ヒクソン・グレイシー   まるでみえない力を持った神様
2018年1月18日 更新

ヒクソン・グレイシー まるでみえない力を持った神様

そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。

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Rickson Gracie Gracie Jiujitsu Yoga Breathing Method

ヒクソン・グレイシーは10代からヨガを始めた。
それはアニマルエクササイズと呼吸法を組み合わせたヨガで、猿のように歩いてジャンプしたり、蛇のようにジッとしたり、いろいろな動物の動きをマネながら深い呼吸をする。
そして体の柔軟性と強さを養い、また動物になりきることで、何も考えずただみて、ただ感じるだけという心が無になる状態をつくることを狙ったものだった。
無の心になれば、感覚が研ぎ澄まされた。

呼吸法

Rickson Gracie Breathing

ヒクソン・グレイシーは、17歳でヨガの先生から呼吸法を教わった。
そして呼吸エクササイズの効果に驚き、以降、ずっと重要なエクササイズとして続けている。
毎日、何分か正確に深い呼吸を続け、ストレスを吐き出し心を洗いリフレッシュさせる。
横隔膜を使う腹式呼吸は、体内に取り入れる酸素量が増え、疲労した細胞に新しいエネルギーと酸素を供給する。
また試合前などでも呼吸法と瞑想により心を無にして、どんな感情も表れない状態、自然にプレッシャーを消化できる状態になった。


目に見えないものを大切に

 (1960899)

アメリカでは、カリフォルニアのパシフィックパリセーズに自宅があった。
家の前は海岸だった。
ある日、ヒクソン・グレイシーがトレーニングで10マイル(16㎞)ほど海岸を自転車で走った後、海で泳いで家に帰ろうとすると、砂に半分埋まったなにか白いものを発見した。
掘り出してみると頭が象の形をした木彫りの人形だった。
ヒクソン・グレイシーはそれを持って帰って洗い、白く塗ったベニヤ板で壁を作り、ヤシの葉で屋根をかぶせ神殿をつくり裏庭に置いた。
1年後、インドを訪れたことがある友人にその人形は、ガネーシャ神であることを教えてもらった。
数年後、老朽化したガネーシャ神殿をみてヒクソン・グレイシーは以前より豪華な神殿を自作した。
そしてお香をたいて花を供えた。
またサーフィンや山の中、雨に打たれて歩くなど、自然の中に入ったり、その強い力や大きなエネルギーを触れることが好きだった。
このように目にみえないものを大切にするヒクソン・グレイシーは、スピチュアルを楽しむことも大好きである。

RICKSON GRACIE SURFING (by Andre Lima)

柔術は黒帯になって以降、無敗。 ALL一本勝ち。

 (1963680)

18歳でグレイシーファミリーの中でも最強となったヒクソン・グレイシーは、エリオ・グレイシーからグレイシー柔術黒帯を授与された。
黒帯になって以降、柔術の試合で無敗。
しかもそのすべてをギブアップを奪って勝った。
ヒクソン・グレイシーの柔術の特徴は、そのコントロールとポジショニング。
柔術におけて有利なポジショニングは3つ。
1つ目は、相手が自分の上に乗っていて下から脚で相手の体を挟んだガードポジション。
相手を脚でコントロールしながら三角締めや腕十字を狙う。
上の人間はガードポジションのままでは何もできないので、ガードを切ってサイドポジションかマウントポジションに移らなければならない。
2つ目は、背後から相手の胴体に脚をフックしたバックポジション。
背後霊のようにピッタリと後ろについて離れない。
3つ目は、相手に馬乗りになったマウントポジション。
ヒクソン・グレイシーは、この有利なポジションを取る。
相手にポジションを取られたらすぐに守りの体勢に入り攻撃をかわしながら有利なポジションを取り戻す。


セルジオ・ペーニャ(Sergio Penha、写真中央)

セルジオ・ペーニャ(Sergio Penha、写真中央)

柔術においてヒクソン・グレイシーの最大のライバルはセルジオ・ペーニャ(Sergio Penha)だった。
1981年11月29日、Carioca Jiu-Jitsu Championship大会で2人は対戦。
ヒクソン・グレイシー、74kg。
セルジオ・ペーニャ、84kg。
ヒクソン・グレイシーは、パスガードされるなどして、0-12とポイントでリードされた。
しかし終盤、機を見計らっていたかのように息を吹き返し逆襲を開始。
テイクダウンを成功させたあとは即座にマウントをとりチョークで逆転勝利した。

VALE TUDO  なんでもアリ

 (1964303)

Sick And Rare Rickson Gracie BJJ Footage From The 1980's

19歳のとき、初めてノールールの試合に出た。
このときヒクソン・グレイシーは、72㎏。
対戦相手はプロの格闘家、30歳、98㎏、戦績は120勝0敗4分。
試合は1R10分で3R。
試合開始後、近づいてくる相手の顔面にヒクソン・グレイシーは膝蹴りを入れた。
相手は体勢を立て直したが、歯を1本吐き出した。
2R3分、ヒクソン・グレイシーは、寝技で勝った。

柔術を進化させる

サンボの試合に出るヒクソン・グレイシー Rickson Gracie in Sambo tournament

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