高校時代に嗚咽涙した「エピタフ」は、キングクリムゾンのデビューアルバムから
2017年2月16日 更新

高校時代に嗚咽涙した「エピタフ」は、キングクリムゾンのデビューアルバムから

キング・クリムゾンは、ELPやイエス、ピンク・フロイドとならんで「プログレッシブ四天王」の一角を形成。 結成から半世紀が経とうとしているが一貫してオリジナルメンバーはギタリストのロバート・フィリップただ一人。 つまり実は、ロバート・フィリップがオーナーの前衛ロック・セッション・バンドが正体ではないか。

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ボーカルでベースの御大ジョン・ウェットンとドラムスの若き大御所ビル・ブラッフォード(イエス脱退)が加わり、一定のメンバーが比較的安定した奇跡の3連作がリリースされた。
しかし、5th「太陽の戦慄」と6th「暗黒の世界」の音づくりは手探りで、暗中模索の様相を呈していた。
つまり、「太陽の戦慄」から「暗黒の世界」までは、過渡的サウンドだったことは否めない。
ただ、この6枚目のアルバム「暗黒の世界」は、爆発的に拡がりをみせる次作「レッド」の序章となると言って良い。
さしもの「レッド」のサウンド仕上がり具合は、ジャズ・ロックといえる即興演奏とクリムゾン固有のリリックな音づくりの側面とが融合した不朽の名作となった。
そして、アメリカでのライヴの様子を収録したライヴ・アルバム「USA」が解散後の1975年にリリースされ、ここでのセッションバンドも頂点を迎えた。
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第4プロセス:8th「ディシプリン」、9tn「ビート」10th「スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペアー」=>英米コラボバンドの時代、または再々結成

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1981年、第3プロセスのメンバーであるビル・ブラッフォードを加えて、「ディシプリン」というバンド名でロバート・フィリップはライブ活動を始めた。
アメリカ人ジャズ・ベーシスト、トニー・レヴィンが加入。2人目のギタリストでボーカリストにアメリカ人でトーキング・ヘッズのエイドリアン・ブリューが参加した。
この4人からなるセッション・バンド「ディシプリン」が改名してキング・クリムゾンとなった。
このような経緯での再結成には、「キング・クリムゾンがトーキング・ヘッズ化した」というものまで批判が噴出。
しかし、この時期のキング・クリムゾンは、ロバート・フィリップとエイドリアン2本のギター・コラボレーションによる複雑なアルペジオに、トニー・レビンの極超早弾きフレットレスベースが上手く絡み、バンドサウンドを特徴的なものにしている。

King Crimson Indiscipline (live, 1982)

第5プロセス:11th「ヴルーム」12th「スラック」時代、または、再々々結成(1990年代)

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1994年に、10年以上のブランクを経て再々々結成をした。1980年代のキング・クリムゾンのメンバーにさらにメンバーを追加し、6人編成となり、「2つのトリオ編成」(通称ダブルトリオ)となった。
このラインナップでも「ヴルーム」「スラック」の2作を発表し、ライヴ・ツアーを行なった。
ところが、ツアーを終了後に集合したバンドはリハ段階で内輪もめとなり、6人編成を棚上げにしてプロジェクト単位の活動に一時的にシフトした。
結局、「ヴルーム」「スラック」は、コンセプトもコンテンツともに第4プロセスの延長線上で、骨太のジャズ・ロックの音造りにならざらを得なかった。
この結果、事実上セッションバンドは空中分解。

第6プロセス:目の前のレジェンドはこんなに様変わり

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ところが2013年、前言を撤回し、フィリップがかつて主催したギタークラフト参加者のビル・リーフリンの加入による、トリプルドラム編成での再始動が発表された。
2011年、キング・クリムゾン・プロジェクトとしてアルバム「A Scarcity of Miracles」をリリース。
フィリップ自らが参加しているのが大きな特徴であり、他にコリンズとジャクスジクが正式メンバーとして、またレビンとハリソンがサポートで参加している。

第7プロセス:新メンバーによるトリプルドラム全面展開で2014年にライブ活動を再開

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2013年、第6プロセスの5人にドラマー2人を追加したトリプルドラム編成での、キング・クリムゾン活動再開が発表された。
同年6月に発表されたメンバー構成は、オーナーのロバート・フィリップに、メル・コリンズ、トニー・レヴィン、パット・マステロット、ギャヴィン・ハリソン、ビル・リーフリン、ジャッコ・ジャクジグ
このメンバーは、トリプルドラムの7人編成で、同年9月9日よりアメリカにて17回の公演のツアーを開始した。
次いで2015年の12月、東京は渋谷オーチャードホールでも約12年ぶりに日本公演を開催した。

The Team In Tokyo

補遺:ロバート・フィリップとキングクリムゾン

オーナーの人となり

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ロバート・フィリップのプレイスタイル
ロックのギタリストとしては珍しく、常に椅子に腰掛けてプレイすることでも知られる。
いわゆるアドリブ全開のリードギター即興演奏はみられないものの、バッキングのカッティングでも強烈なコード進行や複雑なフレーズを機械的正確さで弾きこなす。
これは、幼少期からクラッシクギターの練習の賜物と思われる。キングクリムゾン発足時は、メロトロンという一風変わったキーボードも演奏した。
後半では各種エフェクターに加え、シンセサイザーやコンピュータシステムを多用して複雑かつ異次元のサウンドを出すことで知られる。
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  • 2018/4/23 19:07

    たまに間違える人がいるのだけれど彼はフィリップではなくフリップである。
    ボディをボデー、ディーゼルをヂーゼルと発音してしまうのとはまた別である。

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