via ja.wikipedia.org
NHKドキュメンタリー『シルクロード』
かつてNHK総合テレビで放送されたドキュメンタリー番組『シルクロード』。
1979年から1980年にかけて、NHKと中国中央電視台により、中国領内シルクロードの共同取材が行われ、全12回シリーズ『日中共同制作シルクロード 絲綢之路』が、1980年4月から1年間放送されました。
テーマ曲となる『シルクロードのテーマ(絲綢之路)』は、シンセサイザー奏者の『喜多郎』さんが作曲。
スケールの大きさと同時に郷愁感を誘うテーマ曲は、たちまち話題になりました。
ナレーションは俳優・石坂浩二さん。
ラクダの隊列が進む広大な砂漠の風景、服装・生活習慣が日本とは異なる人々の暮らしの映像は、インターネットなどなかった時代、外国への興味とあこがれをかきたて、NHK特集「シルクロード」は、「シルクロードブーム」を巻き起こしたほどの人気番組となりました。
1979年から1980年にかけて、NHKと中国中央電視台により、中国領内シルクロードの共同取材が行われ、全12回シリーズ『日中共同制作シルクロード 絲綢之路』が、1980年4月から1年間放送されました。
テーマ曲となる『シルクロードのテーマ(絲綢之路)』は、シンセサイザー奏者の『喜多郎』さんが作曲。
スケールの大きさと同時に郷愁感を誘うテーマ曲は、たちまち話題になりました。
ナレーションは俳優・石坂浩二さん。
ラクダの隊列が進む広大な砂漠の風景、服装・生活習慣が日本とは異なる人々の暮らしの映像は、インターネットなどなかった時代、外国への興味とあこがれをかきたて、NHK特集「シルクロード」は、「シルクロードブーム」を巻き起こしたほどの人気番組となりました。
via seinansky.com
敦煌やタクラマカン砂漠などは今でこそ観光で訪れることも可能ですが、中国領内のシルクロードの取材が外国メディアに認められたのは、この番組が初めてでした。
取材したディレクターは、日本と全く違う風土の中で、シルクロードの東の端とも言える日本の文化がしきりに想われたと回想しています。
『喜多郎』の『シルクロード』
こちらは放送された番組の動画です。
via www.youtube.com
とても心が落ち着く曲だと思います。
思い出していただけたでしょうか?
思い出していただけたでしょうか?
これも、視聴することが社会の先生の宿題になった。
音楽に憧れて、カセットテープに録音した。
出たばかりの機器。あまちゃんのはるこさんみたいにテレビに近づけて録音した。
今でも、シルクロードを旅したいのは、この番組が遠因だと思う。
もすさん
投稿日:2013年06月09日
『喜多郎』ってどんな人?
喜多郎(きたろう、1953年2月4日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家。
本名は高橋 正則(たかはし まさのり)。愛知県豊橋市出身。愛知県立豊橋商業高等学校卒業。
自然環境からインスピレーションを取り入れた独自のクリエイティヴな作品は、世界でも高い評価を受けている。
喜多郎という名の由来は、高校時代のあだ名から。
長髪だったことから「ゲゲゲの鬼太郎」→「キタロウ」になり、そのまま違う漢字をあてて「喜多郎」にしたそうです。
長髪だったことから「ゲゲゲの鬼太郎」→「キタロウ」になり、そのまま違う漢字をあてて「喜多郎」にしたそうです。
シンセサイザーとの出会い
1970年代初め、『ファー・イースト・ファミリー・バンド』のメンバーとしてキーボードを担当していた喜多郎は、レコーディングに訪れたヨーロッパで、ドイツのシンセサイザー奏者クラウス・シュルツェと出会い、シンセサイザーにすっかり魅了される。帰国後、自分の音楽とシンセサイザーとの接点を見出す。
クラウス・シュルツェ
クラウス・シュルツェは、ドイツベルリン出身の作曲家。主にシンセサイザーやシーケンサーを使用したミニマルかつ大作的な楽曲で知られる。後のテクノやエレクトロニカ、アンビエント・ミュージック、トランス・ムーブメントにも影響を与えた。