ヒクソン・グレイシー   まるでみえない力を持った神様
2018年1月18日 更新

ヒクソン・グレイシー まるでみえない力を持った神様

そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。

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ヒクソン・グレイシーの柔術は、エリオ・グレイシーの負けない柔術を進化させた。
防御するだけではなく勝利に持ち込む何かを求めた。
そのために犠牲を払うことが必要だった。
しかし
「よし俺はやるよ。
何が起こるかやってみよう」
「とにかく飛び込んでみよう」
とチャレンジ精神を持って恐怖を乗り越えた。
人生も穏やかで平坦なものではなく、ときに天に昇るような気持ちになったり、激しく落ち込んり、何かに熱くなったりする人生が理想だった。
ただ戦いの命題は「生き残る」ことであり「勝つ」ことではないという。
この哲学が、あの独特の戦いぶりの要因の1つかもしれない。



 (1964301)

完全にバランスが取れた形で、必ず安定する三角形は、昔から柔術のシンボルとして使われていた。
ヒクソン・グレイシーは、これに知性・肉体・精神という3つの要素を加え、その3要素を意味するダイヤ・ルビー・サファイアをシンボルに加えたロゴマークを作成した。

UFC(Ultimate Fighting Championship、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)

 (1964283)

Remembering UFC 1

1993年、ホリオン・グレイシー(ヒクソン・グレイシーの兄)が考案したUFC(Ultimate Fighting Championship、アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)がアメリカで実施された。
空手家、柔道家、ボクサー、プロレスラー、力士、サンビスト、カンフー、ムエタイ・・・
6フィート(約1.8m)の金網で囲まれた直径は30フィート(約9.1m)の8角形の試合場に入るのは2人で出るのは1人。
どちらが勝つまでやる。
体重階級制無し(無差別)
反則は、目潰し、噛み付き、金的攻撃のみ。
1ラウンド5分の無制限ラウンド制。
選手のギブアップかノックアウト、セコンドのタオル投入によるストップのみで勝負を決する(判定なしの)完全決着制。
グローブ、道着、シューズ等の着用は自由。
それは最小限のルールで戦い、どの格闘技が強いのかを決する喧嘩さながらの大会だった。
(その後、ルールが整備され新しいファイティングスポーツに変化していった)
 (1964289)

UFC 1 Royce Gracie Highlights First Champion

ヒクソン・グレイシーは一族を代表してUFCへ出場することを強く希望した。
しかし許されず、弟のホイス・グレイシーが出場。
1回戦、プロボクサーのアート・ジマーソン、準決勝、総合格闘家のケン・シャムロック、決勝で空手家のジェラルド・ゴルドーを圧倒的強さで破った。
そして優勝インタビューで
「兄ヒクソンは私の10倍強い」
と発言した。

初来日! 神か悪魔か!? 日本にあらわれた最強の男  VALE TUDO JAPAN OPEN 1994

 (1964278)

1994 Vale Tudo Japan 1st fight Rickson Gracie vs Yoshinori Nishi

Rickson Gracie vs. David Levicki

Vale Tudo Japan 1994 - Bud Smith vs. Chris Bass

1994年7月29日、ヒクソン・グレイシーは初来日し「VALE TUDO JAPAN OPEN 1994」に参戦。
1回戦、西良典、準決勝、ダビッド・レビキ、決勝、バド・スミスをほぼ無傷で勝利。
圧倒的な強さを見せつけた。
テイクダウンからマウント、絞めを狙うシンプルな戦法だったが、そのインパクトは大きく打撃重視、組技軽視の格闘技の価値観を逆転させた。
この試合をきっかけに日本の総合格闘技は、グラウンドパンチを解禁し始めた。

道場破り 安生洋二を返り討ち 

 (1964256)

1994年12月7日、ロサンゼルスのヒクソン・グレイシーの道場へ安生洋二が道場破りを敢行。
ヒクソン・グレイシーは、その挑戦を受け、その場で返り討ちにした。
ヒクソン・グレイシーは試合開始直後にマウントポジションをとって一方的に殴り続け、最後はチョークスリーパーで絞め落とした。
6分間で安生洋二は血だるまと化した。
 (1964270)

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