横浜高校入学後は、1年次から練習試合へ出場し、あこがれの丹波ともバッテリーを組ませられるなど、早くから将来の主力として優遇(※しかし、丹波は1995年8月17日に心臓発作で亡くなってしまう)。2年次から背番号「2」を背負い、当時1年生だった元・メジャーリーガーで現・ソフトバンクホークスの松坂大輔と、バッテリーを組むことになります。
しかし、1996年に行われた夏季神奈川大会の試合中、上地は、右肘の神経断裂という大けがを負ってしまいます。それから10ヶ月にわたり、リハビリ生活をつづけた影響もあって、満足のいく活躍ができないまま、彼は高校生活を終えることとなったのでした。
高校卒業にあたって、大学への推薦入学の話も来ていたそうですが、芸能界のスカウトを受けていたこと、高校1年生の時、野球部にジュースの差し入れをもってきた明石家さんまへ、たった一人でお礼を言いに行ったところ「お前、面白いから芸能界に入れ」と言われたことなどが契機となって、上地はタレントデビューを決意します。
高校卒業にあたって、大学への推薦入学の話も来ていたそうですが、芸能界のスカウトを受けていたこと、高校1年生の時、野球部にジュースの差し入れをもってきた明石家さんまへ、たった一人でお礼を言いに行ったところ「お前、面白いから芸能界に入れ」と言われたことなどが契機となって、上地はタレントデビューを決意します。
via www.tvlife.jp
(こじへい)