新人時代に多用したが、キャリア中盤以降も印象的な場面でしばしば用いた。持ち前のバネを活かした打点の高さ、威力、タイミング、フォームの美しさ、どれも随一で若手時代は「日本人No.1のドロップキックの使い手」と評された。師匠ジャイアント馬場との初対決でこの技を繰り出した時には、あまりに高く飛び上がりすぎて足先が馬場の頭部(2m9cm)を越えてしまったこともある。
スープレックス
ジャーマン、ダブルアーム、フロント、サイドの4種類のスープレックスを使いこなし、特にジャーマンのブリッジは真円を描くかのごとく美しかった。しかし、鶴田のジャーマン・スープレックスは1982年のリック・フレアーとのNWA戦を最後に封印される。表向きの理由は「恐ろしい威力を誇り危険であり調節も難しいため」であったが、和田京平レフェリー曰く「ハゲるのが嫌だから」であった。ただ、鶴田のジャーマン・スープレックスはスピードを落として持ち上げて一旦止めてから投げていく、現在でいう二段モーション式ジャーマンなので、結果相手は高角度からほぼ垂直に落下する危険なタイプのものであるのは確かで、第8回チャンピオン・カーニバルの決勝で仕掛けられたディック・スレーターが首を負傷してしまったのは有名。
なお、フロント・スープレックスをフィニッシュにしたレスラーは鶴田が初めてで、(カール・ゴッチは『私は彼(鶴田)が騒がれる前からサルト(フロント)を使用していた』と主張しているが、ゴッチが試合でフロントを使用したという記録は少なくとも現時点では存在していない)、ジャック・ブリスコからUNヘビー級王座を奪取する決め手となったのはフロントだった。鶴田曰く「ジャーマンは1週間で習得出来たが、フロントは4週間かかった。4種類のスープレックスでは一番難しく、本当に受身の上手い選手にしか使わない」そうである。
サイド・スープレックスについては、長身の馬場を投げきる場面が印象的な映像として頻繁に流されている。
最もよく使われており得意としていたのはダブルアーム・スープレックスで、ジャンピングニー、ボストンクラブなどとともに、80年代前半は大試合で必ず見られるムーブのひとつであった。
なお、フロント・スープレックスをフィニッシュにしたレスラーは鶴田が初めてで、(カール・ゴッチは『私は彼(鶴田)が騒がれる前からサルト(フロント)を使用していた』と主張しているが、ゴッチが試合でフロントを使用したという記録は少なくとも現時点では存在していない)、ジャック・ブリスコからUNヘビー級王座を奪取する決め手となったのはフロントだった。鶴田曰く「ジャーマンは1週間で習得出来たが、フロントは4週間かかった。4種類のスープレックスでは一番難しく、本当に受身の上手い選手にしか使わない」そうである。
サイド・スープレックスについては、長身の馬場を投げきる場面が印象的な映像として頻繁に流されている。
最もよく使われており得意としていたのはダブルアーム・スープレックスで、ジャンピングニー、ボストンクラブなどとともに、80年代前半は大試合で必ず見られるムーブのひとつであった。
ミサイルキック
倉持隆夫アナからはウルトラCドロップキック、もしくはジャンボ・ミサイルキックと呼ばれていた。1975年全日本に参戦したリッキー・ギブスンが公開、ドロップキックを得意技にしていた鶴田はこのミサイルキックを自分のものとした。ジャーマン・スープレックスと共に若手時代の鶴田のフィニッシュだった。スワンダイブ式が全盛の今と違い、2m近い巨体の鶴田が体を捻りながら蹴るミサイルキックの威力は高く、ミル・マスカラス、リック・フレアーといった一流どころからも3カウントを奪っている。
ジャンボラリアット
スタン・ハンセンのような一撃必殺技とは行かないが、試合の要所でこの技を使用した。キャリアが中盤になるころから使い出した技。1984年のテリー・ゴディとの一騎打ちあたりから黒いアームサポーターをしごいて放つジャンボラリアットが誕生したと言われる。鶴田のラリアットの打ち方は特徴があり、通常は下から体ごと伸び上がりながらノドを突き上げる。ただし、菊地毅のような小柄のレスラーには肘を曲げて上から体重を乗せるような打ち方をした。いずれにせよ、鶴田の身長を上手く利用した打ち方であった。また、長州力のリキラリアット同様、使用した当初は腕を痛めたポーズをとっていた。
フライング・ボディシザース・ドロップ(テーズ・プレス)
ジャンプして相手に飛びついて、馬乗りになるような状態で背中から叩きつける。1983年4月、ルー・テーズにバックドロップを習った際に一緒に教わったもの。そのままフォールの体勢になることも多いが、トップロープに自らの喉元を打ち付ける誤爆も多かった。また長身でジャンプ力のある鶴田が使うと勢い余ってヒップドロップの形で落下してしまうこともあった。技の説得力から使用回数の割にフィニッシュムーブとなることが多かった。
パワーボム
天龍源一郎との1989年4月20日大阪における三冠ヘビー級選手権で、喉笛へのチョップを何度も食らったために怒りで我を忘れた鶴田が、その天龍に対し放った技。のちに「ジャンボ・リフト」の別名がついたそのパワーボムは超急角度かつハイスピードなもので、頭から垂直に落とされた天龍は口から泡を吹いて失神。
直後に天龍の異変に気付いた鶴田が慌ててフォールし、試合を終わらせている。(実際には鶴田のミスであり、それまではパワーボムをほとんど使用してなかったために「加減が分からずやりすぎた(鶴田・談)」)
直後に天龍の異変に気付いた鶴田が慌ててフォールし、試合を終わらせている。(実際には鶴田のミスであり、それまではパワーボムをほとんど使用してなかったために「加減が分からずやりすぎた(鶴田・談)」)
エルボー・バット
鶴田が大きな技へのつなぎ技、反撃の糸口として使うエルボー・バットはエルボー・スマッシュと、体を半回転させて打ち込む、今でいうローリング・エルボーの形に近いものが多かった。どちらもドリー・ファンク・ジュニアの得意技で、ファンクス道場での修業中にドリーから教えられたもの。
ショルダースルー
この技はほとんど相手の反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的なムーブである。相手の攻撃を「引き出す」ための動きだが、鶴田に比較的余裕のある状態で行われるため、やや不自然なものであることが多い。ブルーザー・ブロディとのシングル戦では、双方がショルダースルーに行こうとしては反撃で失敗する「ダブルお約束」的シーンが見られた。
タックル
この技も、ほとんど相手の反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的な動きである。コーナーに投げた相手に向かってタックルをかけるべく頭から突進するがキックを食らうかもしくは自爆。決まったことは数えるほどしかない。
場外でヘッドロックから鉄柱攻撃
この技もまた、ほとんど反撃にあって失敗する。いわゆる「お約束」的な動きである。場外で相手をヘッドロックにかかえたまま相手の頭部を鉄柱に打ち当てるべく突進。頭を抜かれて自分が鉄柱に体当たりする。
闘魂 2021/6/28 22:15
全日はケツ決めなしとか、昭和の中学生のようなコメントを発見して久々笑った。まだ、こんな人が世の中にいるとは。逆にこういう人って、プロレスを楽しめないんじゃないのかな。
白井黒子 2021/2/4 12:36
個人的には、チャイニーズカンフーの音楽で、試練の10番勝負、キムイル、キムドク組とのインタータッグ戦、ビルロビンソン、マードック戦の頃の方が印象強い。
日本人同士は、途中でつまらなくなり、プロレスは、80年代の終わりに全く見なくなった。
田んぼ鶴田 2020/11/16 00:32
デマを流すのはやめてほしい。全日も新日もやってることは一緒でしょ。
全日だけがケツ決めなしとかありえないし、維新軍が全日きたときにマズいところに来た思ったとか、デマもはなはだしい。そんなに全日が強かったらなぜ長州力は全日参戦中一度もフォール負けはなしだったんでしょう。鶴田も結果的に勝てなかったわけだし。タッグ王座もシングル王座もジャパン軍が総なめ。全日が本当にケツ決めなしでやってたとしても、ケツ決めありしかやってなかった人たちにそんなに負けまくったなら、逆に恥ずかしい話でしょ。
浅井ラム 2020/10/20 04:34
新日本はFACEだったし試合もそれとわかる試合ばかりだったから全日本を観てた。
テリーファンクは馬場さんが亡くなった時、全日本は世界で唯一残る伝統と言っていた。ターザン山本が記事と引き換えにブックを持ち込んでるが、それまではスーパーヘビーにジュニアが混ざる6人タッグとか、ジョバーが負けを善しとする感じはあったけど、メイン選手にはケツ決めなんて無かった筈。だからジャパン軍団は参戦初日の後に控え室で「マズいところに来ちゃったね」ってお通夜みたいになったらしい。
ミスター高橋の新日本はこうだから全てこう、の論法はおかしい。
浅井ラム 2020/10/20 04:33
新日本はFACEだったし試合もそれとわかる試合ばかりだったから全日本を観てた。
テリーファンクは馬場さんが亡くなった時、全日本は世界で唯一残る伝統と言っていた。ターザン山本が記事と引き換えにブックを持ち込んでるが、それまではスーパーヘビーにジュニアが混ざる6人タッグとか、ジョバーが負けを善しとする感じはあったけど、メイン選手にはケツ決めなんて無かった筈。だからジャパン軍団は参戦初日の後に控え室で「マズいところに来ちゃったね」ってお通夜みたいになったらしい。
ミスター高橋の新日本はこうだから全てこう、の論法はおかしい。