2年目の1987年7月8日、札幌市円山球場での広島東洋カープ戦で、自らのスリーランホームランとタイムリーヒットでチームの全4得点を叩き出し、プロ初完封勝利を挙げた。このシーズンは15勝6敗、防御率2.17の成績を挙げ最優秀防御率のタイトルを獲得、沢村賞に選ばれた。また、堀内恒夫以来の10代での2桁勝利となった。
翌1988年には、球団史上最年少の20歳0カ月で開幕投手にも抜擢され、名実ともに巨人軍のエースとしての地位を固めていった。
その後も桑田の安定したピッチングは続き、1992年のシーズンまで6年連続の二桁勝利を記録した。
球史に残る「10・8決戦」!
当日の試合前の練習時に、ファンからの熱い声援を受けてた桑田は15分も涙が止まらなかった。試合中も、初回からブルペンに入って準備はできていたが「体は、疲れでバリバリ」という状態であった。
7回3点リードの状態から登板した桑田はこの時の心境をこう述べている。
(準備は十分であったが、狭いナゴヤ球場等の条件下で)「正直にいうと、怖かった」
9回裏2死。斎藤ー槙原からその日のマウンドを受け継いだ桑田は、自身の代名詞とも言える切れの良い大きなカーブで小森哲也を空振り三振に打ち取り、3イニングを無失点に抑えて「10・8決戦」の幕を下ろした。『ベースボールマガジン』の2009年3月号では優勝の瞬間のことを下記のように記述している。
「(最後の打者が三振の)直後の桑田のガッツポーズは多くの野球ファンの記憶に刻み込まれているはずだ」
古田敦也のプロ野球ベストゲーム「伝説の10・8決戦 94年中日対巨人」 - YouTube
何度見ても、心が震える素晴らしい番組です。
その一方、ケガにも悩まされ巨人軍の選手として最後の年となった2006年4月13日、東京ドームでの広島戦で600日ぶりとなる勝利、通算173勝目を挙げるも、この試合で走塁中に右足首を捻挫してしまう。同27日の広島戦でも先発投手としてマウンドに上がったが、3回途中で6点を与えてしまい敗戦投手となり、その2日後に登録抹消された。桑田にとって、この試合が巨人軍として1軍での最後の登板となった。
その後も桑田は二軍で懸命に調整を続けたものの、シーズン終盤に入っても一軍昇格の気配がないことから「自分を戦力としては見ていない」と判断し、巨人軍を退団することを決意した。
現役を引退するのか、それとも他球団で現役を続行するのか、桑田の動向に世の中の注目が集まる中、桑田はそのどちらでもない選択を発表した。それが、メジャーリーグ挑戦であった。
最終的に桑田の引退試合は行われず巨人軍のファン感謝デーで『お別れ会』として行われることとなった。イベントの最後に桑田は、
「18番 桑田真澄の野球は、心の野球です。今はただ感謝の気持ちしかありません。(略)…さようなら、そして21年間本当にありがとうございました」
39歳70日で夢のメジャーデビュー!
そんな桑田をパイレーツは解雇することなく、インディアナポリス・インディアンズ所属のマイナー選手のままで3Aの故障者リストに入れリハビリをサポートした。その後もフロリダでリハビリを続け、5月19日にはフリー打撃のピッチャー、5月24日には練習試合での登板をクリアして、3Aインディアナポリス・インディアンズに合流することができた。合流して間もなくの6月2日、3Aではあるがアメリカでの公式戦初登板を果たした。
3Aに復帰してからも順調な調整ぶりをアピールした桑田は、中継ぎ陣が絶不超であったというピッツバーグのチーム事情にも後押しされ、6月9日にメジャー昇格を果たした。そして翌日の6月10日にヤンキースタジアムで行なわれたニューヨーク・ヤンキース戦で、ついに念願のメジャー初登板を果たした。ちなみに、39歳70日でのメジャーデビューは当時日本人選手としては史上最高齢であり、長いメジャーリーグ史上においても第二次世界大戦以後ではサチェル・ペイジ選手の42歳、ディオメデス・オリーボ選手の41歳に次ぐ第3位の高齢メジャーデビュー記録であった。
昇格後は監督のジム・トレーシーから「大事な場面でストライクが取れる」と好評価を獲得するまでになり、中継ぎ投手として大事な場面で起用される機会が増えた。しかしながら、巨人時代にも指摘されていた球威の衰えと、桑田最大の武器であるコントロールの精度も落ちており、大事な場面で打ちこまれるという場面が続いた。
結果桑田はメジャーで19試合に登板し、0勝1敗、防御率9.43と言う成績で1勝も上げないままピッツバーグより戦力外通告を受け、プロ野球選手としての引退を決意することとなった。
引退後も野球に対する情熱は衰えず!
現役引退後も日本の野球界の発展の為に精力的に活動中!
「私は、体罰は必要ないと考えています。“絶対に仕返しをされない”という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツとして最も恥ずかしき卑怯な行為です。」
ストイックとも言える桑田真澄の野球人生。
桑田の視線の先には、永く険しい道がまだまだ続いているのであろう。
そんな厳しい道中も桑田の顔には、いつもの穏やかな笑顔が広がっているに違いない。
今後も桑田の歩む「野球道」から目が離せない。
記事・写真提供: ベースボール・マガジン社