20世紀最後の大スター「オグリキャップ」地方でも中央でも燦燦と輝いた芦毛の怪物!!
2016年11月25日 更新

20世紀最後の大スター「オグリキャップ」地方でも中央でも燦燦と輝いた芦毛の怪物!!

地方での圧倒的強さをもって中央へ飛躍。ハイセイコー以来の超人気馬として競馬界に君臨し、熱狂的な競馬ブームを巻き起こしたサラブレッド、「オグリキャップ」を振り返る

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興奮の引退式

1991年1月、史上初めて東京・京都・笠松の3競馬場で引退式が行われました。
すべての競馬場が熱狂的なファンで埋め尽くされたのですが、特に笠松では、最後の雄姿を一目見ようと、入場できないほどの人数が押し寄せ、大騒ぎになりました。
オグリキャップは引退しても「オグリキャップ」でした。
1991年1月15日引退式にて 笠松競馬場

1991年1月15日引退式にて 笠松競馬場

余生 人に愛されて

種牡馬となったオグリキャップは、北海道新冠の優駿スタリオンステーションにいました。
しかし、この年の7月、突然の病がオグリキャップを襲います。
頭部炎症による咽頭マヒ、その後の大量出血により生死をさまようことになるのです。関係者の懸命な治療・看護によりどうにか回復、10月には多少の放牧ができるようになりました。
病を乗り越えたオグリキャップですが、産駒には恵まれませんでした。
2007年に種牡馬引退、功労馬として余生を送ることになりました。

引退後も年間1万人前後のファンがオグリキャップのもとを訪れ、愛されてやまない存在となったのでした。
2010年7月、突然の訃報が流れます。右後肢の複雑骨折による安楽死。手の施しようがなかったそうです。25歳でした。

どんなに酷使されても精いっぱい力の限り走りきる姿に、人々は奇跡を目の当たりにし、感動と夢を与えてくれたオグリキャップに、果てることのない称賛と感謝を送ったのでした。

オグリキャップ、おつかれさま。
そして、ありがとう、ありがとうオグリキャップ。
 (1709039)

オグリキャップ馬像

オグリキャップ馬像

所在地;優駿メモリアルパーク
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