人種差別解消の一助になっと言われる”フィリー・サウンド ”をもう一度、あの人に聞かせたい!!
2017年3月30日 更新

人種差別解消の一助になっと言われる”フィリー・サウンド ”をもう一度、あの人に聞かせたい!!

米国の60~70年代は多様性の文化があちらこちらで花を開き始めていて、音楽においてもカントリー、ロック、ブルース、ジャズ、など多種多様なものが同時並行的に隆盛を極めている頃であった。また、黒人音楽においてもデトロイトのモータウン社を代表とする”ソウル・ミュージック”が全盛期を迎えていたが、ソウルの場合、とても地域性の特徴がでるところが、他の音楽との大きな違いでした。中でも、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンドは私にとって、一番馴染み深い音として、記憶の隅に残っています。

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”ソウル・ミュージック”とは??

まず最初に、ソウル・ミュージックとは何か?、と言えば、非常に狭い意味で、黒人による、黒人のために、作っている黒人の大衆音楽の一つである。とまあ、すっごく短的な一言ですが・・・。

黒人による、黒人のために、作っている黒人の大衆音楽を総称して、”ブラック・ミュージック”とするならば、それは、時代によって色々その呼び名を変えてきている。

17世紀にアメリカに宣教徒がやってきて、また、アフリカから奴隷が連れて来られて、ゴスペルとブルースという音楽形態ができる下地ができた。

ゴスペルは教会音楽、ブルースは日々の生活を歌った日常音楽である。これらの音楽は、それぞれに発展してきたが、20世紀に入って、微妙に混ざり合うようになる。

そして、1940年代までに、ブルースとゴスペルを合わせ、しかも、強いビートを持った黒人の音楽が誕生している。その音楽は、当初はレース・ミュージックと言われていたが、1949年に「リズム&ブルース」という名前で呼ばれるようなった。このリズム&ブルースに注目した白人音楽家がそれを真似て、ロックン・ロールというものを生み出し、これが世界的にヒットするようになったのである。

レース・ミュージックはリズム&ブルース(R&B)、さらには、ソウル・ミュージック、ブラック・ミュージック、あるいは、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックなどと呼ばれるようになり、60年代、70年代以降に一大勢力になっていくのである。60年代以降には、これとはまた別の音楽である、ジャズの要素が加わったソウル、ブラック・ミュージックも誕生するようになる。また、70年代には、ディスコの影響を受けたブラック・ミュージック、あるいは、ロックや、他の第三世界のいわゆるワールド・ミュージックなどの影響を受けたブラック・ミュージックも登場してくる。

そして、このリズム&ブルース(R&B)、ブラック・ミュージック、ソウル・ミュージックの世界で、様々な分派、あるいはジャンルが生まれている。それは地域的な要因や、音楽的要因だったりと様々な要因が考えられる。

ソウルの場合、とても地域性の特徴に富んでいるところが、他の音楽との大きな違いだ。デトロイトから出たモータウン・サウンド、シカゴから出たシカゴ・サウンド、メンフィスのメンフィス・サウンド、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンド、ニューオーリンズにも特徴的なサウンドがあります。ニューヨーク・サウンドもありますし、また、あまり特徴的ではありませんが、ロサンジェルスのサウンドもあります。

そして、音楽的要素で言えば、ファンク、スイートソウル、ヴォーカル・グループ、正統派ソロシンガー、アカペラ、ドゥワップ、セルフコンテインド・グループ(自分達で歌を書き、演奏し、歌う、すべてを自給自足でまかなうグループのこと)、ここ20年はヒップホップなどいくつものジャンルがでてきている。

こうしたものが複雑にからみあって、ブラック・ミュージックが形成されているが、ブラック・ミュージックの枠組みはかなり広いものになる。そして、そこには虹のごとく七色の、いやそれ以上の輝きを持っている。

Louisiana Blues - The Best Louisiana Sounds

ブルースはミシシッピーが発祥地とされているが、これは1903年、ミシシッピ州のデルタ地帯を旅行中だったW.C.ハンディが同州タトワイラーで、ブルースの生演奏に遭遇。この後、彼によってブルースは広く知らしめられることになったという逸話からである。

実際にはアメリカの深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽であり、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものだろう。

ルイジアナブルースは、西隣テキサスとは異なり湿りっ気があり、東隣ミシシッピーほどラフさはなく、丸くてユルいのが特徴です。

ゴスペル「Oh Happy Day」M.A.J.2008 Mass Choir

奴隷としてアメリカ大陸に連行されたアフリカ人は彼ら独自の言語・宗教などをいっさい剥奪された。その苦しい状況下で、彼らのうちのある人々は、救いを与えるゴスペル(福音)と出会い、キリスト教への改宗を経て、神に彼ら独自の賛美をささげるようになった。こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、ブルー・ノート・スケールや口承の伝統などとヨーロッパ賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合してスピリチュアル(黒人霊歌 negro spiritual とも言う)という現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれた。後年になってジャズやロックなど様々なジャンルと結びついてその音楽性は今も進化し続けている。

キリスト教会でもこれを用いる教会と用いない教会があるが、特に青少年のための礼拝にはバンドまで繰り出して盛んに使われ、ローマ・カトリック教会でも事実上若い信者の獲得のために公認している。

「Oh Happy Day」はゴスペルの代表中の代表曲である。

Chuck Berry - Johnny B. Goode (Live 1958)

この動画のチャック・ベリーは、かのロックンローラー内田裕也が「ロックンロールの神様だ」言ってましたね。しかしつい最近の2017年3月18日に亡くなったとニュースで言ってました。

「フィラデルフィア・ソウル」隆盛の前夜

「フィラデルフィア・ソウル」を説明する前に、「フィラデルフィア・ソウル」隆盛の前夜とも言うべき時代があったことを言及しようと思う。それが1950年代から1960年代初期までの間、このフィラデルフィアという土地が、「音楽都市」として大きな注目を集めることになったことだ。

その大きな要因が、テレビ音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』であった。これは、そのときのヒット曲をかけ、一般試聴者がそれにあわせて踊るところを見せる、というシンプルな番組だった。これが、1952年9月から始まり、1989年9月まで続くことになります。この収録スタジオがフィラデルフィアにあり、当初はローカル番組でしたが、1957年10月から全米にネットワークされることになり、これを機に番組の人気が一挙に爆発する。多くのアーティストが出演するために、多くの若者がフィラデルフィアに集まった。また、ロックンロールの登場とともに大変人気が高くなったが、当然地元フィラデルフィア出身のアーティストは、こぞってこの番組に出ようとしたので、街自体が音楽で盛り上がり始めるようになった。後に1970年代に登場する『ソウル・トレイン』のプロトタイプとなったのが、この『アメリカン・バンドスタンド』です。

この番組からは、多くのヒットが生まれたが、その多くは白人のヒットだった。また、フィラデルフィアにも多くのインディ・レーベルが生まれた。キャメオ/パークウェイ、ジェイミー・ガイデン、フィラ・オブ・ソウルなどなどだ。

そんなインディ・レーベルのキャメオ/パークウェイから、チャビー・チェッカーという黒人シンガーの「ツイスト」という曲がヒットする。これは、当時ヒットしていた「ツイスト」というダンスについて歌ったもので、その「ツイスト」用の曲として1960年8月から大ヒット、全米ナンバー1を記録した。

これは、70年代のいわゆる「フィラデルフィア・ソウル」のジャンルには入らないが、「フィラデルフィア・ソウル」の前夜の動きとして、頭の片隅にいれておいてもよいであろう。

では、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンドとは?

フィラデルフィア(フィリー)・ソウル(Philadelphia (or Philly) soul)は'70年代前半に一世を風靡したフィラデルフィア発のソウルミュージックの一形態である。作品の大半がシグマ・スタジオで制作されたことによりシグマ・サウンドとも言われる。弦楽器演奏を加え華麗で柔らかく甘めのサウンドからスウィート・フィリーとも呼ばれた。それまでのソウル、R&Bをより洗練された都会的雰囲気と聴きやすさを訴求した形に変貌させた。

ロックンロールが隆盛下のフィラデルフィアでは、黒人人口が多い割にはソウル・ミュージックは栄えず、アイドル歌手等による白人のポップ・ミュージックがヒットしていた。

レーベルに関しても、1950年代後半から1960年代前半にかけて、フィラデルフィアで唯一のレーベルであったキャメオ・パークウェイが取り扱っていたのはボビー・ライデルらによるアイドル歌手や、流行性のダンス・ミュージックであり、白人受けしたものであったが、このレーベルも1968年には倒産する。
このレーベルに替わり、フィリー・サウンドを作ったのが、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)である。このレーベルは、1971年にケニス・ギャンブルとリオン・ハフによるプロダクション・チーム「ギャンブル&ハフ」より設立され、コロムビア・レコードと配給の契約をした。

フィラデルフィア・ソウルを代表する多才なミュージシャンたち

本格的にヒットが出始めた1972年頃から、ソングライター・アレンジャー・レコードプロデューサーに就任したトム・ベルはスタイリスティックスで次々とヒットを出し、さらに、スピナーズでもヒットを量産します。ギャンブル&ハフは、1971年にフィラデルフィア・インターナショナル・レコードがスタートしてから、1972年にオージェイズの「裏切り者のテーマ(Back Stabbers)」、ビリー・ポールの「ミー&ミセス・ジョーンズ」、ハロルド・メルヴィン&ブルーノーツの「イフ・ユー・ドント・ノウ・ミー・バイ・ナウ(二人の絆)」などのミリオン・ヒットで、一挙に爆発。「フィラデルフィア・ソウル」がアメリカ音楽業界の中でも、もっとも注目される現象となりました。

また、日本に関して言えば、フィラデルフィア・ソウルで一番人気のスリー・ディグリーズなどは、日本でも大きな人気を獲得、日本語の楽曲などもレコーディングしました。これらのフィリー・ソウルの大ブームを受けて、日本の歌謡曲界でも、このフィリー・ソウルの影響を受けた作品も出ました。

こうして、フィラデルフィア・ソウルに注目が集まり、いわゆる白人のロック・アーティストなどもこの地を訪れ、そのサウンドを取り入れようとしました。エルトン・ジョン、デイヴィッド・ボウイなどがその例です。特にデイヴィッド・ボウイの1974年の『ヤング・アメリカン』、エルトン・ジョンの『トム・ベル・セッション』などは、話題になりました。

裏切り者のテーマ - オージェイズ

目を閉じて聞いていると昔のディスコの雰囲気が蘇ってくるようで、思わずウオッテントドウ❗の振りをしていました!!!

Billy Paul - Me And Mrs. Jones (1972)

出た~!! チークの定番!!!

誓い  スタイリスティックス

ディスコの最後でチークタイムによくかかっていました。当時の彼女のことまで頭によぎってしまいました。

If You Don't Know Me By Now - Harold Melvin & The Blue Notes

チーク3蓮ちゃん!! さすがに踊っているとつけれました!!!

The Spinners Working My Way Back To You Girl

ディスコでそろって団体ダンス!! よくやったな~!!

-The Three Degrees- -When I will see you again-

日本語題名は”天使のささやき”でした。私は当時、英語辞書片手に和訳した覚えがあり、失恋の歌じゃないかということは判りました。
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