via b-cles.jp
昭和51年と言えば、排ガス規制の真っ只中で車達の不遇の時代でもあったのよ。そこにトヨタはリフトバックに活路を見い出そうとした訳ね。だからCMにも力が入っていたわ。当時の人気者の「アグネス・ラム」の起用よ!そして共演俳優は当時若手のイケメン俳優「近藤正臣」、まるで日産の「ケンとメリーのスカイライン」に対抗したのかしら?
via s.ameblo.jp
知名度では間違いなく「ラム&正臣」だったけどインパクトではやはり「ケンメリ」だったのかしらね?今でもこの時代の「スカイライン」を「ケンメリ」と言うのはそれだけこのCMが浸透した結果よね。
そして、CM曲は「ゴダイゴ」を起用。曲名もそのままの「スプリンター・リフトバック」よ!近年では絶対不可能なCM曲だと思うわ。「車名=曲名」って他にあったかしら?それだけトヨタの力の入れ具合がわかるわ。
via www.amazon.co.jp
キャッチコピーも素敵だったわ。「光の中を走るサンデッキ」よ。だからこの車のCMに「アグネス・ラム」が起用されたのも分かるわね。時代の狭間で試行錯誤しながら王道トヨタがチャレンジした1台だったと思うわ。
最後まで地味さを拭いきれなかった出来た「レディースカー 」 サイノス(初代)
1991年に販売された「サイノス」は評価も販売も地味だったけど本当に良くできた車なの。
「コルサ」と「ターサル」のセダンをベースに、1500CCのエンジンを搭載。αとβの2グレード(105馬力と115馬力)がラインナップされていたの。そしてコンセプトは「セクレタリーカー」よ。そう、女性向けに企画された車だったの。でもね、内装が特に可愛いとか女性のための何かがあまりインパクトがなっかたの。この車は北米にも輸出されていたからアメリカ的には必要がなかったのかしら?アメリカの女性と日本の女性での車に対する考えの違いからかもしれないわね。
via www.goo-net.com
この時代は「ピアッツア」や「NXクーペ」のように輸出を目的とした車も確かに多かったわ。だからコスト等を考えるとコテコテの日本よりではなく国外受けを見据えての車の開発だったのかも知れないわね。
via www.goo-net.com
via kakaku.com
「友達以上恋人未満。」これがサイノスのキャッチコピーだったの。なんだかキャッチコピーも中途半端な地味なイメージね。そこでマイナーチェンジをしたサイノスは「コンバーチブル」を追加したの。そして派手なイエローを限定で150台販売したり、マイナーチェンジ後のCMには「globe」を起用したり力の入れ方が凄かったわ。
via www.goo-net.com
via www.google.co.jp