全盛期は、平日でも1,000人以上の集客があり、台風で山手線が止まった月曜日であっても、約800人が来店した。
1992-1993年頃の金土日は2,000人以上、3,000人を超えることもままあった。
そのため、店内が鮨詰め状態であり、周囲の他人と触れることなく、店内を移動することは不可能であった。
店内は基本的にフリーシート。しかしVIProomを含めても、席数は300弱であったため、ほとんどのゲストが着席できない状態であった。
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ジュリアナといえば、ワンレン・ボディコンを身にまとった女性が「お立ち台」でジュリ扇と呼ばれる羽根つき扇子をかざして踊る姿が、今でもしばしばテレビで流される
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ワンレン・ボディコン
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ワンレングス
ワンレングス(one length cut)はヘアスタイル(髪型)で、ワンレングス・ボブのこと。ストレートの髪でフロントから後ろまでを同じ長さに真直ぐ切り揃えたものである。略してワンレン。毛先に段差をつけるレイヤーに比べ、重い印象を受ける。
1990年代前半のディスコに集まる女性は、ワンレンロングヘア・ボディコン・爪長・ハイヒール、というのがお決まりのファッションだった。
ボディコン
ボディコンとは、ニットなど体に密着する素材を使い、体の線(ボディ・ライン)を強調した服(多くの場合、女性用のミニのワンピース)、またそういったスタイルを言う。ボディ・コンシャス(body-conscious)の略語。「体を意識した~」「体に意識のいっている~」と言った意味で、英語圏ではファッション以外でも使われる言葉である。
1981年のミラノ・コレクションでアズディン・アライアが、身体に添ったデザインのドレスを発表した。これをボディ・コンシャススタイルという。日本では略して、ボディコンと呼ばれ浸透した。ピンキー&ダイアン(Pinky&Dianne、ピンダイ)などの DCブランドから、さらにシルエットをシェイプしたスタイルのボディコンファッションが生まれた。
荒木師匠こと荒木久美子に代表される、ジュリアナ扇子(通称「ジュリ扇」)を合わせたファッションのタレントもこの時期のメディアにしばしば登場した。
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荒木 久美子(あらき くみこ 1970年5月19日 - )は日本のダンサー、タレント。通称『荒木師匠』。
1991年にオープンし一世を風靡したディスコ、ジュリアナ東京でカリスマ的存在となり、「お立ち台の女王」「ディスコの女王」と呼ばれた。
テレビ朝日の「トゥナイト」に出演し、ボディコン、ミニスカ、ハイヒール姿で羽扇子(ジュリセン)を振りかざして踊り、ジュリアナクィーン、扇子の女王、元祖扇子ギャルなどと呼ばれた。乱一世や山本晋也との掛け合いも番組名物となり、ジュリアナブームの顔になった。
女性の体形が表に分るようなファッションに当時の男はメロメロでした・・・
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派手だったバブル時代
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