PRIDEからHERO'S、パンクラスと格闘家の道を歩んだ大山峻護、40歳を超えてのプロレスチャレンジ!
2017年8月7日 更新

PRIDEからHERO'S、パンクラスと格闘家の道を歩んだ大山峻護、40歳を超えてのプロレスチャレンジ!

柔道一筋の学生時代からPRIDE、HERO'S、パンクラスと格闘家としての道を歩み続けた大山峻護。眩いばかりのスポットを浴び、ときに峻烈極まる罵声に晒された彼は40歳でその格闘家人生を終え、いまはトレーニングプログラム「FIGHTNESS」を提唱して日々躍動中。そんな中、なんと42歳にしてプロレスにチャレンジするという彼に話を伺った。

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「しんどいけど楽しい!」大山峻護のプロレスチャレンジ

柔道から総合格闘家の道を歩み、パンクラスでそのキャリアを終えた大山峻護が3月20日、42歳にしてDDTプロレスリングさいたまスーパーアリーナ大会のリングに登場。

格闘家生活を終え、FIGHTNESS主宰として次なるキャリアを切り拓いている大山氏が、いまなぜプロレスへのチャレンジに踏み切ったのか。

そんな質問を投げかけるべく取材の場をいただいたミドルエッジ編集部(ミド編)に、大山氏は屈託のない笑顔でこう言った。

「しんどいけど楽しい!」

PRIDE、HERO'S、パンクラスと闘いの場を求め続けた格闘家・大山峻護

2001年5月27日、PRIDE.14。
当時無敵を誇ったヴァンダレイ・シウバとの一戦で一躍全国区の知名度となった格闘家・大山峻護。

PRIDEやHERO'S、パンクラスに闘いの場を求め、眩いばかりのスポットを浴びる一方で、網膜剥離の発症やときに峻烈極まる罵声に晒されるなど、決して平坦ではない格闘家人生を歩み続けた彼は、2014年に40歳でその現役生活に終止符を打った。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!の対ピーター・アーツ戦

大山峻護VSピーター・アーツ

「不屈の日本男子」「魂の格闘家」などと称された大山峻護。
今回、大山氏へのインタビュー機会に恵まれたミド編。

40歳を過ぎて事業家としてのセカンドキャリアを切り拓いている大山氏が42歳の今、プロレスという新たなリングに挑戦する姿を取材した。

-取材を通して-

 -大山氏が格闘家人生で得たもの
 -格闘家人生で得たものをセカンドキャリアにどう生かそうと考えたか
 -プロレスチャレンジに対する想い

自然体の大山氏の口から出る言葉の一つ一つは、同世代の私たちにとって心地よい地に足の着いた言葉。それでいて一切の悲観や厭世的な考えを含まない、着実に歩み続ける男の言葉。

そんな大山氏の言葉を、チャレンジを続ける同世代の言葉として読者の皆様にお届けしたい。

格闘家人生を終えて2年、42歳にしてプロレスのリングに挑戦

プロレスチャレンジを決断した3つの理由

1 子供の頃からの夢の実現
2 高木三四郎氏(DDTプロレスリング代表)の誠実さに惹かれて
3 さいたまスーパーアリーナという大舞台で闘う姿を仲間たちに見てもらいたい

この3つからも、その人柄が滲み出る大山氏。
自身の半生、とくに格闘家現役から引退後に至るまでの心境面を中心に取材に応えていただいた。

子供の頃の想いを形に出来る最後のチャンス

幼少期はウルトラマンが大好きで、すぐにプロレスに惹かれていったと語る大山氏。

「小学校時代はいつも『プロレスラーになるんだ!』と言っては父親から『お前なんかになれるわけないだろ』と、そんな日常でした(笑。」
プロレスへのリスペクトを込めた試合にしたいんだ!

プロレスへのリスペクトを込めた試合にしたいんだ!

「子供の頃の想いを形に出来る最後のチャンス」と語っていただいた。

引退して2年、コンディションを戻せるギリギリの時間

(ミド編)42歳にしてのプロレスチャレンジです

「引退して2年は、コンディションを戻せるギリギリの時間でした。
3年、4年経ってしまっていたとしたら厳しかったかもしれません。」

「練習では現役時代の当たり前の動作でも肉離れ、まさに42歳(笑。
昔はまず心が突っ走って、それに耐えうる肉体を作っていましたが、
現在の自分を受け入れた上で、コンディションを作っています。」

「受け身もロープワークも練習は痛い!(笑」

(ミド編)格闘技とプロレスの違いに戸惑うことはありますか?

「相手の技を受ける前提で試合を作るということ。
受け身の取り方、柔道よりも”受けを伝える”ことを意識。
逃がさずに受け止める、という戸惑いですね。」

最初で最後のチャレンジだからこそ「格闘家がプロレスに参戦した」を超えた試合に

「格闘技は相手を倒せばいい、不細工な勝ち方でも勝ちは勝ち。
だけどプロレスには”伝える””表現する”意識と目線が大事。」

「”格闘家がプロレスに参戦した”という評価は超えていきたい。
パンチやキックで成立させるのでなく、ちゃんとプロレスをしたい!」
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