なんとボーカルが桃屋のCMに出演していました!!
ボーカルの増子 直純が桃屋の『辛そうで辛くない少し辛いラー油』のTV CM出演をしていました。しかしCMの放送からおよそ12日間でオンエアが自粛。理由は、商品が売れ過ぎて店頭に並ばなくなってしまったためだとか。確かに食べるラー油ブームがありました!!特に桃屋のラー油は凄い人気でしたね。ネットで高く売られたり…。それにしてもCM期間が短すぎますね。
「怒髪天」 『辛そうで辛くない少し辛いラー油』うまい!!篇 - YouTube
具だくさんで、何にかけてもおいしく食べられる汎用性とその衝撃的な味わいを、 人気ロックバンド「怒髪天」の増子直純さんが、表情豊かに表現します。 「サクサクとした食感がたまらない!」と、夢中で商品を食べる増子さん。 演技を越えた素のリアクションは如何に!?
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休止中メンバーはどうだったのか!?
─活動休止中は、4人それぞれの生活を送っていましたよね。増子さんはイヴェントの司会や穴あき包丁の実演販売をやったり、友康さんは佐久間学さんのツアーに参加したりスタジオ・ミュージシャンに徹して、シミさんはナートに参加して、坂さんはテレヅメ,名義で弾き語りライヴをやってみたり。
坂詰:テレヅメ,は2回しかライヴをやらなかったんですけどね。
清水:友康さんと俺は1回だけ見に行ったよね。2回目も遅れて行ったんだけど、坂さんはもう帰っちゃっていなかったんだよ。
上原子:2回目をやる時にはもう、坂さんは「ライヴやります」って誰にも言わなくなったんだよね。
増子:そういう冷たい男ですよ(笑)。
坂詰:常にクールを装いますから(笑)。
──いずれまた怒髪天をやるだろうなという考えは各々にあったんですか。
増子:俺はなかったよ。働いて生活の保証もあったし、何よりもこれでやっと生みの苦しみから解放されたと思ってたから。
上原子:俺もなかったね。気ままにギターを弾くのが楽しかったし、バンド自体もうやらないつもりでいた。
清水:じゃあ俺だけがあったわけだ。坂さんには聞いても意味がないからね(笑)。
──実際、活動再開はシミさんがいろいろと立ち回って実現しましたよね。
清水:それは多分、最初に俺が第三者として怒髪天を見ていたからだと思うよ。
増子:シミは俺に「ライヴをやってないで可哀想だ」って言うんだから。全然そんなことないのに(笑)
増子 直純は、活動休止中に色々経験して得た事があったようです↓
1996年~1999年の活動休止期間中に、工事現場の仕事やプロレスのリングアナウンサー、穴あき包丁の実演販売などの経験を持つ。包丁の実演販売の際、主婦の方と接し「大人って意外とみんないい人じゃないか」と感じ、音楽性にも変化が表れたと話している。
怒髪天の30周年を振り返る
アンコールでは、
4人は真っ赤な法被姿で再度ステージに上がった。増子は「新しい言葉を開発すればいいんだけど、ヘンな感じになるから。ありがとうとしか言えないわ」と改めて感謝の思いを述べ、「ここで愛すべきメンバーを紹介したい」と3人を紹介しつつ、それぞれにコメントを求めた。バンドへの思い、武道館への思いが3人それぞれの言葉で語られると、場内は大きな感動に包まれ、そのたびに増子は肩をすくめて後ろを向いてしまう。そして「俺はこのメンバーとやることが楽しくてやってきた。バンドでどれぐらい持つのかがんばってみようと思う」と、この4人でいつまでも駆け抜けていくことを約束した。最後は全員楽器を置き、浴衣ダンサーを交えての「ニッポン・ワッショイ」でフィニッシュ。紅白の幕がゆっくりと降りる中、4人は最後の最後まで客席に手を振って声援に応えた。
なんだかんだいっても日本のロックバンドの最高の栄養は、単独で武道館ライブを行うことだと思うのですが、それを実現してしまった怒髪天はすごいです。日本のロックバンドで武道館ではなかなか出来るものでもないし、それこそ昔武道館でLIVEをやったバンドが、今は全国ツアーと銘打って、ライブハウス周りをしているというのが当たりまえのことなんですよ。それ50手前の彼らが武道館でLIVEをやるというのは、本当にすごい。
怒髪天は、ボーカルの熱い歌声が心に響き元気が貰える曲が多いです。そして明るくメロディーもとても聴きやすいです。
映像関連
怒髪天 MV「歩きつづけるかぎり」 - YouTube
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