松坂大輔 平成の怪物! 絶対的エース!! 超大型国際的給料泥棒? 数々のメジャータイトル&記録+カムバック賞
2020年5月25日 更新

松坂大輔 平成の怪物! 絶対的エース!! 超大型国際的給料泥棒? 数々のメジャータイトル&記録+カムバック賞

甲子園春夏優勝、パリーグ優勝、日本シリーズ優勝、ワールドシリーズ優勝、ワールドベースボールクラシックWBC優勝、アテネオリンピックの銅メダル、沢村賞、 新人王、 最多勝、最多奪三振、最優秀防御率、ベストナイン、ゴールデングラブ、 オールスターMVP、 そしてカムバック賞

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平成の怪物

 (2191073)

青森県青森市生まれの東京都江東区育ち。
5歳から剣道に打ち込み、小学3年生から野球を始めた。
プロ野球選手になった後、少年野球教室で、
「球を速くするにはどうすればいいですか?」
という質問され
「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良いよ」
と答えたこともある。
また中学生のときにNHK教育TV:天才てれびくんに出演したことがあった。
横浜高校進学後、「サボリのマツ」といわれるほどの練習嫌いだった。
2年生の夏の甲子園神奈川県予選準決勝で自らの暴投によってサヨナラ負けをしたことをきっかけに猛練習を開始した。
150km/h超のストレートと切れ味鋭いスライダーで春の選抜大会を優勝。
「平成の怪物」
と呼ばれた。

熱闘!!甲子園 松坂劇場

 (2191074)

夏の甲子園では、準々決勝でPL学園相手と対戦。
延長17回、250球を投げ、9対7で完投勝利した。
準決勝の相手は、準々決勝で選抜2位の関西大学第一高校を大差で破った明徳義塾高校だった。
松坂大輔は、右腕にテーピングを施してレフトに入った。
そして横浜高校のマウンドには2人の2年生ピッチャー(袴塚健次・斉藤弘樹)が立ったが、1人目は4回2/3で10被安打4失点、2人目は3回1/3で4被安打2失点と打たれた。
横浜高校は打線も不調で、7回まで3安打無得点。
8回表を終わった時点で、0対6で負けていた。

横浜高校前監督・渡辺元智氏が語る、平成の怪物・松坂大輔選手の素顔

「残り2イニングでひっくり返すのは難しい。
後はお前たちの好きなように思いっきり甲子園を楽しんでみろ」
横浜高校監督:渡辺元智はいった。
すると8回裏、横浜高校は先頭打者がエラーで出塁。
その後、後藤武敏と松坂大輔が打ち2点を返した。
明徳義塾は投手を交替し2アウトをとった後、暴投で1失点。
そして代打:柴武志のヒットで横浜高校は、この回4点を奪った。
9回表、松坂大輔が登板し打者3人に対し15球無失点。
球速は最高で146km/hを記録した。
9回裏、横浜高校はノーアウト満塁からヒットで6対6。
さらに松坂大輔の送りバントで1アウト2、3塁。
敬遠で1アウト満塁。
明徳義塾は投手を交替し、次の打者を三振にとって2アウト満塁。
そして横浜高校の柴武志の打った球は内野へフラフラと上がり、セカンドのグローブをかすめセンター方向に転がり3塁走者が生還。
7対6。
劇的な逆転サヨナラ勝利で横浜高校が決勝戦へ進出。
そして松坂大輔は、決勝の京都成章戦でノーヒットノーランを達成した。

西武ライオンズ

 (2191076)

ドラフト会議で3球団が松坂大輔を1位指名し、西武ライオンズが交渉権を獲得した。
会議直後、松坂大輔は
「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」
といいながら、西武ライオンズへ入団した。
背番号は18だった。
1999年4月7日、東京ドームでの日本ハム戦で初先発。
1回、片岡篤史への投球が155km/hを記録。
前年にパリーグ史上最多の年間四球を記録し選球眼の良さで知られていた片岡篤史は豪快に空振りした。
5回にはマイカ・フランクリンへの投球が胸元の際どいコースにいき、フランクリンが怒りをあらわにしたが、笑顔で応え大物振りをアピール。
8回を2失点に抑え、デビュー戦で初勝利をあげた。
4月21日、千葉ロッテマリーンズ戦で黒木知宏と投げ合い、0-2で惜敗。
「リベンジします」
と試合後に宣言。
6日後、再び黒木知宏と投げ合い、1-0でプロ初完封リベンジを果たした。
「リベンジ」は、格闘技イベントK-1がイベント名で使用しヒットさせた言葉だったが、新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。
5月16日、オリックスブルーウェーブ戦でイチローと初対決。
3打席連続三振に抑えた。
7月24日、オールスターゲーム第1戦に先発し3回を投げ5奪三振。
この試合の優秀選手賞とオールスター新人賞を受賞。
同月、月間MVPも受賞したが、高卒新人選手が月間MVPを受賞したのは1986年9月の清原和博以来2人目。
プロ1年目は、16勝を挙げて最多勝を獲得。
高卒新人での獲得は、両リーグを通じて1954年の宅和本司以来、45年ぶり。
ゴールデングラブ賞と高卒新人としては史上初となるベストナインを受賞し、高卒新人の投手としては堀内恒夫以来、33年ぶりとなる新人王に輝いた。
 (2191078)

2000年、14勝を挙げ2年連続の最多勝と最多奪三振、ベストナインとゴールデングラブを受賞。
しかし8月に50km/hオーバーのスピード違反で一発で免許停止になっていたが、9月、交際中の日本テレビのアナウンサー:柴田倫世の自宅マンション前で駐車違反。
西武広報課長:黒岩彰が出頭したが、柴田倫世との交際をスクープした写真週刊誌の記事によって身代わり出頭が明らかになった。
記者会見で、松坂大輔は
「駐車違反をしたことは申し訳ない。
黒岩課長の身代わり出頭は後で知った」
黒岩彰は
「レッカー移動された乗用車は球団のもので、自分が管理しており、出頭は自分の判断だった」
とそれぞれ話した。
松坂大輔は道路交通法違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩彰は犯人隠避の疑いで東京地検に書類送検され有罪となった。
埼玉県警察の交通安全キャンペーンのイメージキャラクターに起用されていた松坂大輔は激しい批判を浴びた。
球団は松坂大輔を無期限の自宅謹慎処分とした。
(1ヶ月で解除)
球団社長:小野賢二、黒岩彰は辞表を提出した。
シドニーオリンピック野球日本代表として9月17日のアメリカ合衆国戦に先発。
10回2失点の好投をするも、13回サヨナラ負け。
9月23日の韓国戦では、9回5失点。
そしてチームは延長の末に敗れた。
9月27日、3位決定戦で韓国と対戦。
0-0が続いたが、8回裏に痛恨のタイムリー2塁打を打たれるなど、3失点完投負け。
日本はメダルを逃した。
2001年、15勝15敗で、3年連続最多勝。
さらに最多奪三振も獲得し、ベストナインとゴールデングラブも受賞。
21世紀初の沢村賞を受賞した。
2002年、開幕6連勝という順調なスタートを切ったが、5月に右肘を痛め、離脱。
日本シリーズでは第1戦に先発、第4戦にリリーフで登板したが、いずれも敗戦投手となった。
2003年、自己最多タイの16勝を挙げ、最多奪三振と、最優秀防御率のタイトルも獲得。
ゴールデングラブも受賞した。
2004年7月10日のオールスターゲーム第1戦で2番手として登板し、2イニング無安打無失点4奪三振。
このとき156km/hを記録し、この試合のMVPに輝いた。

オリンピック

 (2191080)

アテネオリンピック野球日本代表に選ばれ、8月17日のキューバ戦に先発。
4回に打球を右腕に受けながら8回まで無失点に抑え、完封も期待されたが9回に3点を失った。
日本代表は、石井弘寿のリリーフで逃げ切った。
8月24日、準決勝のオーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も、0-1で惜敗。
日本代表はカナダとの3位決定戦に勝利し銅メダルとなった。
プロ野球では10勝6敗、最優秀防御率のタイトルを獲得し、ゴールデングラブも受賞。
西武ライオンズはパリーグ2位に終わったが、この年からプレーオフが導入され、第1ステージで3位の日本ハムと対戦。
第1戦では、松坂大輔は8回7失点と打ち込まれたが打線の援護があり勝利投手となった。
第2ステージでは福岡ダイエーホークスと対戦。
松坂大輔は第2戦に先発し、大量リードもあって6回無失点で余力を残して降板。
最終の第5戦で先発し、6回1失点で、チームは延長10回、4対3で勝利し、リーグ優勝を果たした。
中日ドラゴンズとの日本シリーズでは、第2戦に先発。
立浪和義に同点3ラン本塁打を打たれるなど、6回1/38失点で敗戦投手。
2勝3敗で王手をかけられた第6戦では、8回2失点でしのぎ、勝利投手となって逆王手をかけた。
翌日の第7戦には中継ぎで3番手として登板。
1イニングを無失点に抑えて日本一に貢献。
11月11日の日米野球では第6戦に先発し、1失点完投勝利。
MLB選抜チーム相手の完投勝利は、荒巻淳以来、51年ぶり史上2人目の記録となった。
2005年5月18日、セ・パ交流戦の阪神タイガース戦で、高校時代には15連勝0本塁打という記録を立てた甲子園球場にプロ野球選手として初登板。
桧山進次郎に先制2ラン本塁打を浴び、試合も2-3で惜敗した。
この年は、14勝を挙げ、最多奪三振を獲得し、ゴールデングラブも受賞し、防御率もリーグ3位と優れていたが、打線の援護が少なく、野手の失策も多く13敗と負けもかなり多かった。
オフにはポスティングシステムによるメジャー挑戦を訴えたが、球団は認めなかった。
ポスティングシステムは、入札制度という意味で、日本の球団に所属するプロ野球選手が、アメリカメジャーリーグへ移籍するための制度の一つ。
所属球団の許可を得た選手のみが対象となり、所属球団は2000万ドルを上限に譲渡金を設定し、獲得を望む米球団がその金額を受け入れると、米球団は選手との交渉権を獲得する。
契約が成立すると米球団は所属球団に譲渡金を支払う。

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)

 (2191081)

2006年、プロ野球開幕前に開催された第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表に選出され、3月4日のチャイニーズタイペイ戦では4回1失点。
3月14日のメキシコ戦では5回無失点。
3月20日のキューバとの決勝戦では4回1失点に抑え、大会最多の3勝、防御率1.38。
大会MVPに選ばれた。
プロ野球では、6月9日のセ・パ交流戦、阪神戦を1失点完投勝利で甲子園プロ初勝利。
6月16日には江川卓の193試合を抜き、191試合100勝の最速記録を達成。
10月7日、ソフトバンクとのプレーオフ第1ステージ初戦に先発。
6安打を浴び4死球を与えたが、斉藤和巳との投げ合いを制し1-0で完封勝利。
西武ライオンズは、その後2連敗し第1ステージで敗退。
松坂大輔はゴールデングラブを受賞した。
オフにはポスティングシステムの行使が容認された。

ボストン・レッドソックス( Boston Red Sox)

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