松井章圭  華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家
2019年3月4日 更新

松井章圭 華麗な技と不屈と精神を併せ持った天才空手家

「一撃必殺」 数ある格闘技・武道団体の中でも超硬派に最強を追求し続ける極真空手。 独特の厳しい稽古により数々の猛者が排出されたが、中でも松井章圭は異色の存在。 突き(パンチ)と下段回し蹴り(ローキック)だけでなく、上段回し蹴り、中段回し蹴り、後ろ回し蹴りを多用する華麗な組手。 無表情な中にも、内に秘めた激情。 黒澤浩樹など科学的なトレーニングによるアスリート型の空手家が台頭していく中で、武道的、武術的な空手の強さを追求し体現した。 最年少黒帯。 最年少全日本大会出場。 全日本大会連覇。 100人組手完遂。 世界大会優勝。

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清濁併せ呑む

これが大山倍達の内弟子だ!若獅子寮

若獅子寮に住む内弟子の修業は、1000日行といわれ、1日24時間空手漬けの生活を3年間続けて卒寮となる。
総本部周辺の清掃の後、6時から5㎞のランニング。
このとき踏切などでは、腕立て伏せを行う。
その後は坂道ダッシュを数本。
縄跳び。
腹筋、背筋、拳立て伏せ、スクワット。
当番が朝食を作っている間、他の者は道場に整列し寮歌を合唱。
朝食後は、館内の清掃。
9時30分、整列して大山倍達を待って朝礼。
その後は昼まで、受け付け、電話番など各自の仕事を行う。
昼食後は、週2回、内弟子稽古。
深夜まで続く稽古が終了するのを見届け就寝する。
毎年、全国から100名の応募があり、約10名が選ばれ入寮するが、脱走者が続出し年末には3、4名になった。
卒寮すると国内や海外の支部道場に指導員として派遣された。
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内弟子を含め、総本部で修行をする者は、厳しい稽古に耐えているという誇りがあった。
また比較的アットホームな雰囲気で修行する支部を見下す者もいた。
支部出身の松井章圭は、一部の総本部の先輩たちからかわいがりを受けた。
腕を組んで話を聞いていると殴られ、目をみて挨拶すると殴られた。
そして組手では全力で倒しに来られた。
松井章圭は、理不尽な行為も総本部の習いと受け容れた。
「逃げることは許されない。
強くなって年に1度の全日本大会で堂々と決着をつけてやる」
一部の先輩の私的な制裁に耐えながら、飲めない酒を無理に流し込んだり、雑念を払いのけようと稽古に励み、なんとか総本部に溶けこもうと努力した。
夏の合宿では腕相撲大会が行われ、松井章圭は、理不尽なイジメを行ってくる先輩と対戦。
双方、ケンカ腰で勝負し、松井章圭は、1勝2敗で敗れたが、精神的には一歩も退かなかった。
また総本部で松井章圭は、マンガや本を通して憧れていたスター空手家に接っすることが多かったが、虚像と実物のギャップに愕然とさせられることもあった。
松井章圭は
「人間には表と裏がある。
人間を理解するには『清濁併せ呑む』ということが大切」
と考えるようになった。
清濁併せ呑むとは、善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れるという度量の大きさのことである。

ウエイトトレーニング開始

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松井章圭は、先輩から永田一彦トレーナーを紹介され、指導を受けるようになった。
永田一彦は、
パワーリフティングの日本記録者で、
「人間には計り知れない潜在的パワーが宿っている」
という信念を持っていた。
弱音を吐くジム生を3階のベランダの手すりにぶら下げ、泣いて救いを求められても、生まれて1度もできなかった懸垂ができるまで、冷ややかに眺めていた。
サーキットトレーニングなど合理的なメニューに加え、2時間ブッ通しのスクワット、腕立て伏せ300回×3セット、腕立て伏せの姿勢で何分耐えられるかなど一見不合理的なトレーニングも行い「鬼の永田」と呼ばれた。
筑波大学大学院体育研究科コーチ学を専攻しスポーツ医学学際カリキュラム修了、現在、Nメソッドネットワーク代表で永田式鍼灸柔整院院長である。
永田一彦のジム「ワークアウト」は山手線の五反田駅から徒歩5分のところにあるビルの3階にあったが、総本部に居場所がなかった松井章圭は、ジムの片隅のビニールマットで寝泊まりした。
また通常、ジムで必要なのは、ウェアとシューズとタオル、水分だけだが、松井章圭は、筆記用具と稽古&トレーニング日記を持っていた。

出会い

極真館・盧山初雄館長・演武(這)

また松井章圭は、週1回、埼玉県の川口駅近くのビルの地下にあった盧山初雄の道場へも出稽古に通った。
この頃の極真の道場は、科学的なトレーニング、合理的な考え方を取り入れ西洋化していくのが一般的だった。
しかし盧山道場の稽古は独特だった。
まず中国拳法の修行法である立禅、這い。
立禅は、高い椅子に腰掛けるように中腰になり、踵を少し浮かし足親指の付け根に重心をかける。
両手で大きなボールをかかえるように円をつくる。
顎は軽く引いて、目は軽く開きやや上の方を観て、意識を遠くに放つ。
頭は、天から吊り下げられている感覚、脚は、地面の中に埋まって根を張っている感覚で、この姿勢を20~30分続ける。
人間の内的な力(潜在能力)を強化し、瞬間的な爆発力(気の力、火事場のバカ力)を養成するのが目的である。
這いは、立禅の姿勢のまま、ゆっくり歩を進める鍛錬法
両腕は上げたまま、腰を落としたまま、ゆっくり前後に歩を進めることは非常にキツい。
しかし下半身の鍛錬はもちろん、骨盤を中心にした重心移動を体感することができ、実戦の速い動きの中に生かすことができる。
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そして極真空手の基本、移動、型、組手を行った後に、砂袋(砂が入った麻袋)に、拳、手刀、肘、膝、脛、背足(足の甲)、中足(足の親指の付け根)を、それぞれ1000回打ちつける部位鍛錬を行った。
稽古の後、盧山初雄に連れられていった埼玉県の南浦和駅前の焼肉店「トラジ」で、松井章圭は、後に結婚する韓幸吟と出会った。
幸吟の母親、任福順は、松井章圭の父親と同じ済州島出身で、兄の韓明憲、妹の幸吟が小学生のときに父親は亡くなり、その後はパチンコ店の清掃などをしながら貯めたお金でトラジを開いた。
松井章圭は、たびたびこの焼肉店に通い、任福順が用事ができれば留守番を買って出たり、注文を取ったりして店を手伝った。
1981年の秋、サッカー・ワールドカップ・スペイン大会のアジア・オセアニア予選で、日本代表と北朝鮮代表戦が対戦。
朝鮮高級学校時代にサッカー選手だった韓明憲は、2歳下の松井章圭を誘って、代々木国立競技場に北朝鮮代表の応援をしにいった。
すると韓国籍と北朝鮮籍の在日コリアンの合同サポーターが、銅鑼やチャンゴを鳴らして北朝鮮代表の応援をしていた。
大雨の中の試合は、北朝鮮のゴール前の水たまりで止まったボールを日本が蹴り込んだゴールが決勝点となった。
試合終了後、松井章圭は、涙を流した。
その後、高校を卒業し池袋の銀行に勤め始めた韓幸吟が、偶然、池袋駅前で松井章圭と再会したことから付き合い始まった。

パンチ開眼

渡辺茂選手 (第23回 ミスター東京 1988)

松井章圭が孤独な戦いを続けていた総本部に、渡邊茂というとんでもない男が入ってきた。
そして松井章圭同様に本部の洗礼を受けるが、松井章圭とは違うやり方で戦った。
渡邊茂は、プロスキーヤーをしながら中央大学で教員免許を取得し、卒業後、プロボクサーになり、新人王戦で準優勝。
ジムの先輩で、世界チャンピオンだったガッツ石松に
「お前のパンチはデュランより強いよ」
といわれた。
ロベルト・デュランは、「石の拳」といわれた強打、野生的な戦闘スタイル、怪物的な強さで3階級を制覇した伝説のチャンピオン。
ガッツ石松もその拳の前に沈んだ1人だった。
ボクシングをやめた後、渡邊茂は、池袋一帯でヤクザにケンカを売っては殴り倒し、金を巻き上げていた。
やがて中村誠の住むマンションの1階にあった24時間営業の喫茶店の副店長になった。
そして中村誠に強引に道場に連れていかれ、23歳で入門した。
そして初めての組手で、全日本大会で上位クラスの選手たちをパンチだけで倒していった。
大山倍達は、渡邊茂を大変気に入り、黒帯を締めることを許した。
その上、10万円の給料で指導員を頼んだ。
破格の待遇を受けたド新人が気に入らない総本部の先輩たちが、ある夜、渡辺茂を公園に呼び出した。
「指1本でも触れたら2度と空手のできない身体にしてあげるからね。
全員でかかってきなさい。
今日は腕の1本や2本はあげるよ」
先輩たちは捨てゼリフを吐いて去った。
渡邊茂に返り討ちにあい、しばらくおとなしくしていた先輩たちだったが、やがて再び門下生イジメを行うようになった。
すると今度は渡邊茂がリーダー格の先輩のアパートを急襲。
「殺すぞ」
その先輩は泣きながら土下座して許しを乞うた。
松井章圭が渡邊茂と初めて会ったのはワークアウトだった。
「自分にはないキレたら弾け飛ぶような猛々しさ」
を感じた松井章圭は組手を申し込んだ。
渡邊茂はガードした松井章圭の腕や肩のつけ根にバチッバチッと強烈なパンチを、すさまじいスピードで打ち込んだ。
(このパワーで顔面に打ち込まれたら・・)
松井章圭は恐怖で動けず技が出せなかった。
ガードへの攻撃が続き、松井章圭は両腕に強烈な痛みを感じ、やがて神経まで麻痺しはじめた。
痛みと痺れで両腕の機能を失った松井章圭はガードを固めたまま固まってしまった。
それをみた渡邊茂は攻撃をやめていった。
「な、後は滅多打ちにして倒すだけだろ」
その後も松井章圭と渡邊茂の組手は何回か行われた。
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ある日の深夜、五反田駅前の歓楽街で1人で酒を飲んでいた渡邊茂が、通りすがりのヤクザ5名をからかったことからケンカになった。
たちまち3名が血祭りにあげられ、1人が組事務所に連絡。
ドスなどの道具を持った10名の応援がかけつけ、大乱闘となった。
素手の渡邊茂が、さらに5名を戦闘不能にしたとき、パトーカー十数台が到着。
ヤクザたちはすぐに戦闘態勢を解いたが、熱くなった渡邊茂は収まらず、警官に包囲された。
上官が許可し、銃に取り囲まれて、ようやく手錠を受けて連行された。
6名のヤクザが病院送りになった。
新聞やテレビのニュースにもなった事件の話を聞いて永田一彦はいった。
「なんでヤツを射殺しなかったんだ」
数年後、渡邊茂は極真を退会。
アメリカの大学で運動生理学を学び、帰国後、大学の講師などを務め、ボディビル日本代表にもなり、現在は整体院を開いている。

昭和56年 極真 第13回全日本選手権大会{優勝 三瓶啓二} The 13th All-Japan karate tournament in 1981. Kyokushin Karate

1981年11月、第13回全日本大会が東京体育館で開催された。
総本部に移籍して初めての全日本大会だった。
昨年は、準決勝で三瓶啓二に敗れ4位だったので、松井章圭の目標は「打倒!三瓶」だった。
しかし準決勝で三瓶啓二と対戦し、突きと下段回し蹴りで攻められ本戦で判定負け。
3位決定戦は判定勝ちし3位となった。
松井章圭は、週1回、城西支部の道場への出稽古を開始した。
城西支部長の山田雅稔は、4名の(体重無差別の)全日本チャンピオンと5人の全日本ウエイト制チャンピオンを育てていた。
松井章圭は、これまで経験していなかった新鮮な練習を体験した。
まず当てる寸前でパワーダウンさせるスパーリング。
これによって力まず正確なフォームで技を当てることができた。
そして連続攻撃の練習は、数十種類のコンビネーションをミットをつかって反復練習。
練習は、ビデオ撮影され、後で観て技をチェックした。
またこれまで松井章圭は、低~中負荷×高回数(軽い重さを多くの回数反復させる)方法だったが、高重量低回数(重い負荷重量を少ない回数反復させる)ウエイトトレーニングを教わった。
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