We Are The World 世界を変えたレコーディング
2024年10月19日 更新

We Are The World 世界を変えたレコーディング

ときは来た!今こそ世界が1つになるとき!!1枚のレコードが世界中の人々の心をつなぎ、食糧、薬品、物資となって飢えた子供たちに届けられ、1枚のレコードが人々の魂を揺り動かし、多くの命を救った。

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午前2時半、
「みんな、5分間、休憩」
ケン・クレイガンの声で、アーティストたちはオフモード。
多くのカメラマンがスタジオに入り、フォトセッションが始まり、メイク直しを行うアーティストもいた。
写真撮影中、アーティストたちは自由に談笑し、カメラを向かられると肩を組んでポーズ。
マイケル・ジャクソンはウィリー・ネルソンに、
「あなたがかわいい小鹿と一緒にいる写真を雑誌でみたんです。
僕の母があなたの音楽をいつも聴いてるんです。
そして僕も」
と話しかけ、ウィリー・ネルソンは、
「僕には2人の10代の娘がいるんだけど、もしここにいたら死んじゃってたね。
なんたって君の大ファンなんだから」
レイ・チャールズがピアノを弾き始めると人、ベッド・ミドラーは感激し、その音に聞き惚れた。
そしてレイ・チャールズがトイレの場所を聞くとスティービー・ワンダーが進み出て、
「僕が連れていくよ。
ついてきて、レイ!」
目がみえない人が目がみえない人を連れていくので全員が驚いたが、スティービー・ワンダーはレイ・チャールズの手を引いて廊下を歩き、トイレのドアの前まで案内した。
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アーティストたちは自分の楽譜を出し合って、サインを交換。
「セッションのスコアを持って、みんなにサインをお願いして回ったんだ。
ダイアナ・ロスも同じことを始め、みんながサインをもらおうと動き始めたんだ。
それはアトランタの僕に家の壁に飾ってあるよ」
(ケニー・ロジャース)
「とうとう全員が全員のファンになってしまった。
お互いにサインをねだって大変な騒ぎだったよ。
この瞬間を何かに残したくて、手元の楽譜にサインしてもらった。
1人残らずサインを交換したはずだよ」
(ライオネル・リッチー)
「コロラドのスタジオに飾ってあるよ。
人が来てそれをみると、みんな大興奮さ。
全員のサインをもらったよ。
レイ・チャールズやスティービー・ワンダーのところへも行ったんだ。
このときばかりは僕は冷静だったね。
僕の最高の宝物さ」。
(ジョン・オーツ)
「それをみると知らないうちに笑ってるんだ。
そしてそれぞれの名前を読み始めるんだよ」
(サイン入りの楽譜を書斎にかけてあるというクインシー・ジョーンズ)
後に雑誌「LIFE」は、このとき撮った写真を使って12ページの特集記事を組んだ。
そしてレコードのジャケットとなる集合写真も、このときに撮影されたもの。
しかし「USA for Africa」に参加したアーティストは45人のはずなのに43人しか写っていない。
集合写真にいなかった2人は、

・アウトローカントリーシンガー、ウェイロン・ジャニングス
・姉妹コーラスグループ「ザ・ポインター・シスターズ」の末妹でリードシンガーのジェーン・ポインター

いずれも普段、ソロ、あるいはバンドでメインボーカルとして歌っているのに「リードボーカル」部分を歌うことができないアーティスト。
スティービー・ワンダーの提案した歌詞に反対したウェイロン・ジャニングスは、クインシージョーンズいわく
「コーラス録り終了後、歌詞に納得できないと立ち去った」
姉妹コーラスグループ「ザ・ポインター・シスターズ」は、数時間前に「アメリカン・ミュージック・アワード」で「ビデオソウル/R&Bグループ部門」を受賞し、1ヵ月後のグラミー賞でも2部門を獲得。
メインボーカリスト、ジェーン・ポインターにとって「リードボーカル」部分を歌うことができないのは耐えられない屈辱だったのかもしれない。
一方、「ザ・ポインター・シスターズ」の長女で、39歳にして1歳の孫がいるポインター・ルースは、
「撮って帰らないと殺されちゃうわ」
といって自前のカメラでマイケル・ジャクソンを撮りまくっていた。
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バックコーラスのみ参加のアーティストは、100枚のポスターにサインした後、帰宅。
(数人は残ってレコーディングを見学)
この限定100枚のオリジナルサイン入りポスターはオークションにかけられた。
レイ・チャールズも、後日、改めてソロを録ることになり、
「1月からずっといい恋愛をしていない」
といいながらスタジオを出ていき、誰もが
「まだ1月じゃないか」
と思った。
(収録は1985年1月28~29日に行われた)
28歳のドラムボーカリスト、シーラ・Eは、全員が歌う「コーラス」部分の録音を緊張しきりのまま終えた。
27歳のときにプリンスのバンドに加入し、レコーディングやライブツアーに参加し、強力なドラムで圧倒。
その間にプリンスと恋人関係となり、プリンスとデュエット曲を出し、プリンスの全面バックアップでデビューアルバム「The Glamorous Life(ザ・グラマラス・ライフ)」をリリースすると、ワイルドなドラムとセクシーな歌声で全米チャートで7位を獲得し、グラミー賞にノミネート。
そのままプリンスの全米ツアーに帯同していたとき、「We Are The World」から参加のお声がかかった。
「We Are The Worldの収録日はプリンスのツアーの真っ最中で、もし参加すると3日間寝られないことになる。
身体的にはキツいけど歌手としてソロデビューしたばかりだったから、いい機会だと思ってOKしたの。
先輩の歌手の皆さんにちゃんと挨拶したかったから」
とシーラ・Eは快諾。
プリンスも同じく参加を求められていたが、
「ボクはいけないかもって伝えてある」
といわれ、歌手としてデビュー2年目のシーラ・Eは、1人でスタジオに行き、度肝を抜かれた。
「マイケル・ジャクソンは、実は大丈夫。
前に会ったことあったし.スティービーも会ったことある。
でもね、レイ・チャールズは初めてで『うわっ,本物だ!』って。
洗面所で隣がダイアナ・ロスだったりするし,それになんといったってブルース・スプリングスティーンよ。
思わずハグしちゃった。
『ボス大ファンです』っていったら『君の曲,大好きだ。マジでいい』っていってくれて。
『え~っ!ボスが私のこと知ってるなんて』ってなって、もう大興奮よ」
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コーラスの録音について
「もう、周りは大物だらけでしょ?
サングラスを下げて必死に、(小声で) We are the world, We are the children♪
プリンスとツアーのときは「シーラ・E!」ってド派手に出ていくけど、あのときはもう、(小声で) We are the world,♪
だってハリー・ベラフォンテにクインシー・ジョーンズにレイ・チャールズよ」
と大先輩たちに囲まれながら夢のような時間を過ごしたシーラ・Eに、さらに意外な展開が待っていた。
「ソロの準備ができたとき、私もそこにいて欲しいっていわれたのよ。
ソロを歌ってもらうからって。
本当よ。
ケン・クレイゲンから,あのとき、そういう話があったの。
私にソロのパートを歌わせるって」
「リードボーカル」部分への参加を求められたシーラ・Eは歓喜。
しかしこの後、ツラい思いをしてしまう。
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「リードボーカル」部分の録音の準備が進む中、スタジオで待つシーラ・Eは、ケン・クレイガンにプリンスに電話をかけて参加を促すように頼まれ、いわれるがままプリンスに電話。
「行った方が良い感じかな?」
というプリンスに
「来た方が良いわよ」
「連中は,君に何をして欲しいっていっている?」
「ソロを歌わせてくれるらしいんだけど,出番を待っているの」.
「君がソロを歌ったら呼んでくれ。
君が歌ってからだ」
そうこうしている間に「リードボーカル」部分のリハーサルが始まったが、シーラ・Eにはお呼びがかからない。
その代わりにケン・クレイガンやクインシー・ジョーンズに頼まれ、何度もプリンスに電話をかけた。
「ずっと電話ばっかりしていたのよ」
そして何度かけてもプリンスの答えは、
「君がソロを歌ったら呼んでくれ」
だった。

3時、クインシー・ジョーンズとケン・クレイガンに
「最後にもう1度だけかけてくれ」.
といわれ、シーラ・Eはプリンスに電話。
「最後のお願いだって」
と伝えると、プリンスは、
「ボクは君がソロを歌わない限り、そこに行くことはない。
だが君が歌わせてもらうことはないだろう。
君は利用されているだけだ。
もういい。
君はホテルに戻って寝てろ」
この後、シーラ・Eはスタジオを去り、ホテルでプリンスと会い、
「歌えたのか?」
と聞かれ、
「NO、あなたと電話した後、私の出番は本当にあるの?って聞いたら、ゴメン、なくなるかもしれないって。
あなたのいう通り、私は利用されたのね」
しかしシーラ・Eは、気持ちを切り替え、彼氏に、
「あそこで今まで会ったこともないようなすごい人たちに会えたのよ。
きっと,あなたも会いたかった人ばかりよ」
と自慢した。

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「マイケルとプリンス、犬猿の仲と噂されている2人が共演し、しかも並んで歌うことができれば・・・」
ケン・クレイガンは、プリンスの参加を強く期待していたが、結局、スタジオに来ることはなかった。
「正直にいうと彼女は、まだソロを歌う器ではなかった。
でもプリンスを呼ぶために残ってもらったんだ。
我々はどうしてもプリンスとマイケル・ジャクソンの共演を実現させたかった。
だって同じマイクで2人が歌えば、それは1つの奇跡になる。
プリンスを呼ぶ最後の手段として,彼女を利用したことは認める。
だって彼からはっきりNOといわれたわけではなかった。
絶対にダメじゃなければ,どんな手でも使う。
それが,私の仕事だ」
(ケン・クレイガン)
実際、プリンスが「We Are The World」に参加しなかった理由は、ボディーガードが暴行問題を起こし、自らも警察の取り調べを受けたためとされたが、10年後、「アメリカン・ミュージック・アワード」でWe Are The World 10周年を祝し、当時のメンバーが集まってステージ上で合唱する企画が行われたとき、ステージ真ん中、1番前にいたプリンスは、手をポケットに突っこんで棒つきキャンディをくわえたまま、歌おうとせず、クインシー・ジョーンズにマイクを向けられると逆にキャンディを差し出して対応。
それでもファンは、
「ステージに立っただけ大人になった」
「以前だったら退席していた」
と思ったという。

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午前3時7分、「リードボーカル」部分のリハーサルが始まった。
「リードボーカル」部分は、1人のアーティストが1フレーズ歌った後、次の人とデュエットし、そして次の人が1フレーズ歌った後、さらに次の人とデュエットというマイクリレー。
まず個人リハーサルから始まり、クインシー・ジョーンズと次にアレンジャーのトム・ベイラーは歌う順番に1人1人声をかけて、ハーモニーをチェック
プリンスの代わりに歌うことになったヒューイ・ルイスは、マイケル・ジャクソンが
「When you're down and out, there seems no hope at all
(君が打ちひしがれた時、希望など全くないように思えるだろう)」
と歌った後、
「But if you just believe, there's no way we can fall
(でも君がひたすらに強い気持ちを持てば、私たちが負けることはあり得ない)
トム・ベイラーに、
「そうそういいよ!」
といわれ
「本番いってもいいかい?」
とおどけた。
次にピアノの周りに全員集合。
スティービー・ワンダーがピアノを弾き、クインシー・ジョーンズとライオネルリッチーが音頭をとって全員でリハーサル。
その間にスタッフは、ひな壇の前に床に4本のスタンドマイクを設置。
円形に設置されたマイクの少し離れたところにはクインシー・ジョーンズが立つ指揮台があった。
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  • 2024/10/22 19:49

    かつてプリンスの不参加は「渋滞に巻き込まれて間に合わなかった」からと言われていて、その後は何らかのトラブルで事情聴取を受けていたとも聞いた。
    結局のところ、真実は決して分からないままになった。
    もしかしたら美談の裏に思惑を感じていたのかもね、シーラEの話が表に出てなかったような。

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