あらすじ
カトリック系のお嬢様名門女子校、「聖ミカエル学園」に通うお嬢様たちは、富と家柄が完璧。学園内での挨拶は、「ごきげんよう」。しかし。どこの世界にも異端児というものは存在する。聖ミカエル学園に通う「大天使の乙女たち(アークエンジェルの乙女たち)」には、庶民になりたがる迷える子羊が3匹。司城史緒、斉木和音、更科柚子。
猫をかぶるのが、辛くてたまらない史緒は、ある日の自習の時間、校舎を抜け出して、学校の裏の小高い雑木林で、焚き火を起こして串に刺したアジの開きを焼き、かぶりつく。柚子と和音が探しだした時、史緒はアジの開きを口に加えながら、くるり「んば?」。途端に地を出す3人。自分たちが同質の人間だと気づき「いかに自分が庶民であるか」を競って語り合う。
ある時、たわむれに作った薬品が原因で、3人はメンデレーエフの力と呼ぶ超人的な怪力を手に入れる。その頃、名門女子高校生連続誘拐事件が立て続けに起こり学園にも犠牲者が・・・!?
猫をかぶるのが、辛くてたまらない史緒は、ある日の自習の時間、校舎を抜け出して、学校の裏の小高い雑木林で、焚き火を起こして串に刺したアジの開きを焼き、かぶりつく。柚子と和音が探しだした時、史緒はアジの開きを口に加えながら、くるり「んば?」。途端に地を出す3人。自分たちが同質の人間だと気づき「いかに自分が庶民であるか」を競って語り合う。
ある時、たわむれに作った薬品が原因で、3人はメンデレーエフの力と呼ぶ超人的な怪力を手に入れる。その頃、名門女子高校生連続誘拐事件が立て続けに起こり学園にも犠牲者が・・・!?
「アークエンジェルの乙女たち」現実世界に降臨!上野樹里主演で映画化に♫
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2006年、「笑うミカエル」は、上野樹里主演で映画化されました。笑いあり、感動あり、そしてぶっ飛びのアクションありのスーパーエンターテインメントに仕上がっています。上野樹里は、訳あって超お嬢様校・聖ミカエル学園に転入した主人公史緒を元気いっぱいに演じています!上野樹里ファンは是非、ご覧になってみてください。
漫画を描けなくなったキーパーソンは友人だった!?
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川原泉はしばらく漫画を書くのを休業していたとのことでした。
川原泉の友人に、三原順という漫画家がいます。川原泉が取材旅行で北海道に行った際、北海道に住んでいた三原順と知り合いました。三原順は1973年、『別冊マーガレット』に掲載の「ぼくらのお見合い」でプロデビュー した漫画家です。代表作には1975年から1981年にかけて『花とゆめ』に連載した「はみだしっ子」シリーズがあります。
三原順は、社会や人間の心理を掘り下げる作風の漫画家で、深い洞察力を持っていました。文章のみで構成されたページもありました。同じく哲学的な漫画を描き、カーラ教授と読者にいわれる川原泉と三原順の間に友情が芽生えたのは自然な流れだったのではないでしょうか。
しかし、三原順は1995年、42歳の若さで病没します。
川原泉が、1996年に東京の世田谷から生まれ故郷の鹿児島に移住したのも、三原順の死となにか関係があるのかもしれません。
川原泉の友人に、三原順という漫画家がいます。川原泉が取材旅行で北海道に行った際、北海道に住んでいた三原順と知り合いました。三原順は1973年、『別冊マーガレット』に掲載の「ぼくらのお見合い」でプロデビュー した漫画家です。代表作には1975年から1981年にかけて『花とゆめ』に連載した「はみだしっ子」シリーズがあります。
三原順は、社会や人間の心理を掘り下げる作風の漫画家で、深い洞察力を持っていました。文章のみで構成されたページもありました。同じく哲学的な漫画を描き、カーラ教授と読者にいわれる川原泉と三原順の間に友情が芽生えたのは自然な流れだったのではないでしょうか。
しかし、三原順は1995年、42歳の若さで病没します。
川原泉が、1996年に東京の世田谷から生まれ故郷の鹿児島に移住したのも、三原順の死となにか関係があるのかもしれません。
カーラ教授の現在
川原泉の絵に変化が・・・!?
1990年代後半に画業を再開した川原泉の作品が「ブレーメン」です。初期の頃とは違う、硬質の線が使われており、目も初期の頃の作品のものと違うように思います。
川原泉の作品は、お気楽でのほほんとしたキャラが、落書きのような脱力系の絵柄で深い真理を口にする作風が特徴でした。「現在のかっちりした硬質の線の絵になると、初期の頃のみずみずしい深さがなくなってしまっているように思うときもある」と、ネットでも指摘されています。
故郷での第1作はエッセイ漫画「小人たちが騒ぐので」。その次に描いた「ブレーメンⅡ」が2005年に星雲賞コミック部門およびセンス・オブ・ジェンダー賞特別賞を受賞しました。その後も「レナード現象には理由がある」からはじまる「~がある」シリーズを描くなど、活動は続いています。
作品を描くペースが遅いことでも知られる川原泉。たびたび原稿を落としており、作品数は決して多くはありません。今も、自分なりのペースで、作品を発表し続けています。
川原泉の作品は、お気楽でのほほんとしたキャラが、落書きのような脱力系の絵柄で深い真理を口にする作風が特徴でした。「現在のかっちりした硬質の線の絵になると、初期の頃のみずみずしい深さがなくなってしまっているように思うときもある」と、ネットでも指摘されています。
故郷での第1作はエッセイ漫画「小人たちが騒ぐので」。その次に描いた「ブレーメンⅡ」が2005年に星雲賞コミック部門およびセンス・オブ・ジェンダー賞特別賞を受賞しました。その後も「レナード現象には理由がある」からはじまる「~がある」シリーズを描くなど、活動は続いています。
作品を描くペースが遅いことでも知られる川原泉。たびたび原稿を落としており、作品数は決して多くはありません。今も、自分なりのペースで、作品を発表し続けています。
まとめ
学園モノ、SF、スポーツ漫画など、様々なジャンルで一貫してギャグ漫画を描き続けている川原泉。「いじめられたことがあったり、家庭環境が複雑だったりする人にはかなり受ける作風」だと読者にいわれたりもするそうです。
「つらくてもそれを一切周りには悟らせない、けなげな主人公。 そして、その主人公には必ず理解者が現れる(ここが現実と違う)。 そのあたりをベタッとした感情に訴えることなく サラリと描くことに関してはこの人の右に出る漫画家はいない」とのコメントもありました。
特に初期の頃の作品群は兎に角、素晴らしいので、まだ川原泉を知らない人は是非、作品を読まれることをオススメします。私もこれを書いていたらまた読みたくなってきてしまいました。
「つらくてもそれを一切周りには悟らせない、けなげな主人公。 そして、その主人公には必ず理解者が現れる(ここが現実と違う)。 そのあたりをベタッとした感情に訴えることなく サラリと描くことに関してはこの人の右に出る漫画家はいない」とのコメントもありました。
特に初期の頃の作品群は兎に角、素晴らしいので、まだ川原泉を知らない人は是非、作品を読まれることをオススメします。私もこれを書いていたらまた読みたくなってきてしまいました。