「ぶ~け」というタイトルも装丁もこだわった少女マンガ誌
「ぶ~け」は、1978年創刊の少女マンガ雑誌です。
出版社は集英社。
当時は「マーガレット」「少女フレンド」「少女コミック」の三大雑誌、
ちょっと下の世代向けの「りぼん」「なかよし」
そこに後発で勢いのある白泉社「花とゆめ」「LaLa」が出てきたころです。
出版社は集英社。
当時は「マーガレット」「少女フレンド」「少女コミック」の三大雑誌、
ちょっと下の世代向けの「りぼん」「なかよし」
そこに後発で勢いのある白泉社「花とゆめ」「LaLa」が出てきたころです。
via www.kudan.jp
何がこだわってるって、まずタイトル。
「ブーケ」でもなく「ぶーけ」でもなく「ぶ~け」。
当時の集英社の「マーガレット」と「りぼん」
この二つを束ねて「ぶ~け」ということらしいです。
なので、「マーガレット」に執筆していたマンガ家と
「りぼん」に執筆していたマンガ家が、どちらもこの雑誌には描いていました。
「ブーケ」でもなく「ぶーけ」でもなく「ぶ~け」。
当時の集英社の「マーガレット」と「りぼん」
この二つを束ねて「ぶ~け」ということらしいです。
なので、「マーガレット」に執筆していたマンガ家と
「りぼん」に執筆していたマンガ家が、どちらもこの雑誌には描いていました。
しかも厚い! 分厚い!
この画像だと版の大きさが分かりにくいのですが、サイズはA5です。
んでこの厚さ。だいたい700ページ以上あったはず。
「コロコロコミック」とほぼ似たようなものだと思し召し下さい。
そして表紙だけでなく、裏表紙にも絵があるのが、「ぶ~け」だったんです。
ここにもアートに対するこだわりが見えますね。
この画像だと版の大きさが分かりにくいのですが、サイズはA5です。
んでこの厚さ。だいたい700ページ以上あったはず。
「コロコロコミック」とほぼ似たようなものだと思し召し下さい。
そして表紙だけでなく、裏表紙にも絵があるのが、「ぶ~け」だったんです。
ここにもアートに対するこだわりが見えますね。
「再録」が目玉の月刊誌
「ぶ~け」は、もちろん「マーガレット」「りぼん」の作家の
描き下ろしを掲載する雑誌ではあるのですが
それまでこの2誌に掲載・連載されていて、まだコミックスにはなっていない作品とか
コミックスにするほどではないけどまとまって読んでみたい作品とかを
まとめて再録する特集を目玉としていました。
描き下ろしを掲載する雑誌ではあるのですが
それまでこの2誌に掲載・連載されていて、まだコミックスにはなっていない作品とか
コミックスにするほどではないけどまとまって読んでみたい作品とかを
まとめて再録する特集を目玉としていました。
via www.kudan.jp
でもこの特集は、本誌で行う頻度はどんどん少なくなって
1980年以降は「ぶ~けデラックス」とか「ぶ~けセレクション」とかの
増刊号での特集に移行していきました。
本誌で活躍するマンガ家が、とてもいい勢いで育って
印象的な作品をたくさん掲載するようになってきたからでしょう。
1980年以降は「ぶ~けデラックス」とか「ぶ~けセレクション」とかの
増刊号での特集に移行していきました。
本誌で活躍するマンガ家が、とてもいい勢いで育って
印象的な作品をたくさん掲載するようになってきたからでしょう。
「ぶ~け」といえば思い浮かぶマンガ家たち
「ぶ~け」がなんで「意識高い女子」向けと思えるのかと言えば
掲載されている作品に、いくつか共通点があるんです。
●とにかく絵がきれい、線がきれい、アーティスティックである
●従来の少女マンガのセオリーからはずれ、ストーリー性が高い
●ジャンルにこだわりがない
逆に言えば、少女マンガに恋愛や波乱万丈なドラマ性を求める層には
向かないマンガ雑誌でもあったわけです。
掲載されている作品に、いくつか共通点があるんです。
●とにかく絵がきれい、線がきれい、アーティスティックである
●従来の少女マンガのセオリーからはずれ、ストーリー性が高い
●ジャンルにこだわりがない
逆に言えば、少女マンガに恋愛や波乱万丈なドラマ性を求める層には
向かないマンガ雑誌でもあったわけです。
内田善美 ラファエル前派を愛した細密描写
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女子美術大学に在学中の1974年に1974年に「なみの障害物レース」(『りぼん』7月号)でデビュー。卒業制作で忙しくなるまで、一条ゆかりのアシスタントをしていた[1]。内田に紹介されて代わりに一条のアシスタントになった松苗あけみは、内田は一条の『5愛のルール』(雑誌「りぼん」1975年5月号 - 12月号掲載)で背景などを描いていたと述べている[1]。当時の美大出身の少女漫画家たちと同じくヨーロッパ絵画や挿絵などの影響を受けており、ラファエル前派やバーン=ジョーンズを好んだという[1]。1978年創刊の『ぶ〜け』誌には創刊号から参加、1983年頃まで、同誌の看板作家の1人として活躍した。美麗な画風で繊細な細い線と細密な画、衒学趣味的なネームを特徴とする。初期は、叙情的な短編が多かったが、次第に幻想的な要素が強くなり、1982年から1983年にかけて、代表作であり、集大成的な色彩が強い長編『星の時計のLiddell』を連載。
当時から、細かく描きこまれた細密な人物や背景、
哲学的で幻想的なネームなど、
とにかく良質な幻想文学の挿絵がそのままマンガになったような作品に
びっくりした人が多かったはず。
「ぶ~け」の表紙もかなりの数描いていますが、美しさは一目瞭然でした。
哲学的で幻想的なネームなど、
とにかく良質な幻想文学の挿絵がそのままマンガになったような作品に
びっくりした人が多かったはず。
「ぶ~け」の表紙もかなりの数描いていますが、美しさは一目瞭然でした。
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ですが、1984年の『草迷宮-めらんこりかるShopping-』を最後に、断筆してしまいます。
『星の時計のLiddell』で、描きたいことはすべて描いてしまったとのこと。
その後、『消えたマンガ家』で大泉実成が、内田善美の消息をたずねますが
本人から出版社を通じて「そっとしておいてほしい」と返答があったそうで
当時出版され今は絶版(品切れ)になっている著作についても
再版はされていません。
なので、当時出版されたコミックスやハードカバー本は、
今は品薄どころかものすごいプレミアがついていたりします。
『星の時計のLiddell』で、描きたいことはすべて描いてしまったとのこと。
その後、『消えたマンガ家』で大泉実成が、内田善美の消息をたずねますが
本人から出版社を通じて「そっとしておいてほしい」と返答があったそうで
当時出版され今は絶版(品切れ)になっている著作についても
再版はされていません。
なので、当時出版されたコミックスやハードカバー本は、
今は品薄どころかものすごいプレミアがついていたりします。