イエスの誕生から黄金期まで
イエス誕生
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1968年、ウォーリアーズというバンドでボーカルをやっていたアンダーソンが、ベースのクリス・スクワイアに、ギターのピーター・バンクスとキーボードのトニー・ケイが加わったところに、ドラムスのビル・ブラッフォードが合流して、イエスが産声を挙げた。
幸運なことは、1968年の秋、当時のイギリスツアーをキャンセルしたスライ・アンド・ファミリー・ストーンの空きを丸々埋めてイギリス国内の各クラブに出演できたことがあげられる。
加えて当時のロック・スーパー・トリオのクリーム解散コンサートの前座を務めたことも幸いした。おかげでイエスの知名度とその独特なサウンド造りは有名になり、メジャーの米アトランティックレコード社と契約。
幸運なことは、1968年の秋、当時のイギリスツアーをキャンセルしたスライ・アンド・ファミリー・ストーンの空きを丸々埋めてイギリス国内の各クラブに出演できたことがあげられる。
加えて当時のロック・スーパー・トリオのクリーム解散コンサートの前座を務めたことも幸いした。おかげでイエスの知名度とその独特なサウンド造りは有名になり、メジャーの米アトランティックレコード社と契約。
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黄金時代に向けた豪華メンバーの集結
ウェイクマン/スクワイア/ハウ//ブラッフォード/アンダーソン
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1970年には、ギターのスティーブ・ハウが、また続いて1971年には、キーボードのリック・ウェイクマンが参入。そして同年に名作でかつ大ヒット曲「ラウンナ・バウト」が収録されている「こわれもの-Fragile」が発売された。
ついで翌1972年にはイエス代表作との評価を受ける「危機-Close eo the Edge」がリリースされる。1971年から1972年はバンドとしても充実しており、2回のイギリスツアーや全米ツアーが敢行され、「サード・アルバム」と「こわれもの」が米国において「ゴールド・ディスク」を受賞した。
ついで翌1972年にはイエス代表作との評価を受ける「危機-Close eo the Edge」がリリースされる。1971年から1972年はバンドとしても充実しており、2回のイギリスツアーや全米ツアーが敢行され、「サード・アルバム」と「こわれもの」が米国において「ゴールド・ディスク」を受賞した。
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イエス Roundabout
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イエス黄金期のメンバーもここまで
1972年に「危機」の録音終了直後、看板ドラムスのビル・ブラッフォードがキング・クリムゾンに突如加入した。「プログレッシブ・ロック4天王」感での電撃移籍で、当時は大きな話題を提供した。
因みに、当のキング・クリムゾンもメンバーの出入りが激しく、ブラッフォードは、キング・クリムゾンのオーナにしてギターでリーダーのロバート・フィリップにくわえ、ベースでボーカルのジョン・ウェットンなどと「暗黒の世界」や「RED」を生んだ。
因みに、当のキング・クリムゾンもメンバーの出入りが激しく、ブラッフォードは、キング・クリムゾンのオーナにしてギターでリーダーのロバート・フィリップにくわえ、ベースでボーカルのジョン・ウェットンなどと「暗黒の世界」や「RED」を生んだ。
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大作志向の果てに
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1972年の「危機」は、LP1枚でわずか3曲という構成だったが、1973年のコンセプトアルバム「海洋地形学の物語」は、LP2枚たった4曲というイエスの大作主義の象徴的ともいえる存在である。1曲が25分から30分。
しかもこの「海洋地形学はの物語」は、リーダー=アンダーソンが当時傾倒しいたヒンズー教の書籍からヒントを得た、一種宗教的神秘主義の影響も見てとれる。この志向に嫌気がさしたウェイクマンが1974年に脱退した。
しかもこの「海洋地形学はの物語」は、リーダー=アンダーソンが当時傾倒しいたヒンズー教の書籍からヒントを得た、一種宗教的神秘主義の影響も見てとれる。この志向に嫌気がさしたウェイクマンが1974年に脱退した。