ヒクソン・グレイシー   まるでみえない力を持った神様
2018年1月18日 更新

ヒクソン・グレイシー まるでみえない力を持った神様

そんなに大きくない体。 あまり太くない筋肉。 哲学者的風貌。 そしてシンプルすぎる戦い方。 これで世界最強の男なんてありえない。 でも (カビラジェイ風に)あるんです。

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再来日、神再降臨 VALE TUDO JAPAN OPEN 1995

 (1964276)

1995 Vale Tudo Japan 1st fight Rickson Gracie vs Yoshihisa Yamamoto

1995.04.20 (07) - Rickson Gracie vs. Koichiro Kimura [VTJ 1995 - Vale Tudo Japan 1995]

Rickson Gracie vs Yuki Nakai Vale Tudo Japan 1995

1995年4月20日、「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」に参戦。
1回戦、山本宜久、準決勝、木村浩一郎、決勝で中井祐樹をチョークスリーパーで下し、さほどのダメージもなく優勝。

高田延彦2連敗 プロレスラーが何もできない

 (1963701)

Rickson Gracie vs Takada 1997 PRIDE FC

1997年10月11日、「PRIDE.1」で高田延彦と対戦。
腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。

Rickson Gracie vs Nobuhiko Takada II PRIDE 4

1998年10月11日、「PRIDE.4」で高田延彦のリベンジマッチを受け、前回同様腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。


柔術ブーム

Ultimate Warrior. The GRACIES Documentary

世界中で総合格闘技ブームが起こったが、柔術家はフリーファイトで圧倒的な強さを見せつけ、その実戦性の高さを証明した。



「お兄さん! ボクと勝負してください!」

 (1963689)

PRIDE.8 桜庭和志 vs ホイラー・グレイシー

桜庭和志は1998年にPRIDEに参戦し全戦全勝。
そして1999年にグレイシー一族と初めての対戦。
ホイラー・グレイシーを圧倒した。
猪木・アリ状態からはローキックを放ち続け、寝技に誘うホイラーの誘いに乗らず最後はアームロックを極めた。
ホイラーもギブアップしなかったが最後はレフリーがストップした。
試合後、桜庭は
「次はお兄さん!
ボクと勝負してください!」
とマイクアピールをしてヒクソン・グレイシーとの対決を訴えた。
 (1963690)

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