【松坂大輔選手】平成の怪物・松坂が生まれた、あの熱い夏を振り返る。
2016年11月25日 更新

【松坂大輔選手】平成の怪物・松坂が生まれた、あの熱い夏を振り返る。

数々の伝説を打ち立てた「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手。怪我によりここ数年満足な成績を残せていない彼は、もう終わった選手なのだろうか?新たなる伝説を打ち立てると信じつつ、彼が伝説を打ち立てた98年夏の高校野球大会を振り返る。

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延長17回の激闘を終え、観客の多くの人が思っていました「本当にいい試合だった」と。
そして・・・「これだけ投げた翌日に松坂投手が投げるのは難しいだろう」と。
※この日松坂投手が投げた球数は、250球(完投勝利)

甲子園全体が…

第一試合の興奮とざわめきが残る中、次に登場したのは、大阪の関大一高校と明徳義塾高校。
(この大会は80回の記念大会だったので、大阪府からは2校選ばれていました)
春のセンバツの決勝で横浜高校と対戦して敗れた関大一高校。そして、全国でも有名な名門校だったものの、まだ全国制覇の経験がなかった明徳義塾高校。横浜高校への挑戦権をかけたこの対戦は、接戦の予想に反して、11-2と大差で明徳義塾高校が勝利を収めます。
(※後の2002年夏の大会で明徳義塾は優勝)

1998年夏の甲子園 明徳義塾VS関大一(熱闘甲子園)

現在は準決勝の前に「休養日」が設けられているのですが、当時はそのような制度はありませんでした。準決勝の対明徳義塾高校戦に松坂投手が登板できない…だけではなく、他の横浜高校の選手も死闘により疲労はピーク状態。対して明徳義塾高校は前述のように横浜高校に比べ、比較的楽な試合展開で準々決勝を勝ちあがっていました。また当時の明徳義塾高校には後にロッテ入りする寺元四郎投手に加え、後にヤクルト入りする高橋一正投手もいて明徳義塾高校の有利は明らかでした。
寺本選手(ロッテ入団後、外野手に転向)

寺本選手(ロッテ入団後、外野手に転向)

実際、試合が開始されると、明徳義塾高校が松坂投手に代わって登板した2投手を攻略。7回終了時点で5-0で明徳義塾がリード。8回の表にもダメ押しとも言える1点を挙げて甲子園全体が「まぁ・・・よくやったよ。横浜は・・・」というムードが漂っていました。

ところが、8回裏に横浜高校先頭打者の加藤選手の打球をショートがエラーで出塁したことから、徐々に甲子園の雰囲気が変わっていきます。その後、後藤選手と松坂選手が立て続けにタイムリーを打ち2点を返したところで、明徳義塾高校は寺本投手から、高橋投手に投手を交替。ところが2死を取った後、高橋投手の暴投で1点、そして代打・柴選手のタイムリーで更に1点追加して、この回一挙4点を奪ったのです。そして多くの人が胸を打つ「あのシーン」が生まれるのです。
テーピングをはずすシーン

テーピングをはずすシーン

8回、横浜高校の逆襲が始まっていくにつれて、松坂投手がベンチ横で投球練習をしていたのに気づいた観客がどよめきだします。
「まさか・・・投げるのか?」
そんな観客の期待は、横浜高校投手交代が告げられた時に興奮へと変わります。松坂マウンドに向かう際にテーピングを取る場面は多くの方の心に残っている事でしょう。(実は松坂選手はレフトの守備についていた時から度々腕をぐるぐると回していたのですが)
9回の表、マウンドに上がった松坂投手のストレートは最高で最高で146km/hを記録。明徳義塾の攻撃を完璧に封じると、甲子園全体が横浜高校を後押しします。

1998年夏の準決勝 横浜 VS 明徳 最終回

9回の裏、横浜高校の攻撃がつながっていく度に沸き起こる地鳴りのような喚声が明徳義塾の選手たちを飲み込んでいきます。ノーアウト満塁のチャンスで後藤選手が再びタイムリーを放って2点を挙げ、遂に横浜高校が6-6の同点に追いつくのです。
その後、1死満塁になった状態で明徳義塾は投手を高橋投手から再び寺本投手に交替。寺本投手が何とか1死を取るものの、柴選手が放った内野へのフラフラと上がった打球が二塁手のグローブを僅かにかすめ、センター方向にボールが転がると、明徳義塾の選手達はグラウンドに倒れこみ、しばらく立ち上がれませんでした。
当時のスポーツ紙

当時のスポーツ紙

この日も筆者は球場のレフトスタンドでビールを売っていたのですが、この時の雰囲気を表現すると「異様」でさえありました。まるで阪神タイガースが試合を行っている時のような大声援が横浜高校の選手たちに送られていたのです。いわば「敵役」となってしまった明徳義塾の選手達にとっては、相当なプレッシャーだった事でしょう。

そして・・・伝説が生まれた。

ベスト8でのPL学園戦の延長17回の死闘。準決勝で8回6点差からの大逆転。
この2試合を経て迎えた、対京都成章高校との決勝戦。この日は開門と同時に観客がつめかけ、あっという間に外野席まで満員になりました。売り子をしていた私たちも満足に歩けないほど通路にもお客さんが溢れ、熱気は最高潮。当然グラウンドを見る暇もなくビールが飛ぶように売れていきました。

横浜vs京都成章「決勝戦ノーヒットノーラン」

1998年夏の甲子園決勝。 松坂投手がノーヒットノーランを達成し、横浜高校が春夏連覇を達成した瞬間。
試合が開始されてから1時間半ぐらい経った頃でしょうか、球場が「ざわざわ・・・」「ざわざわ・・・」としているのに気づいた私はお客さんに「お客さん、何かあったんですか?」と聞くと・・・。
「何言ってんの?あと5人でノーヒットノーランやで、ビールなんか売ってないであんたも試合見ぃ!」
グラウンドを振り返る余裕もない程ビールを売っている間に、いつの間にか試合は8回1アウトまで来ていたのです。ちょうどこの時持っていた缶ビールも売り切れ「基地」に引き返そうと思っても、立ち見の観衆で身動きが取れなくなっていた私は・・・サボる事にしました。

「決勝戦ノーヒットノーラン」という大記録を打ち立てたこの試合、私はこんな風に見ていたのですが、多くの野球ファンの方もこの試合をご覧になり、そして多くの方の記憶に残っていることでしょう。その後プロ野球入りした松坂投手は、野球ファンの心を躍らせる投球を見せるのですが・・・その事はまたの機会にしたいと思います。
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