1999年12月5日、K-1グランプリ99の2回戦でアーネスト・ホーストと対戦。
1R、脚の付け根にダメージを受け、その痛みで動きを奪われ、判定負けした。
1R、脚の付け根にダメージを受け、その痛みで動きを奪われ、判定負けした。
ACTORS CLINIC PV
via www.youtube.com
2000年、アンディ・フグは、ハリウッドスターを目指し東京四谷のアクターズクリニックに通いはじめた。
そして週1回3時間、塩谷俊のプライベートレッスンを受けた。
最初、
「自分を動物に例えると何か、表現してみて」
といわれ、アンディ・フグは、ゴリラの真似をした。
「私がこれまでやってきた格闘技は感情を表に出してはいけなかった。
痛みを感じたり苦しくなっても、それを顔に出してしまうと相手に気づかれそこを徹底的に攻撃されてしまう。
しかし役者というのはその反対で、いかに自分の感情を表現できるかというのが勝負。
そこが楽しくて仕方ない」
そして週1回3時間、塩谷俊のプライベートレッスンを受けた。
最初、
「自分を動物に例えると何か、表現してみて」
といわれ、アンディ・フグは、ゴリラの真似をした。
「私がこれまでやってきた格闘技は感情を表に出してはいけなかった。
痛みを感じたり苦しくなっても、それを顔に出してしまうと相手に気づかれそこを徹底的に攻撃されてしまう。
しかし役者というのはその反対で、いかに自分の感情を表現できるかというのが勝負。
そこが楽しくて仕方ない」
via www.ufc.tv
2000年1月30日、東京ドームで行われたPRIDE-GP 1回戦で佐竹雅昭がマーク・コールマンと対戦。
佐竹雅昭は腰を引き気味にしてタックルを警戒した。
しかしマーク・コールマンはいとも容易にテイクダウンを決めた。
クローズドガードをとる佐竹雅昭だがマーク・コールマンはかまわず上からパンチを浴びせる。
そして上体が上がった佐竹雅昭の首をすかさず抱え込みネックロックの体勢に。
佐竹雅昭はたまらずタップ、秒殺された。
この試合をみたアンディ・フグは、平直行にいった。
「タイラ、あの技かけてみろ。
どれくらい痛いか知りたい」
平直行がかけると
「俺は大丈夫だ」
といった。
やっぱりアンディ・フグの格闘技バカだった。
佐竹雅昭は腰を引き気味にしてタックルを警戒した。
しかしマーク・コールマンはいとも容易にテイクダウンを決めた。
クローズドガードをとる佐竹雅昭だがマーク・コールマンはかまわず上からパンチを浴びせる。
そして上体が上がった佐竹雅昭の首をすかさず抱え込みネックロックの体勢に。
佐竹雅昭はたまらずタップ、秒殺された。
この試合をみたアンディ・フグは、平直行にいった。
「タイラ、あの技かけてみろ。
どれくらい痛いか知りたい」
平直行がかけると
「俺は大丈夫だ」
といった。
やっぱりアンディ・フグの格闘技バカだった。
病魔
Andy hug vs Musashi trek jean klode van damme 2000 spirit k-1
via www.youtube.com
2000年3月、武蔵に5R判定勝ち。
この試合、アンディ・フグは、全身に蕁麻疹が出てかゆみ止めの点滴を打って出ていた。
この試合、アンディ・フグは、全身に蕁麻疹が出てかゆみ止めの点滴を打って出ていた。
【K-1】THE MILLENNIUM フェイトーザVSフグ
via www.youtube.com
2000年4月23日、グラウベ・フェイトーザに5R判定勝ち。
試合中
「カモン!カモン!カモン!」
と気合を入れるシーンは印象的だった。
この試合もアンディ・フグの体は蕁麻疹と熱が出ていた。
試合中
「カモン!カモン!カモン!」
と気合を入れるシーンは印象的だった。
この試合もアンディ・フグの体は蕁麻疹と熱が出ていた。
2000年6月3日、第5回「K-1ファイトナイト」でミルコ・クロコップと対戦し判定勝ち。
(この試合も蕁麻疹と熱が出ていた)
昨年の宣言通り、スイスのファンに別れを告げた。
(この試合も蕁麻疹と熱が出ていた)
昨年の宣言通り、スイスのファンに別れを告げた。
【K-1】JAPANGP2000スーパーファイト フグVSノブ
via www.youtube.com
2000年7月7日、「K-1ジャパン仙台大会」でノブ・ハヤシと対戦。
このときも蕁麻疹と熱が出ていたがパンチだけでKOした。
2000年は、ここまで4戦4勝。
次は10月のグランプリに出場することが予定されていた。
このときも蕁麻疹と熱が出ていたがパンチだけでKOした。
2000年は、ここまで4戦4勝。
次は10月のグランプリに出場することが予定されていた。
最期の戦い
2000年8月、アンディ・フグはスイスでCM撮影を行った。
そのときずっと高熱が続いていたので病院で検査を受けた。
約2週間後、8月15日に日本に入ると、正道会館の道場で黙々とサンドバッグを打った。
汗をかいて熱を下げようとしたのだ。
スイスで受けた検査の結果はまだ出ておらず、それを待っている状態だった。
しかしその後、さらに熱が上がったため、アンディ・フグは自分でK-1のリングドクターの病院にいった。
すると即座に日本医科大学付属病院に移された。
検査の結果、急性前骨髄球性白血病(APL:Acute Promyelocytic Leukemia)と診断された。
原因はまだ解明されていない、発症頻度、10万人に2~3人という病気だった。
そのときずっと高熱が続いていたので病院で検査を受けた。
約2週間後、8月15日に日本に入ると、正道会館の道場で黙々とサンドバッグを打った。
汗をかいて熱を下げようとしたのだ。
スイスで受けた検査の結果はまだ出ておらず、それを待っている状態だった。
しかしその後、さらに熱が上がったため、アンディ・フグは自分でK-1のリングドクターの病院にいった。
すると即座に日本医科大学付属病院に移された。
検査の結果、急性前骨髄球性白血病(APL:Acute Promyelocytic Leukemia)と診断された。
原因はまだ解明されていない、発症頻度、10万人に2~3人という病気だった。
via www.musashi.nl
2000年8月22日、石井和義が見舞いに訪れた。
病室は無菌状態に保たれ、入り口には「武道聖矢」という表札がかけられていた。
またベッドの枕元には表紙に「Zen」と書かれた本があった。
アンディ・フグは、記者会見を開き、自分が白血病になったことをファンに告知し同じ病気を患っている人たちに勇気を与えたいといった。
しかし医師は病室を出ることは無理だといった。
そこでこの日はアンディ・フグの意志がメモされ、明日、ビデオカメラでアンディ・フグのメッセージを撮影し、明後日、記者会見を開いて映像を流すことになった。
(この後、容態が急変したためビデオ撮影は行われず、これがラストメッセージとなった)
「ファンのみなさん、突然このような状態に私が陥ってしまったことで、大変ショックを与えたかと思います。
私自身、ドクターから症状を聞いたときは非常にショックを受けました。
しかし私は自分が今陥っている状況をファンのみなさんに告げることで、ファンのみなさんと共にこの病気と闘っていきたいと思います。
今度の敵は私がこれまで闘った中でも1番の強敵です。
しかし私は勝ちます。
ファンのみなさんの声援をパワーにして、リングのときと同じように、最大の強敵に勝とうと思います。
10月の大会は残念ながら出られませんが、日本でこの病気と闘い、いつの日か必ずみなさんの前に現れたいと思います。
頑張ります。
押忍」
via ja.wikipedia.org