【松坂大輔選手】平成の怪物・松坂が生まれた、あの熱い夏を振り返る。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
数々の伝説を打ち立てた「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手。怪我によりここ数年満足な成績を残せていない彼は、もう終わった選手なのだろうか?新たなる伝説を打ち立てると信じつつ、彼が伝説を打ち立てた98年夏の高校野球大会を振り返る。
松坂大輔、この男はやはり球界の功労者。
via www.youtube.com
現在、松坂はソフトバンクに所属しています。
しかし、昨年(2016年)の試合登板はわずかに1試合。
しかもその内容はボロボロでした。
大リーグ時代の盟友、松井稼頭央との対戦をお膳立てしてもらったにもかかわらず、なんと初球をデッドボール。
周りからは、年棒の高さもあり、「給料泥棒」とさえ言われることもあります。
しかし、甲子園をわかせた度合いは、1985年のPL学園のKKコンビに次ぐようなくらいのものだったのではないでしょうか。
「今」という断面だけで見ると目を覆いたくなるようなものがありますが、総合的にみると、高校野球界、プロ野球界にした貢献度合いは非常に高いものがあると思います。
今後、松坂が再起するのか、そこにも注目を向けたいと思います。
しかし、昨年(2016年)の試合登板はわずかに1試合。
しかもその内容はボロボロでした。
大リーグ時代の盟友、松井稼頭央との対戦をお膳立てしてもらったにもかかわらず、なんと初球をデッドボール。
周りからは、年棒の高さもあり、「給料泥棒」とさえ言われることもあります。
しかし、甲子園をわかせた度合いは、1985年のPL学園のKKコンビに次ぐようなくらいのものだったのではないでしょうか。
「今」という断面だけで見ると目を覆いたくなるようなものがありますが、総合的にみると、高校野球界、プロ野球界にした貢献度合いは非常に高いものがあると思います。
今後、松坂が再起するのか、そこにも注目を向けたいと思います。
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【7対29】1985年夏の甲子園で屈辱的敗戦の東海大山形【どんな試合だったのか】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
1985年の第67回夏の甲子園2回戦で、桑田・清原率いるPL学園に7-29というすさまじいスコアで敗戦した、東海大山形高校。甲子園は魔物が住む、と言われますが、この試合を機に高校野球というものが変わり始めた、意義のある試合でもあります。