【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人
2016年11月25日 更新

【タフィ・ローズ】3球団・13年間プレーした、日本プロ野球史に残る大物助っ人

近鉄・巨人・オリックスの3球団で13年間在籍。「キレやすい」気質の為に退場処分を受けたり、コーチ陣と軋轢を呼ぶ事もあったが、彼がプロ野球史に残る打者であった事は記録とファンの記憶が示している。そんなタフィ・ローズの球歴を振り返る。

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巨人に移籍した2004年、ローズ選手は45本塁打を放ち、外国人野手では史上初の両リーグでの本塁打王を獲得します。ところが2005年、ローズ選手の守備を指摘した当時のコーチと激しく口論になった事も影響してかチーム内で次第に孤立。8月には右肩を故障。結局その年のオフに巨人を戦力外となります。

カブレラとの夢のクリーンナップを形成!

巨人退団後、アメリカに戻っていたローズ選手は、一時引退を表明していましたが、2007年の春季キャンプで入団テストを経て、オリックスバッファローズに入団。ブランクを全く感じさせず、この年、42本塁打、96打点を挙げる大活躍を見せるのです。
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2008年には西武から移籍したカブレラ選手と同僚になり、55本塁打記録を持つ二人のクリーンナップは相手チームの脅威となりました。当時、オリックスの2軍にはローズ選手と巨人時代にチームメイトで仲もよかった清原選手がおり、オリックスファンはカブレラ、ローズ、清原の3人が揃うのを夢に見ていたのです。

2009年のオフ、シーズン中の骨折を公傷とするか否かをきっかけに契約交渉が難航。オリックスとしては来季も戦力として評価していたもののローズ選手の代理人から連絡が無かった事により、交渉が打ち切られ、ローズ選手はオリックスを退団する事になりました。日本プロ野球に在籍した13年間で464本の本塁打を放った大物外国人助っ人の「去り際」はなんとも寂しいものとなったのです。
(※FA権利を取得したローズ選手は、2005年からは日本人扱い)

「退場王」としての一面

普段は陽気な性格で、ファンサービスにも積極的なローズ選手でしたが、グラウンド内では激高する事が度々あり、退場を宣告されることが多かったのです。課された退場処分は史上最多記録の14回。
「死球を当てられた、危険な球を投げられた」という事もですが「ストライク・ボールの判定を巡って」審判に暴言を吐いて退場処分を受けるというケースも多く見られました。
ローズ選手と里崎捕手

ローズ選手と里崎捕手

2007年7月18日の対ロッテ戦。ロッテ先発の清水直行が投じた内角への初球に激高したローズ選手が、ロッテの捕手・里崎智也選手に暴行。それから両軍入り乱れての乱闘劇に発展する。

「元何のローズ」と言うのが正解なのだろうか?

近鉄、巨人、オリックスの3球団で活躍したローズ選手。実はこの記事を書く前、筆者は彼の事を「元何のローズ」と言うのが正解なのだろう?と思っていました。「元近鉄」なのだろうか?「元巨人」なのだろうか?「元オリックス」なのだろうか?
いえ…どれも違う事に気付かされました。彼に「元」と付けるのはまだ早いのです。
なぜならタフィ・ローズ選手は「富山GRNサンダーバーズ」の現役選手(兼野手コーチ)として今も戦い続けているのですから。(2016年2月現在)
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