【体操】日本人の名前のついた“技”まとめ
2016年11月25日 更新

【体操】日本人の名前のついた“技”まとめ

白井健三が自身の編み出した技「シライ3」を披露したのは記憶に新しいが、他にも日本人の名前がついた技は多数ある。1972年ミュンヘンオリンピックで塚原光男が披露した「ツカハラ」(月面宙返り)や1984年ロサンゼルス五輪での森末慎二の「モリスエ」など、日本人の名前のついた技を振り返る。

52,342 view
カトウ(D難度)

カトウ(D難度)

【考案選手】加藤凌平
【技の内容】後ろ振り上がり脚上挙十字懸垂

KATO - 2013 Artistic Worlds - MAG new SR element

加藤凌平が2013年に発表。

あん馬

●ヤマワキ

ヤマワキ(E難度)

ヤマワキ(E難度)

【考案選手】山脇恭二
【技の内容】馬端から馬端まで背面とび横移動

ゆか

●ツカハラ

ツカハラ(D難度)

ツカハラ(D難度)

【考案選手】塚原光男
【技の内容】後方かかえ込み2回宙返り1回ひねり(1回半ひねり)

※ムーンサルト、月面宙返りとも呼ばれる。

池谷選手 床 後方かかえ込み2回宙返り1回(3/2)ひねり(ツカハラ) ムーンサルト

●エンドー

エンドー(B難度)

エンドー(B難度)

【考案選手】遠藤幸雄
【技の内容】屈・伸身後ろとび正面支持臥
 (1724913)

※遠藤幸雄本人の演技

●シライ/ニュエン

シライ/ニュエン(F難度)

シライ/ニュエン(F難度)

【考案選手】白井健三
【技の内容】体を一直線に伸ばした状態で後ろ向きに1回宙返りし、その間に4回ひねって着地する。
 (1724903)

2013年に開かれた世界選手権の床運動で、当時17歳の白井健三が成功した技。当初「シライ」と命名されたが、同じ大会でトゥアン・ダット・ニュエン(ベトナム)もこの技に成功していたとして、14年に「シライ/ニュエン」に名称変更された。

●シライ2

シライ2(F難度)

シライ2(F難度)

【考案選手】白井健三
【技の内容】前方伸身宙返り3回ひねり

体を伸ばした状態で前方に宙返りし、その間に3回ひねりを加えるF難度の大技。
 (1724947)

2013年に開かれた世界選手権の床運動で、当時17歳の白井健三が主要国際大会で初めて成功し、命名された。

●シライ3

シライ3(H難度)

シライ3(H難度)

【考案選手】白井健三
【技の内容】後方伸身2回宙返り3回ひねり

体を伸ばした姿勢で後ろに2回宙返りする間に3回ひねる技で、男子では最高のH難度。

2015年12月、豊田国際競技会の床運動で白井健三が初めて成功させ、「シライ3」と命名された。
95 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

わずか7日間!幻の昭和64年とは?昭和64年生まれの内村航平の活躍と現在

わずか7日間!幻の昭和64年とは?昭和64年生まれの内村航平の活躍と現在

オリンピックで2連覇を果たした体操のレジェンド内村航平さん。2008年から2017年まで40連勝を達成したことから、史上最高の体操選手の呼び声も高いです。そんな内村航平さんは実は7日間しかなかった幻の昭和64年に出生していました。今回は内村航平さんの活躍や現在、そして幻の昭和64年についてご紹介します。
そうすけ | 198 view
最年少(当時)で体操全日本王者に!天才少女の信田美帆は太陽とシスコムーンで歌手デビュー

最年少(当時)で体操全日本王者に!天才少女の信田美帆は太陽とシスコムーンで歌手デビュー

1988年のソウルオリンピックに体操日本代表として出場した信田美帆さんは、1990年代後半のオーディション番組のASAYANで合格しつんく♂プロデュースの「太陽とシスコムーン」としてデビューしました。元体操選手とは思えないほどの素晴らしい歌唱力と、それまでのイメージと違って意外にぶっちゃけたキャラだったこともあり注目を浴びました。今回は信田美帆さんについてご紹介します。
そうすけ | 5,033 view
体操(新体操・トランポリン含む)の選手からタレントに転向した有名人!!

体操(新体操・トランポリン含む)の選手からタレントに転向した有名人!!

主に2000年までに体操(新体操・トランポリン含む)などで活躍した選手などをまとめてみました。またタレントといっても体操(新体操)の解説者やキャスター・コメンテーターなども含みます。)
ギャング | 14,615 view
ナディア・コマネチ Nadia Comaneci ルーマニアの白い妖精 完璧な演技で史上初の10点満点を連発 体操に革命を起こしたヒロイン

ナディア・コマネチ Nadia Comaneci ルーマニアの白い妖精 完璧な演技で史上初の10点満点を連発 体操に革命を起こしたヒロイン

1976年のモントリオールオリンピックの女子体操で、14歳の少女が世界をアッといわせた。 団体戦規定の段違い平行棒でオリンピック史上初の10点満点。 さらに団体戦自由、個人総合、種目別でも完璧な演技をみせ、計7回の10点満点記録。 奪ったメダルは金3個、銀1個、銅1個。 153㎝、39㎏、白い肌、白いレオタード。 「白い妖精」といわれた。 1984年、22歳で現役引退。 1989年、チャウシェスク独裁政権が崩壊する直前、自由を求めてアメリカに亡命。 オクラホマ州で体操教室を開いた。 モントリオールオリンピックで初めて10点満点を出したとき、演技終了後、審判団は10点という点数を想定していなかったため「1.00」というスコアボードを掲げた。 現在はルールが変更されたので、10点満点は存在しない。
RAOH | 11,646 view
あの“コマネチ”が内村航平を絶賛「ウチムラは史上最高」

あの“コマネチ”が内村航平を絶賛「ウチムラは史上最高」

リオ五輪の体操男子個人総合で優勝した内村航平を“史上最高”と、伝説の体操選手ナディア・コマネチがリオ五輪公式サイトで最大級の賛辞を贈った。
FOCUS | 4,691 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト