その後、ジョプリンは新しいバック・バンドであるフル・ティルト・ブーギー・バンドを結成する。こちらは、2人のキーボード奏者を含んだ編成。このバンドにおける演奏をもとに、ジョプリンの死後制作された1971年発表のアルバム『パール』は、彼女の短いキャリアにおける最高の売り上げを記録した。
ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニーから一緒に脱退したサム・アンドリューをコズミック・ブルース・バンドから解雇した後から、ヘロインの使用量は増えていったといいます。その後1969年12月、マディソン・スクエア・ガーデンのコンサートを最後にコズミック・ブルース・バンドは解散し、フル・ティルト・ブーギー・バンドを結成。そこからたった一年でジャニスは亡くなってしまいました。
活動期間4年・27歳の若さで他界
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1970年10月4日、アルバム『パール』の録音のため滞在していたロサンゼルスのホテルで死亡しているのが発見された。27歳没。使用したヘロインが通常のものより高純度であったため、致死量を越えたことが原因であるとされる。
ジャニスの遺作となったアルバム『PEARL(パール)』は、米雑誌で「20世紀最高の名盤」としても選ばれています。やっと手に入れた最高のバンドでしたが、たった一枚のアルバムで最後を迎えてしまいました。
Excellent Janis Joplin interview! - YouTube
Janis Joplin talking to Dick Cavett talking about everything from her childhood to tatoos.
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彼女が生前最後に公の場に姿を現したのは、1970年6月と8月に放映されたテレビ番組であった。6月の番組で、彼女は高校の同窓会に出席する予定だと述べた。同じ番組で、自分は今までクラス、学校、町、そして国中の笑い者だったとも語っている。一躍スターとなり彼女は同窓会に出席したが、その際も疎外感の中、孤独な表情がカメラにおさめられている。この一件は、ジャニスの孤独感を表す象徴的なエピソードとして語られている。
Janis Joplin - Buried Alive In The Blues (HQ) ♯5 - YouTube
Janis Joplin - Buried Alive In The Blues // Pearl 1971
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録音中だったアルバムの収録曲のうち、「ベンツが欲しい」はアカペラの仮録音、そして「生きながらブルースに葬られ」は本人の歌が録音出来ないまま演奏だけが収録されている。遺灰は、カリフォルニアで海へ撒かれた。
これが彼女の遺灰がまかれたマリン郡の海。
曇っていたせいか、とても寂しげな海だった