引退後の呂比須ワグナー
母国・ブラジルで指導者として活躍
引退後、故郷のサンパウロ州に戻り2005年から本格的に指導者としてのキャリアをスタートしたそうです。
パウリスタFCでは名将ヴァグネル・マンシーニ監督の下でヘッドコーチを務めたとのこと。
同年、パウリスタFCは小クラブながらセリエA所属の強豪クラブを次々破ってコパ・ド・ブラジルに初優勝。
中東のクラブから高額のオファーがあったマンシーニ監督に共に中東行きを誘われるも「外国に住むなら日本に帰りたい。ブラジルに戻ってドバイに行ったら意味がない」と申し出を断り、チームに残ったそうです(感動!)。
2009年に古巣のパウリスタFCからオファーがあり、ヘッドコーチに就任。ブラジル時代の縁で古巣のアビスパ福岡にブラジル人選手のJリーグ移籍の手助けをしたこともあるそうです。
2010年に前監督が更迭されると、監督に昇格。その後、サンパウロ州のポン・ジ・アスーカルECでも監督を務めたとのこと。
2011年、再びパウリスタFC監督に就任。同年のコパ・パウリスタで大会優勝(連覇)を果たすも、契約を延長せずにシーズン終了後に退団。
Jリーグでは監督を務められず!
2012年シーズンより、ガンバ大阪のヘッドコーチに就任。
当初ガンバ大阪は西野朗の後任として呂比須を監督に招聘する予定だったが、呂比須の持つブラジルの指導者資格がJリーグの監督を務めるのに必要なJFA公認S級ライセンスに相当せず、ブラジル全国選手権での指揮経験もなかったため、日本サッカー協会の承認が下りなかった。
このためガンバ大阪は、呂比須のサンパウロ時代の恩師であったジョゼ・カルロス・セホーンを監督に招聘した。しかし、開幕から公式戦5連敗と低迷し、3月26日付けでセホーン監督共々解任された。
2015年はかつて前園真聖も所属したブラジル・ゴイアスECで監督を務めました。
好成績を残すも、起用法を巡ってクラブの上層部と対立。その後、解任されてしまいました。
ブラジル出身の選手は、陽気で明るく自由奔放の選手も多いですが、呂比須ワグナーは非常に真面目で勤勉な人物でした。
日本は彼にとっても気質に合う土地だったのではないでしょうか。
好成績を残すも、起用法を巡ってクラブの上層部と対立。その後、解任されてしまいました。
ブラジル出身の選手は、陽気で明るく自由奔放の選手も多いですが、呂比須ワグナーは非常に真面目で勤勉な人物でした。
日本は彼にとっても気質に合う土地だったのではないでしょうか。
1998年5月発売 小学館