まだ完全にふさがっておらず管は抜けなかった。
術後19日目、最後の管が抜かれた。
同時に竹原慎二のトイレトレーニングが始まった。
初めて新膀胱に尿が貯められるのだが、最初は自分の意思に関係なくダダ漏れだった。
徐々に新膀胱に貯められるようになった。
すると今度は貯めすぎないようにしなければならない。
量にして200~300ml、時間にすると2時間くらい、たくさん水分をとればもっと早く、たくさん汗をかいたらもう少し長い時間貯められる。
しかし新膀胱は、本物の膀胱のように伸び縮みができない。
たくさん尿を貯めると水風船のように膨らむことはできるが自力で縮むことはできない。
たくさんの尿を貯めることを繰り返していると巨大膀胱となってしまい元に戻らなくなってしまう。
竹原慎二は、排尿した時間と量を記録した。
夜中も起きて排尿し、飲みすぎにも気をつけた。

退院は、ガン治療の終わりではなく始まり

最先端がん治療を探る 免疫細胞治療 少ない副作用

退院は、ガン治療の終わりではなく始まりだった。
免疫力は抗ガン剤や手術で下がってしまっている。
自己免疫力を上げていく努力をしていかなければならない。
新膀胱は順調に育っていたが、右脚と左の大腿内側に痺れがあった。
(3~4ヵ月後から徐々に回復していった)
7月22日、竹原慎二は、抗ガン剤や手術を受ける前に採取しておいたリンパ球を培養し、点滴で身体に戻す免疫療法を行った。
1回の投与は約40分。
自分のリンパ球のため副作用はないが、リンパ球を急に戻すために免疫反応により、38度の高熱が出て、翌日には40度になった。
これは無理に下げてはならないため氷枕やアイスノンを脇に挟んで耐えるしかなかった。
7月25日、やっと熱が下がったと思ったら2度目の投与が行われ、38度の熱が出た。
週2回全12回、これを繰り返していき、8月28日に最後の投与が行われた。

妻:竹原香織も強かった

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こうして約5ヵ月間、入退院を繰り返しながら、抗ガン剤治療、手術、免疫療法を終えたその日、妻はずっと決めていたことを実行した。
A医師に電話をしたのだ。
「奥さんどうしてた?
あれから心配していたんだよ。
チャンピオンは元気?
膀胱は全摘したの?」
「ええ、今日すべての治療が終わりました。
あなたの誤診のせいで種仁は命の危険にさらされ膀胱を失いました。
あなたはご自身の誤診をどうお考えなのでしょうか?」
「なに?なに?どういうこと?」
「主人はあなたのことを信頼していました。
体調不良を感じ、あなたを頼ったのです。
それを1年もの間、膀胱炎、前立腺炎、前立腺肥大と誤診しましたよね」
「それは・・カルテをみないと・・
えっ?
チャンピオンはいまどうしてるの?
手術はしたんだよね?
お見舞いとかいってもいいかな?
チャンピオンに会いたいよ」
「それは私からはお返事できません。
あなたと会うかどうかは主人本人に聞いてください」
「僕は長い間チャンピオンと友達だったんだ」
「原因がわからないならわからないと、どうしていってくれなかったんですか?
あなたが適当な病名をつけ薬を出し続けたせいで本当の病気を発見するのが遅れたんです。
どうしてそんないいかげんな診断をしたんですか?
どうして細胞診検査をしてくれなかったんですか?
どうして専門医に繋いでくれなかったんですか?」
「奥さん、僕どうしたらいい?」
「これは私からのお願いです。
どうか主人に謝ってください。
謝ってください!!」
「えっ、謝る?
あっ、謝ればいいの?」
「何を謝るかわかっていますか?
自分の誤診のせいで命の危険にさらし膀胱を失わせてしまって申し訳なかったと心から謝罪してください」
「そういう意味?
それは・・ 僕はそのときそのときちゃんと診て・・・
あっ奥さん、今日はもう遅いから近々必ず電話するから。
えっ、あっ、明日か明後日必ず電話するから」
A医師は電話を切った。
それ以来、A医師から電話はなかった。
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妻も竹原慎二と同様、ノートをつけていた。
診察時に医師のいったこと、病院からもらった検査結果や医師の説明メモ、自分からみた記録。
インターネットや本で得た情報。
そして自分の思いや、いい言葉も書いていた。

「病院探しや治療選びよりもまず心構え」

「ガンに負けてしまう人と克服する人
そのいちばんの大きな違いは気持ちの持ち方
心のありようはからだに大きな影響を及ぼす
ガンと聞いてガックリしてしまう人と
ガンと聞いて闘争心を燃やす人とでは
その先にまったく違う結果が待っている
もうダメだ-と思ったらほんとうにダメなのです
自分は絶対に大丈夫!
きっと治ってみせる
そう思って前向きにガンと戦うことが大事
気持ちの持ち方で3倍以上の治癒率が上がる」

退院時にはノートは3冊目になっていた。

「食事」「運動」「笑い」

竹原慎二 見落とされた癌

2014年10月25日、TBSの「爆報!THE フライデー」で、竹原慎二は、自らガンを公表した。
その後、いろいろなメディアで、竹原慎二の体験が紹介された。
その中で、A医師の誤診について
「竹原慎二とA医師が知り合いだったことが、A医師に客観的な視点を失わせた」
と解説する専門家もいた。
竹原慎二は、それを聞いて妙に納得してしまったこともあった。
退院前、医師から
「これをしてはいけない」
「これを食べてはいけない」
など具体的な再発、転医を予防する食事や生活習慣のアドバイスはなく、退院後は、自分で模索し実行していくしかなかった。
竹原慎二は、食べ物を買うときは、食品表示ラベルをみるようにして、できるだけ無添加のもの、添加物、発ガン性の少ないものを選ぶようになった。
肉をやめ、無農薬の野菜や発酵食品をたくさん食べるようにした。
常に体温計を用意し、頻繁に体温を測り、体温と免疫力を上げる努力をした。
睡眠の質と量に注意し、体温と免疫力アップの効果があるという漢方薬も試した。
術後76㎏まで落ちた体重は、すぐに10㎏増えたが、一時的な飢餓状態は眠っていた免疫系の活動を促すと知り、1ヵ月に1日だけ断食を行った。
竹原慎二の新膀胱は順調に成長し、どんどん尿が貯められるようになっていったが、巨大膀胱にならないようマメにトイレにいった。
西洋医学におけるガンの3大療法は「抗ガン剤」「手術」「放射線」で、竹原慎二は、このうち2つを受けた。
そして退院後の3大療法は「食事」「運動」「笑い」だった。
「あのときこうしていたら・・・」
「ああしていれば・・・」
ガンになって、タラレバ、後悔、凹みを繰り返した時期もあったが、その結果、得た教訓があった。
「どうせ生きるなら明るく前向きにいこう」
もう1つ、ガンになってわかったことがあった。
それは
「人は1人では生きられないということ」
ということだった
若い頃から「オレが、オレが」と突き進んできた竹原慎二だったが、たくさんの人に支えられて今の自分があることに改めて気づいた。
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