うつ病と診断され、今度は自分と向き合ったり、客観的に自分を見つめなおした時期がきたのかもしれません。その頃、梓みちよさんに提供した「小心者」を作詞・作曲し、自身の心情を表した曲になったということです。
余談ですが、「スター誕生!」で審査員をしていた都倉俊一さんも桑田佳祐さんの名前を挙げ、「羨ましい」と語っています。
余談ですが、「スター誕生!」で審査員をしていた都倉俊一さんも桑田佳祐さんの名前を挙げ、「羨ましい」と語っています。
90歳までにやりたかったこと
70代はまだ若いなというところもあったけど、80になったら何でもありやな、と。毎日新しい曲ができてる。音楽が楽しい。(25年)大阪万博でもステージをやりたい
中村泰士さんの80歳の誕生日を祝う”傘寿ディナーショーで80歳になっても歌手として、作曲としてもとても意欲を感じられるコメントをされていました。この日の舞台衣装も「ヒョウ柄の金色タキシード」ということで自身は『もうそろそろということで…お仏壇ルックです』とジョークで会場を沸かせていました。
80代に入って歌に向き合おうとあらためて思った中村泰士さんはちゃんと体調を整えることを意識していたようです。ウォーキングもして、ボイストレーニングをしたり、体幹を鍛えたり呼吸の仕方を見直したりもされていたということです。
そんな中村泰士さんが90歳までの目標を持っていました。
90歳まで元気に生きる。これがずっと僕が目標にしてきたことなんですけど、80歳になって、本当に楽しくなった。なので、この勢いで何とか90歳までに日本の多くの人が口ずさめるようなヒット曲を作りたい。これは今、強く思っていることです。
このコメントを出されていたのが2019年9月です。本当にお元気な姿でお話されていた中村泰士さんでした。その1年と数か月後に悲報が届くとは...。
まとめ
昭和のヒットメーカー中村泰士さんが手がけた楽曲を今聞いても素直に耳に入ってくるメロディに癒されます。中村泰士さんのメロディをもっと聞いていたかったですね。
あらためてご冥福をお祈りします。
あらためてご冥福をお祈りします。
70代の頃はなんだか窮屈だと感じていた中村泰士さんですが『80歳になって、一気に生きやすくなった』と話していました。