Chernobyl 1986 チェルノブイリ原発事故 みえない放射能 英雄の戦い  国の理論
2021年7月4日 更新

Chernobyl 1986 チェルノブイリ原発事故 みえない放射能 英雄の戦い 国の理論

1986年4月26日の早朝、ソ連(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機が爆発。人類史上最悪の放射能汚染が引き起こされた。そして25年後、東京電力福島第一原発で事故が発生。事故原因は異なるものの、事故直後、体を張った現場の人たち、被害者への補償が不十分なまま再稼動させようとする原発産業と政府という構図は重なってみえる。

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1991年8月18日、国家非常事態委員会と称するグループ(ヤナーエフ副大統領、クリュチコフKGB議長、ボリス・プーゴ内相、ドミトリー・ヤゾフ国防相、ヴァレンチン・パヴロフ首相、オレグ・バクラーノフ国防会議第一副議長、ワシリー・スタロドゥプツェフソ連農民同盟リーダー、アレクサンドル・チジャコフ国営企業・産業施設連合会会長)が、別荘で休暇中のゴルバチョフと面会し、大統領辞任を要求。
ゴルバチョフは拒否したため、そのまま軟禁された。
ソ連共産党の保守派グループが起こしたクーデターだった。
モスクワにはクーデター派の指示を受けた戦車部隊が現れ、モスクワ放送は占拠されアナウンサーは背中に銃を突きつけられながら放送を行った。
ロシア共和国大統領:ボリス・エリツィンは
「クーデターは違憲、国家非常事態委員会は非合法」
と激しく非難。
自ら戦車の上に乗り旗を振り、市民に呼びかけ、兵士を説得。
それに応じた市民がロシア政府ビル(別名:ホワイトハウス)周辺にバリケードをはって、銃と火炎瓶で臨戦態勢をとった。
翌日には10万人の市民が集結し
「エリツィン!ロシア! エリツィン!ロシア!」
とコール。
8月21日0時、
戦車がロシア政府ビルへ向け前進。
市民側は火炎瓶を投げつけるなど抵抗し、10数名が死亡。
やがて戦車部隊が撤収すると、エリツィンは国家非常事態委員会に権力の放棄するよう通告。
実質的なリーダーだったクリュチコフKGB議長は、エリツィンにゴルバチョフ大統領との話し合いを申し出た。
その他の国家非常事態委員会メンバーは、辞任を表明したり、国外へ逃亡したり、拳銃や首を吊って自殺したり、また泥酔している者もいた。
ゴルバチョフは、クリュチコフKGB議長と同じ飛行機に乗ってモスクワに戻った。
しかし側近にクーデーターを起こされたゴルバチョフにも、一枚岩ではなくなったソ連共産党にも、ユーラシア大陸の複数の国を率いる力はすでになかった。

Gorbachev Resigns: December 25, 1991

1991年12月25日、
構成国の相次ぐ民主化、独立により、ソ連崩壊。
事故から5年経って、汚染地域は、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3ヵ国に分割され、その対策も分け合うことになった。
人々は隠蔽された事実や犠牲者が明らかにされ救済が進むことを期待したが、ソ連共産党の秘密文書や情報が公開されることはあったものの、国による被害者の無視や切捨ては続いた。
事故直後から住民の移住が始まったが、これは行政にとって大きな負担となっていて、連邦の崩壊すると各国の負担はますます増えた。
中でも最も大きな負担を抱え込んだのがべラルーシだった。
国土の約23%が放射能で汚染され、200万以上の人々がそこに暮らしていた。
これは国民の5人に1人の割合だった。
ベラルーシは毎年、国家予算の15%以上をチェルノブイリ対策につぎ込んでいたが、やがて悪化する一方の経済を理由に大幅見直しを決定。
移住中心をやめ、汚染地域で住む人たちに今後も住み続けてもらうため、汚染された薪や井戸水を使わなくてよいようガスや水道の整備を進めた。
それはは住民が汚染地域に住み続けなければならないことを意味した。
自給自足の農村では、放射能で汚染されている畑や森から食料や燃料となる薪を得ていて、以前は重い病気をする人など滅多にいなかったのに、病人がいない家はないほど健康状態は悪化した。
放射能が体内に蓄積され、免疫機能(体の抵抗力)が低下し、さまざまな病気を引き起こしていると考えられた。
ベラルーシ政府は水道やガスは供給してくれるが、安全な食品はくれないので自給自足の生活は続く。
汚染された食品を食べ続けることで体に何が起こるのか、不安は残る。
「私たちは国から見捨てられたんです。
汚染された食品を食べ続けてベラルーシが滅んでも地球全体には何の影響もないでしょう。
1つの民族が消えたという程度ですよ」
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1996年、
自殺から8年後、ヴァレリー・レガソフは、ボリス・エリツィン大統領から「ロシア連邦英雄」の称号を授かった。
1997年、
ロシアの地質学専門誌:地質物理ジャーナルに「チェルノブイリ原発地域での地震事象」という論文が発表された。
「4号炉が爆発する約16秒前、チェルノブイリ原発近くで地震が発生しており、原子炉を停止しようとAZ25を押したが、この地震によって地震により制御棒の挿入が不可能となり4号炉が爆発した」
という内容だった。
ソ連では、地下核実験のデータ収集のために地震計が各地に設置されていて、チェルノブイリ原発の西方100〜108kmに設置されていた3カ所の地震計が、1986年4月26日1時23分39秒にマグニチュード1.4の地震を感知していた。
これに対して、
「4号炉の爆発に伴う振動を地震計が記録した」
という意見もある。
2000年12月15日、チェルノブイリ原子力発電所の全原子炉が停止。
無傷の1号~3号炉は稼働し続け、1991年から随時稼働を停止していき、事故後、15年後、ようやく原子の火は消えた。
しかし石棺の中の4号炉は依然として放射性物質が充満していた。
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事故後、4号炉周辺の針葉樹の森には、ストロンチウム、セシウム、プルトニウム、ウラン、さまざまな放射性物質が降り積もった。
数日間で数え切れない動物、昆虫、植物、微生物が命を落とし、何千本もの松の木が、赤くなり枯れ、死の「赤い森」といわれた。
復旧作業が始めると、赤い森は、拡散を防ぐべく、伐採され、土や砂で埋められ、かつて森や湿地、湖、川などが広がっていた原発周辺は、月面のような不毛地帯に変わり果てた。
何も知らない自然は、重機でならされ薬品がまかれた土地に触手を伸ばし、新しい森が包んでいった。
天変地異が起きた土地で、動植物は死に絶えるか、病に蝕まれ、さらにその子孫の先天的異常も予測された。
巨大化した植物、奇形動物の報告もあり
「奇形の生物が住む魔の森」
といわれた。
ある学者は、放射能汚染マップをみながら農場を回り、ツバメを捕獲し、突然変異の痕跡がないかを調べた。
すると左右非対称の翼や尾、部分的な色素の欠乏、くちばしや目の奇形、腫瘍などの異常がみられた。
そういった身体的変化は、放射能濃度の高い地域ほど強く、汚染されていない場所でこういった変化が起こる確率は低かった。
最も汚染のひどい地域では、ツバメの精子が死んでいて、卵と雛の死亡率も高かった。
長期的な放射線被曝に対する反応は種によってさまざまだった。
渡り鳥であるツバメは放射能に非常に敏感だったが、移動しない鳥はそれほどでもなかった。
針葉樹よりも広葉樹であるカバノキのほうが放射線に強かった。
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4号炉から2km、放射線量が通常の1000倍の場所で罠にかかった鼠はとても元気だった。
地表近くで暮らし、食べ物による内部被曝と土が出す外部被曝に24時間毎日さらされ続ける上、次々に子供を産んで人間の1世代で40世代進むネズミは、放射線の遺伝的影響を調べる研究対象に適任だった。
彼らの体から出ている放射線を測定し、異常がないかどうかを調べると、体内に大量の放射性物質を蓄積されながら生きていて、見た目に異常はなかった。
爪のかけらを培養器に入れDNAの配列を1匹分ずつ解読してみても、突然変異の割合は非常に低かった。
「動物達の体に障害や異常があるのは明らか。
また放射能レベルが高い環境で暮らしているので、体にストレスがかかっていることや、損傷を修復するシステムがフル稼働していることは間違いない。
それにも関わらず調査したどの動物も放射線で受けた損傷を自ら修復し生きていけることがわかった。
これは防衛機能を持っていることを明らかに示している」
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事故数日後に制限区域で採れた小麦の種子を汚染されていない土壌で発芽させると、多くの株で突然変異がみられ、それは25年経っても遺伝的に不安定な状態が続いた。
ところが原子炉付近で育った大豆では、放射線から身を守るための分子レベルの変化が起きた。
4号炉から18km離れたデイケアセンター施設は研究所に変わり、禁止されている食物の栽培が行われた。
採取した何千もの植物を検査し、2つの放射性物質、セシウム137とストロンチウム90が生物の組織にどうやって入り込むのか、仕組みを明らかにした。
それらは別の物質に成りすましていた。
放射性物質であるセシウムはカリウム、同じくストロンチウムはカルシウムと化学的に性質が似ていた。
そのためカリウムとカルシウムを大量に必要とするカバノキは、それらを大量に吸収してしまい、汚染を深刻なものにしていた。
人類がこうした物質を作り出すまで地球上になかったので、植物はセシウムをカリウムと間違え、ストロンチウムをカルシウムと間違って無防備に取り込んでしまうようだった。
どんな植物もカリウムとカルシウムがなくては生きていけないが、どのくらい必要とするかは種類によって違うためセシウムとストロンチウムをの吸収量も種類によって違った。
研究所は畑で採れた作物1つ1つ徹底的に分析。
被曝しても心配なく食べることにできる作物もあった。
自然は一見穏やかだが、生物の体内では放射線との戦いが繰り返されていた。
ある種はDNAが損傷し、ある種では適応が起こった。
人間は、ツバメなのか、ネズミなのか。
現在はリクヴィダートルの子供が子育てを行う、事故後、第3世代。
放射線被曝が人間の遺伝子に与える影響。
その答えが出るまでさらに数十年、あるいは数百年かかるかもしれない。
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現在でも、4号炉との距離や風向きなどで「ホットスポット」と呼ばれる高線量エリアや赤い森は存在している。
しかし立ち入り禁止区域のほとんどで半減期の短い放射性物質は消滅し、長いものは徐々に土に沈み、風や動物や昆虫によって散り散りになり、野生動物が繁殖。
事故以前にはいなかった動物も外から移り住んできた。
人がつくり出した最強のエネルギー、原子力に犯された自然がどのように回復するのか、原発周辺は巨大な実験室と化した。
ある学者は、動物が好むにおいがする脂肪酸を置いた「セント(におい)ステーション」を各所に配置。
動物がにおいを嗅ぐとカメラが反応し、その姿を捉えた。
「写真はウソをつきません。
それがカメラのいいところですね」
立ち入り禁止区域の中で最も野生動物が多いのは、住民がいなくなった村の跡で、農地や庭園で豊かな暮らしを築き上げていた。
プリピャチの街も、建物の中にまで植物が入り込み、通りを野生動物が闊歩した。
ビーバーは、かつて4号炉の冷却水に使われていた湖で泳ぎ、ヒグマは森でコロニーを形成。
オオカミは、ウクライナの中でも特に天然な状態にあった。
この場合、「天然」とは、オオカミの食料に人間の食べ物が入っていないことを意味している。
通常、オオカミは、人間の居住地の近くにいて、家畜やペット、ゴミも食料になる。
チェルノブイリのオオカミは他の野生動物を捕食し、魚も捕ることもあった。
肉食だけでなく、果樹園跡では果物を採って食べた。
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ウクライナの動物学者は、立ち入り禁止区域に絶滅危惧種のモウコノウマ30頭を解き放った。
彼らの繁殖に加え、彼らが繁茂した草を食べ山火事の危険性を下げる目的もあった。
やがてウクライナからベラルーシにかけ、約60頭が群を形成するようになった。
かつてモンゴル高原に生息していたモウコノウマは、暑さや蚊を避けるために古い納屋や建物に入り、中には横たわって寝ている馬もいた。
プリピャチ近くの実験農場では、「アルファ」、「ベータ」、「ガンマ」、「ウラン」と名づけられた3頭の雌牛と1頭の雄牛の観察が行われた。
初め、4頭は被曝線量が高く、不妊の状態にあったが、やがて回復し、子牛も誕生した。
鳥たちは石棺に巣をつくった。
半径約4.8km圏内で絶滅危惧種のオジロワシが捕獲され、ウクライナ全体でも100羽くらいしかいないといわれるワシミミズクが石棺付近の掘削機の上でうたた寝する姿も目撃された。
それどろこか4号炉の中にできた大きな穴を出入りする鳥もいた。
4号炉の壁面から、蓄積した放射能を食べるこで成長を続ける菌類も確認された。
この菌類は、放射性物質を分解し、エネルギーに変える力を持っているという。
自ら生み出した原子力から逃げ出した人間は、どんなに痛めつけられても自力で回復する自然の力強さを思い知らされた。
ガイア理論(地球と生物が関係し合い環境をつくり上げていることを、ある種の巨大な生命体とみなす仮説)の提唱者:ジェイムズ・ラヴロックは、
「熱帯雨林に放射性廃棄物を埋めれば人間の破壊行為から守ることができる」
と主張した。
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事故直後、原発周辺はフェンスと武装した警備隊によって封鎖された。
その範囲は拡張され、96kmまでが立ち入り禁止となり、入り口には、スクリーニング(汚染検査)機器を備えた検問所が設けられた。
赤い森を含む一部の中心エリアについては依然、致命的な危険をはらんでいるが、多くの場所で放射能濃度が1/数百まで下がり、66種の哺乳類と11種の爬虫類、249種の鳥類が確認され、
「皮肉なことに立ち入り制限区域は稀にみる生物多様性の保護区になった」
と報告されるとウクライナ政府は、4号炉から9.7km圏内を除く比較的安全な地域を観光客に開放すると発表。
(またロシア設計の原子炉2基をウクライナ西部に建設する計画も承認。
ソ連崩壊後、ウクライナで新たに原子炉が稼働するのはこれが初めて)
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プリピャチは事故翌日に、5万人が退去させられて以来、誰1人、帰還を許されていないゴーストタウンだったが、年間数万人が訪れウクライナの最もホットな観光地の1つとなった。
SNSには、一般的な風景や観光写真に混じって、ガスマスクをつけたコスプレ写真や不気味なイメージに装飾された写真もアップされた。
250ドルを支払い、チェルノブイリツアーに参加する観光客は、多くの作業員や学者と共に4号炉から15km離れたチェルノブイリ市に滞在する。
チェルノブイリ市には一定期間しか留まることが許されず、ホテルの従業員も3ヵ月交替で勤務していた。
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