この納谷悟朗さんの言葉から分かるように、アニメでアフレコ演技をする時にいかに絵があることが大事であるかが分かります。『ルパン三世』シリーズはレギュラー声優の方々も、ゲストの方も芸達者なベテランの方々でしたが、その人達が自分の演技に責任を持つために、絵の重要性を現場に求めていたこと。アフレコ段階で絵があるのは当たり前なのが、絵がある方が素晴らしいという現状が過去にあった事実。
さて世界名作劇場の場合は、神谷明さんと鶴ひろみさんの会話から少なくとも、1974年の『アルプスの少女ハイジ』の頃から、絵がない状態でアフレコをされていたことがわかります。今回、神谷明さんと鶴ひろみさんの会話は、『神谷明と25人の声優たちみんな声優になりたかった』の本から紹介させて頂いてますが、この本が刊行されたのが、平成6年1月、今から23年前のことです。『神谷明と25人の声優たちみんな声優になりたかった』は1992年6月22日~1993年1月1日に衛星ラジオ放送、PCMジパングのZ-3チャンネルで放送された声優の神谷明さんと青羽美代子さんをパーソナリティとした『ウルトラマニアバンザイ~アニメ天国コミックパラダイス』を書籍化した本です。つまり、対談でいう「現在」「いま」とは、1992年~1993年のことになります。
声優泣かせの世界名作劇場?
先に『ルパン三世』を例に挙げましたが、『神谷明と25人の声優たちみんな声優になりたかった』の中では、森功至さんがゲストに出演された時は、1967年の『マッハGO!GO!』では事前のリハーサルで既に絵が出来上がっていて、練習をされていた話があり、それについて、昔と違って今は線画や絵がない状態でのアフレコが多くなったことを困ると、神谷明さんが話されているので、1974年の『アルプスの少女ハイジ』の時代から、絵がない状態でアフレコを1990年代までしていたのが当たり前だった『世界名作劇場』は、1970年代当時では声優の泣かせのアニメだったのかもしれません。
絵がない状態で演技をする難しさは、納谷悟朗さんの言葉を紹介させていただきましたが、それを読むと役者、声優の素人の私でもその難しさが分かります。同じ台詞にしても、どんな表情で口にした言葉なのか、呼びかける声にしてもどのくらいの距離で離れているかで出す声の大きさも変化すると思います。さらにゲスト声優の方はどんな人物の容姿も分からない。そんなどんな状況に演じるキャラクターが置かれて、どんな表情で言葉を出しているか分からない状態で声優の人たちが演じていたかを知った上で、もう一度『世界名作劇場』のアニメを見てみると、声優の人たちの演技のすごさを改めて感じると思います。
参考文献『神谷明と25人の声優たちみんな声優になりたかった』主婦の友社、『かきあげこ編『ルパン三世よ永遠━━ 山田康雄メモリアル』徳間書店
ヨシアキ 2019/3/14 02:44
> 森功至さんがゲストに出演された時は、1967年の『マッハGO!GO!』では事前のリハーサルで既に絵が出来上がっていて、練習をされていた話があり、
70年代後半頃だとアニメブームでアニメの制作本数が増えて絵がない状態でアフレコするようになることが増えて「ガッチャマンII」では制作スケジュール鵜の遅れからそういうことが多かったらしいですね。