伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。
2016年11月25日 更新

伝説の左腕【江夏豊】はとてつもない大物だった。

オールスター9者連続三振や、江夏の21球など、数々の伝説を作ってきた男、江夏豊。プロ野球の5球団を渡り歩き、獲った三振の数は2987奪三振と三振の山を築きました。先発でも活躍し、抑えても大活躍の投手はなかなかいないでしょう。人間としても魅力的な江夏豊の今と昔を振り返ります。

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江夏豊の伝説「オールスター9者連続三振」

江夏豊「伝説のオールスター9連続奪三振」 - YouTube

江夏豊「伝説のオールスター9連続奪三振」 有名なオールスター9連続三振です。 PL清原のピッチングにふてくされる桑田(1985年 甲子園大会) https://youtu.be/9Fqpu7eo12A 【落合博満伝説】日本シリーズのパーフェクト目前でもピッチャーを交代させた理由とは https://youtu.b...
1971年7月17日、阪急西宮球場で行われたオールスターゲーム第1戦で、速球と正確なコントロールで打者のバットにことごとく空を切らせ、初の9者連続奪三振を記録した。オールスターゲームは、投手は規定で3イニングまでしか登板できないため、これは1試合における事実上最高の奪三振数であり[注 2]、現在でもオールスターにおける単独記録である。この後全セは、江夏の後を受けて登板した渡辺秀武、高橋一三、水谷寿伸、小谷正勝の継投で全パを1四球1失策16奪三振で無安打に抑えて、継投によるノーヒットノーランを達成している[10]。
この9連続三振の前年には連続5三振、翌日には1三振を奪っており、この3試合を合わせた連続15奪三振もオールスター記録となっている。更にこの試合で江夏は、1960年の巽一に次ぐ史上2人目となる、オールスターでの投手による本塁打を放っており、これを最後にオールスターにおける投手による本塁打は記録されていない。
この試合で、キャッチャーフライを追った田淵幸一に「捕るな!」と叫んだとされているが、実際には、スタンドに入るだろうしテンポ良く投げたかったため「追うな!」と叫んだものであると、江夏は著書の中で語っている。
この9連続奪三振を達成した時のボールは、江夏の手元にはない。これはこの時キャッチャーを務めていた田淵が、三振のコールを聞くと同時に無意識にボールを放り投げてしまい、そのために行方が判らなくなったためとされている。当時の映像でも、田淵がコールの確認直後に立ち上がり、ベンチ方向へと歩き出しながらボールを後方に放り投げる様子が確認できる。ただ、後年江夏が番組で王理恵と共演した際には、「(三振のあと)田淵というキャッチャーはボールを放り投げてしまった。でも君のお父さん(王貞治)が拾ってくれてスっと渡してくれたんだよ」とも述べている。

江夏豊の伝説「ノーヒットノーラン」

1973年8月30日の中日ドラゴンズ戦では、史上59人目となるノーヒットノーランを達成。この試合で江夏は松本幸行と延長戦まで投げ合い、11回裏に松本からの初球をライト側ラッキーゾーンに運び「自らサヨナラホームランを放つ」という劇的な形で、日本プロ野球史上初の延長戦ノーヒットノーランを達成した。2015年現在、日本プロ野球で延長戦ノーヒットノーランを達成しているのは江夏だけである[11]。
この試合の後、江夏のコメントが「野球は一人でもできる」と歪曲されて報道され物議を醸したが、自身はこれについて一切の否定をせず、それが非難に拍車をかけるかたちになった。また、この試合を実況した朝日放送のアナウンサーが興奮のあまり「バンザーイ! 江夏大バンザイ!」と万歳を連呼、公平性を欠くと注意を受けるという後日談もあった。

江夏豊の伝説「江夏の21球」

1979年 日本シリーズ第7戦 9回ウラ - YouTube

1979年11月4日 日曜日 天候 曇りのち雨 大阪球場 広島東洋カープ 江夏 豊 投手 背番号26 「伝説の21球」 今でも、思い起こすとハラハラドキドキします。
1979年の日本シリーズ最終第7戦。近鉄バッファローズとの闘いであったが、9回裏に1点リードでノーアウト満塁のピンチから、近鉄の反撃を鮮やかに21球で絶った伝説の試合である。

その様子は、本にもなり、今でもプロ野球の名場面として語られている。

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江夏豊の伝説「奪三振記録」

江夏豊「三振の日本記録を王貞治で達成するためのありえないピッチング」 - YouTube

稲尾の持つ三振の日本タイ記録353個を間違って王から達成してしまい、次の王の打順まで三振をとらないというありえないピッチング。すごすぎる江夏。 そして当然のごとく、日本記録354個めは王から達成。なんなんだこの人は。 PL清原のピッチングにふてくされる桑田(1985年 甲子園大会) https://youtu.b...
1968年9月17日、甲子園球場における対巨人戦で、稲尾和久の日本記録を塗りかえるシーズン354奪三振を記録[8]。試合に先立って江夏は、日本記録更新となる奪三振をONから取ると公言していた事が当日の新聞に載っている。そして試合では、日本記録タイとなる353奪三振を王の打席で記録したが、江夏本人はこれで日本記録を更新したものと勘違いをしており、ベンチに戻ってから捕手の辻恭彦にそれを指摘されて初めて気がついたという[8]。そこで後続の打者は全て意図的に凡打で打ち取り、再び王の打席が回ってきた時に、記録更新となる354個目の三振を奪う離れ業を実現してのけた[8]。江夏によると、「森(祇晶)さんと高橋(一三)さんからは三振を取らないようにするのが、むしろ大変だった。特に高橋さんを2ストライクまで追い込んだのが一番困った」という。しかもこの試合では、延長12回に自らサヨナラヒットを放って試合に勝利を収めている[8]。
この試合の様子にも表れているように、江夏は王から三振を奪うことに取り分けこだわっていた。これは村山実が節目の記録となる三振を常に長嶋茂雄から奪うようにしていたことを真似たものである(新人時代に村山がONを指さして「お前の相手はあれ〔王〕、俺はこっち〔長嶋〕や」と、王をライバルとするよう命じられたともされている[9])。これ以降も江夏は王との勝負に固執し、通算で57の三振を奪ったが、直球で勝負を挑んでいたために20本の本塁打も打たれている。王から最も多く三振を奪った投手は江夏だが、江夏から最も多く本塁打を打った打者もまた王である。
そしてこのシーズン、江夏は最終的な奪三振記録を401個にまで伸ばした。これは現在でも日本プロ野球記録であり、また世界記録として認定されていないものの、MLB記録(ノーラン・ライアンの383個)をも上回っている。

野球選手の現役を引退して・・・

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野球選手を引退して野球解説者を務め、タレント、俳優とマルチな活躍をしていたが、波乱万丈な江夏の人生は一言では語れない。

野球に高いプライドを持ち、高い技術で投手を務め、自分のためではなく、南海ホークスの野村克也。広島東洋カープの衣笠祥雄。日本ハムの大沢啓二。男に惚れて野球を続けていた人間性が伺える。

各球団とも短い年数ではあるが、その短い年数で広島、日本ハムを優勝に導いていることから優勝請負人とも言われたほどである。
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