20世紀最後の大スター「オグリキャップ」地方でも中央でも燦燦と輝いた芦毛の怪物!!
2016年11月25日 更新

20世紀最後の大スター「オグリキャップ」地方でも中央でも燦燦と輝いた芦毛の怪物!!

地方での圧倒的強さをもって中央へ飛躍。ハイセイコー以来の超人気馬として競馬界に君臨し、熱狂的な競馬ブームを巻き起こしたサラブレッド、「オグリキャップ」を振り返る

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天皇賞(秋) 東京芝2000m 10月29日

「平成3強」が初めて揃った大一番となりました。オグリキャップは1番人気。
スパークリーク、イナリワンをかわし、トップでゴールインすることができるか!?

スーパークリークは3番手。オグリキャップは中団。イナリワンは後方待機とバラけた展開になりました。直線に入り残り300m付近でスーパークリークが先頭を伺い、オグリキャップは大外から猛追します。残り100m付近でスーパークリークが先頭。オグリキャップが追いますがクビ差届かず2着。3強対決はスーパークリークに軍配があがりました。
抜くことができなかった「クビの差」。南井騎手は後に「勝てたのに負けてしまったレース」と述べています。直線に入った時に前がふさがり追い出しが遅れてしまったのでした。スーパークリークの武豊騎手が万全の騎乗をしただけに、南井騎手への批判がでたのはしょうがないことでしょう。悔いの残るレースとなりました。この夜、悔しさのあまり南井騎手は眠れなかったそうです。

過酷なローテーション

天皇賞の敗北により、馬主サイドからマイルチャンピオンシップ、ジャパンカップを2週続けて連闘するとの発表がなされました。そうでなくとも、3週間おきに使われてきたオグリキャップは、休養明け後1か月半で、すでに3レースも走っていたのです。GⅠを狙う通常のローテーションの倍近く走ることに、ファンやマスコミから批判がでるのも当然でした。
「馬主変更によって生じた莫大なトレード料の回収」これが本当に近藤氏の思いだったのかは不明です。しかし、現実は勘ぐられてもしょうがない過酷すぎるローテーションでした。

マイルチャンピオンシップ  京都1600m 11月19日

疲労が蓄積してきたのかオグリキャップの動きが鈍く、3コーナーからもたついてなかなかあがれず、直線では、先頭を行くバンブーメモリーが独走態勢に入りました。しかし、残り100mからの猛烈な追い込みで見事差し切って1着でゴール。ハナの差の勝負でした。
レース後の南井騎手の涙が印象的でした。

ジャパンカップ 東京芝2400m 11月26日

スーパークリークとオグリキャップが並走するように先行集団に位置します。イナリワンは後方待機。2000m付近まで日本レコードを上回る早いペースでレースは進み、直線に入ると残り400m付近でホーリックスが先頭に立ちますが、大外からオグリキャップが猛然と突っ込んできます。豪快な末脚で見る見る差を縮めますがクビ差届かず2着。
凱旋門賞馬キャロルハウス、ニュージーランドの名牝ホーリックス、前年覇者ペイザバトラー、スーパークリーク、イナリワン、バンブーメモリーと強豪馬が勢揃いした国際レース。
タイムは2400mの世界記録、2分22秒2をホーリックスとオグリキャップが樹立したのでした。
2着となったオグリキャップに、スタンドからは称賛の声があがりました。
そして、オグリキャップの人気は絶大なるものへと進化していくのでした。

第34回有馬記念 中山2500m 1989年12月24日

オグリキャップは有馬記念史上最高票を獲得し、堂々の1位に選ばれました。苦しいレースを続けながらも、競馬ファンはオグリキャップに心を寄せていたのでした。しかし、人気とは裏腹に、レース前の調教で苦しいしぐさを見せるなど、疲れ切っているのではという情報が流れていました。
さあ、スーパークリーク、イナリワンとの「3強」対決を制するのは!?

なんとオグリキャップは2番手で進み、スパークリークはその後ろにつけ、イナリワンは後方待機。3コーナー付近からオグリキャップは先頭に立ちますが、直線に入りスーパークリークにあっさり抜かれてしまいます。その後はいいところがなく5着敗退。中央入り後最悪の着順となりました。1位はスパークリークを見事差し切ったイナリワンがグランプリに輝きました。
疲労がピークに達していたオグリキャップは、これから約5か月間、療養・調整に入ります。
今まで見たことのない有馬記念の惨敗によって、ファン・マスコミ・競馬界の各方面から、馬主や陣営に対し批判が集中しました。GⅠを狙うローテーションとしてはあり得ない、約3か月間で6レースへの出走。
過酷すぎた時を終え、オグリキャップは静かに休息するのでした。

不調とケガの狭間で

数え6歳となったオグリキャップは体調が戻りきらず、天皇賞(春)を回避、安田記念(5月13日)に出走し見事1着となりますが、続く宝塚記念(6月10日)では、本来の走りが出ず2着となり、この後両前脚の骨膜炎を発症。さらに、後脚にも疾病を発症し療養生活に入ります。
秋になっても脚部故障を起こしつつ天皇賞(秋)10月28日に出走、6着。ジャパンカップ(11月25日)11着と精彩を欠き、苦しいレースが続きました。ファンの悲しみは限界だったのでしょう。あってはならないことですが、馬主や中央競馬会への爆破脅迫事件まで勃発しました。
そして、陣営は有馬記念をオグリキャップの花道に選んだのです。騎手は武豊でした。

ラストラン 永遠の夢を人々に

第35回有馬記念 中山芝2500m 1990年(平成2年)12月23日

オグリキャップは中団で展開し、3コーナー付近で外から前に行き、直線で先頭争いに加わります。そしてゴール前、他馬を突き放して見事1着でゴールイン!!

今までのウップンを見事晴らし、花道を飾ったオグリキャップ。盤石の騎乗をみせた武豊。最強コンビの勝利でした。
17万人大観衆のいつまでも続く鳴りやまない大歓声と「オグリ」コール。
実況アナウンサーの「オグリ1着!」の凄まじい連続コール。
左手を高々と挙げる武豊を見て「右手を挙げた武豊!」とアナウンサーをも大興奮させた世紀の大レースでした。不調続きの中で、最後の底力を見せてくれた瞬間でした。

鮮烈な中央デビュー、陣営のゴタゴタ、激しい騎手の入れ替わり、故障に次ぐ故障、凄まじくも過酷なローテーション等々、様々な試練と苦難を乗り越えて名勝負をしてきたオグリキャップに、感謝の言葉や称賛の拍手が鳴りやむことはありませんでした。

「芦毛の怪物」オグリキャップの競走馬人生は終わりました。
32戦22勝(地方10勝、中央12勝、有馬記念2勝・毎日王冠連覇など)
数字だけでは表しきれない、燦燦たるサラブレッドでした。
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