【グランプリ連覇】勝っても負けても鮮やかな逃げ馬メジロパーマー
2022年6月20日 更新

【グランプリ連覇】勝っても負けても鮮やかな逃げ馬メジロパーマー

勝つときは鮮やかな逃げ切り勝ち、負けるときは4コーナーで失速して惨敗。どのレースもハラハラドキドキの逃げ馬メジロパーマー。1992年のグランプリレースを連覇するほどの実力馬ですが、実は障害に転向した経験も。そんな個性的逃げ馬の足跡をたどります。

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父も人気の逃げ馬

メジロパーマーは、
父 メジロイーグル 母 メジロファンタジー
の間に誕生した、鹿毛の牡馬です。

生産は日本屈指のオーナーブリーダー、メジロ牧場。
1987年(昭和62年)3月21日生まれで、同じ年に、GI馬のメジロマックイーン、メジロライアンも誕生していることから、のちに「花の62年組」と呼ばれました。

父メジロイーグルも逃げ馬で、京都新聞杯でダービー馬サクラショウリを破った実力馬。400キロ前後の小さな馬体から「小さな逃亡者」と呼ばれ、人気を博しました。それになぞらえて、メジロパーマーも「遅れてきた逃亡者」と呼ばれることがあります。

12連敗、重賞勝利、障害転向

まさかの12連敗

1989年8月、新馬戦デビュー。新馬戦は2走続けて2着に惜敗しますが、3走目の未勝利戦で初勝利。続くコスモス賞(OP)も勝利します。

順調なすべり出しに見えましたが、3歳オープン2レースでいずれも着外。その後、骨折が判明し休養に入ります。

4歳となった翌1990年、1500万下、オープンの4レースを使った後、初の重賞レース、函館記念に出走します。しかし、またしても直後に骨折が判明。同期同門のメジロマックイーン、メジロライアンがクラシック戦線で活躍する中、メジロパーマーは勝つことすらできませんでした。

振り返れば、まさかの12連敗。1年9ヶ月もの間、勝ち星に見放されます。

重賞初制覇と障害出走

天皇賞・春でも惨敗を喫し、オープンでは歯が立たないと判断した陣営は、障害レースへの転向を検討し始めます。一時調子が上がり、札幌記念(GIII)に挑戦して見事勝利しますが、その後も逃げバテのレースが続き、障害への出走を決意します。

障害試験をレコードタイムで合格し、初戦も勝利。ところが2戦目、飛越が低すぎて負傷。飛び方が適当で、このままでは事故を起こす恐れがあったため、呆気なく障害の道を断念します。再び、平地のレースに戻ることになりました。

ついにGI制覇

山田泰誠との出会い

障害帰りが奏功したのか、その後はレースで引っかかることが少なくなります。復帰3レースはいずれも、人気以上の着順を残しました。天皇賞・春から鞍上は山田泰誠。名コンビ誕生で、ここからメジロパーマーが覚醒します。なかでも、新潟大賞典(GIII)は、二度目の重賞勝利で、内容的にも危なげなく完勝でした。ついに、宝塚記念(GI)への出走を果たします。

9番人気1着

重賞を勝利し、上り調子だったとは言え、所詮は障害帰りの馬。宝塚記念では、トウカイテイオー、メジロマックイーンの2頭が不在にもかかわらず、9番人気と評価は低いままでした。

レースは、いつも通りメジロパーマーが逃げる展開。自分のペースに持ち込み、4コーナーまで先頭を維持します。最後の直線では失速しますが、他馬も失速したため、独走態勢に。後続と差を広げてゴールし、2着カミノクレッセとは3馬身差、3着ミスタースペインとは7馬身差、4着オースミロッチ以下とは10馬身以上の差をつける完勝でした。

1992年 宝塚記念(GⅠ) | メジロパーマー | JRA公式

グランプリ連覇

秋2戦惨敗

グランプリホースとして迎えた秋初戦は、京都大賞典(GII)。実績を買われ2番人気に押されます。しかし、9着と凡走。

続く天皇賞・秋(GII)は、ハイペースの逃げを打ちますが、3コース手前から早々に失速。4コーナーでは4番手にまで後退します。最後の直線は、先行馬が総崩れで、後続が追い込む展開。終わってみれば、穴馬のレッツゴーターキンが1着。メジロパーマーは、先頭から10馬身以上も離されるブービー負け(17着)に終わりました。

宝塚記念はフロック勝ちだったのか。。。そんな評価が支配的になり、グランプリホースの称号に陰りが見え始めます。

ブービー人気からの起死回生

この年の有馬記念(GI)も、スターホースがそろいました。ジャパンカップで外国馬を一蹴したトウカイテイオー、マイルチャンピオンシップを2年連続で制したダイタクヘリオス、菊花賞をレコード勝ちしたライスシャワー。メジロパーマーも、ここに肩を並べるはずでしたが、16頭立ての15番人気。春のGIホースがまさかのブービー人気です。

レースは、予定通りメジロパーマーが逃げる展開。ところが、天皇賞・秋と違って超スローペースです。有力どころが中段、後方で互いを牽制し合う中、3コーナーではメジロパーマーとダイタクヘリオスが完全に抜け出し、後続と15馬身以上の差をつけます。最後の直線はメジロパーマーが単独先頭に立ち、後続が慌てるよう追いかけますが、時すでに遅し。最後はわずかハナ差で、見事な逃げ切り勝ちを収めました。
1992年 第37回有馬記念(GI)

1992年 第37回有馬記念(GI)

メジロパーマーの上がり3ハロンが37.1。2着レガシーワールド、3着ナイスネイチャが34.8、8着ライスシャワーが35.1。それでも追いつけなかった。うまくスローペースで逃げたジョッキー、山田泰誠の好騎乗だったと言えるでしょう。

終わってみればグランプリ連覇。この年、メジロパーマーは「JRA最優秀5歳以上牡馬」に選出されました。
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