セガ・エンタープライゼスの8bitゲーム機戦争!1983年7月15日、奇しくもファミコンと同日発売されたSG-1000に始まったセガの戦い!!
2017年1月24日 更新

セガ・エンタープライゼスの8bitゲーム機戦争!1983年7月15日、奇しくもファミコンと同日発売されたSG-1000に始まったセガの戦い!!

ファミコン一強時代に、敢然と立ち向かったメーカーがあります。そう、それはセガでした。幾度となく任天堂に挑み続け、気が付けば新鋭のPCエンジンとも戦う羽目になったセガはまさに「前門の虎、後門の狼」な状況で孤軍奮闘したのでした。そんなセガの歩みを、ファミコンと同日発売となった「SG-1000」リリースから追いかけてみましょう。

46,917 view

はじめに

1980年代に登場した全ての家庭用ゲーム機は、どれも子供たちの目を輝かせるのに十分な代物でした。
どれが当たり、どれが外れ、といったことではなく、全てのゲーム機がワクワクと期待感を与えてくれたものです。

結果として大ヒットしたゲーム機には経済圏が形成され、それらのゲーム機向けにはいくつもの優秀なゲームソフトが予算を投じて制作開発され、大ヒットしなかったゲーム機向けにソフトを提供する会社は増えていきませんでした。

まずはゲーム機のヒットありき、それが1980年代のゲーム機戦争だったのだと考えます。

1983年7月15日、それは本格的な家庭用ゲーム機戦争の幕開けでした

1983年7月15日、振り返れば多くの子供たちの明暗を分けた一日だったのだと気づかされました。

そう、ファミコンと同日に発売されたセガSG-1000。

これが本格的な家庭用ゲーム機戦争の幕開けで、このときにファミコンを買わなかった多くの子供たちが後に様々な思いをしたであろうことを。
モンスターマシン「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」

モンスターマシン「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」

1983年7月15日の時点で、「ファミコン」が世界で累計6000万台も売れるモンスターマシンになることを想像していた人はいなかったはずです。
1983年、小学3年生だった私。
発売日当日、私の家には当然まだファミリーコンピュータはやってきませんでした。

たまたま友人の一人がラッキーにもファミリーコンピュータを親に買ってもらえると聞き、みんなで遊びに行くことが決まっていました。

が、その友人が学校で嬉しそうに話したのは
「ファミリーコンピュータは売り切れててしばらく入荷されないんだって。それでお父さんがセガを買ってくれたんだよ。」

一堂「おぉ~、すげ~!」

当時、幼かった私たちにとってそれは大した問題ではありません。
この時点で、せいぜいカセットビジョンしか触ったことがない私たちにとって、良く分からないけどもっとすごいゲームがやってきたんだ、という程度の感覚だったのでしょう。
同日に発売されたセガ「SG-1000」

同日に発売されたセガ「SG-1000」

まさに同日発売だったセガ「SG-1000」。
1983年7月15日、おもちゃ屋さんにはきっとファミコンと並んで発売されたはず。
あるいはファミコンは品切れでコチラはまだ売っていた、といったシチュエーション。
思えば、後となっては「ファミコン誕生」としか記されない1983年7月。

この月は同日発売だったセガの「SG-1000」のみならず、エポック社のカセットビジョンJr.、トミーのぴゅう太Jr.も発売された、とんでもなくアツい月だったのです。
なんと本体価格5,000円で勝負に出た「カセットビジョ...

なんと本体価格5,000円で勝負に出た「カセットビジョンJr.」

1981年7月30日の発売から40万台以上のヒットを飛ばしたカセットビジョンの廉価版。
しかしながらファミコンとの性能差は否めなかったかもしれません。
16ビットゲームパソコン「ぴゅう太」のゲーム専用機「ぴ...

16ビットゲームパソコン「ぴゅう太」のゲーム専用機「ぴゅう太Jr.」は19,800円

コチラは1982年8月20日に発売された16ビットゲームパソコン「ぴゅう太」のゲーム専用機でしたが、ファミコンの牙城の前に1985年2月には撤退しました。

ファミコンを知らなかった私たち、友人の家でSG-1000に夢中でした

最初に遊ばせてもらったのはたしか「ジッピーレース」だったと記憶しています。
これは夢中になって遊びましたね。

Zippy Race ( ジッピーレース ) / SEGA SG-1000 - YouTube

アイレムのアーケードゲームからの移植。
同じく、記憶に残っている「コンゴ・ボンゴ」。

コンゴボンゴ/SG-1000 - YouTube

SG初期のアクションゲーム。アーケードからの移植作。
たしかこの「N-SUB」も、みんなで一緒に遊んでいました。

N-SUB / SEGA SG-1000 - YouTube

潜水艦のシューティングゲーム。シンプルで地味に敵潜水艦や戦艦を倒していくのですが、独特な緊張感があってそんなに退屈にならなく、シューティングゲームとしてはなかなかの良作です。

おそらく1か月経ったころ、別の友人が「ファミコン」を買ってもらいました

期を同じくして、複数の友人がファミコンを入手したんです。
どの友人も、たしか↓3作のどれかをもっていたはずです。
67 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

一番使いやすかったのは?20世紀を彩った家庭用ゲームマシンのコントローラーを振り返る。

一番使いやすかったのは?20世紀を彩った家庭用ゲームマシンのコントローラーを振り返る。

私たちの多くがお世話になった家庭用ゲーム機。「一日1時間まで!」なんてルールを遵守しつつ、私たちは必死でテレビの画面と戦っていましたね。テレビがあってゲーム機本体があって。そこからコードで繋がれた「コントローラー」を握りしめてゲームに耽ったあの頃。私たちが握りしめていてコントローラー、どんな形状が使いやすかった??
【1987年のテレビゲーム】コンピュータゲームが大きく発展した1980年代を、ファミコンを中心に1年ごとに丁寧に振り返る。

【1987年のテレビゲーム】コンピュータゲームが大きく発展した1980年代を、ファミコンを中心に1年ごとに丁寧に振り返る。

【1987年のテレビゲーム】1980年代に幼少期から青春時代を生きた私たちは、家庭用ゲーム期黄金世代と呼ばれる世代です。1983年のファミコン登場以降、家庭用ゲーム機が遊びの主流へと駆け上がる中で、私たちは「外遊び」「家遊び」「勉強」を巧みに使い分けながら、ファミコンを中心とした家庭用ゲーム機の進化を肌で味わってきたといえるでしょう。そんな1980年代を1年ごとに振り返る、今回は1987年について振り返ってみます。
青春の握り拳 | 42,909 view
ハドソン初期の名作「ロードランナー」と「ナッツ&ミルク」、EDIT機能で盛り上がりました。

ハドソン初期の名作「ロードランナー」と「ナッツ&ミルク」、EDIT機能で盛り上がりました。

1983年にハドソンから発売されたロードランナーはファミコンゲームでも人気となりました。初期ハドソンの代表作と言ってもよいでしょう。また、同時期の発売となった「ナッツ&ミルク」も人気のゲームでした。この2つのゲームには「自作(EDIT)機能」がついていましたね、難しいステージを作ってはクリアして遊んだものです。調子に乗ってクリア不可能なステージもよく作ってました。
青春の握り拳 | 13,098 view
ファミコンで最初にハマったバイクレースゲーム「ジッピーレース」、アイレム初期の名作です。

ファミコンで最初にハマったバイクレースゲーム「ジッピーレース」、アイレム初期の名作です。

「ジッピーレース」ファミコンやセガなどで遊んだ人も多いことでしょう。アイレムから83年に登場したバイクレースゲーム、当時はファミコンカセットの光るランプも印象的でした。
青春の握り拳 | 11,772 view
『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』ファミコン本体と同時発売されたゲーム!!

『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』ファミコン本体と同時発売されたゲーム!!

1983年のファミコン発売はいまだに衝撃的な出来事でしたよね、当時は予約が殺到して、初日に入手出来た人はヒーローでした。そんなファミコンと同時発売された記念すべきソフトは3本!『ドンキーコング』『ドンキーコングJR.』『ポパイ』だったのです。
青春の握り拳 | 14,554 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト