”ソウル・ミュージック”とは??
黒人による、黒人のために、作っている黒人の大衆音楽を総称して、”ブラック・ミュージック”とするならば、それは、時代によって色々その呼び名を変えてきている。
17世紀にアメリカに宣教徒がやってきて、また、アフリカから奴隷が連れて来られて、ゴスペルとブルースという音楽形態ができる下地ができた。
ゴスペルは教会音楽、ブルースは日々の生活を歌った日常音楽である。これらの音楽は、それぞれに発展してきたが、20世紀に入って、微妙に混ざり合うようになる。
そして、1940年代までに、ブルースとゴスペルを合わせ、しかも、強いビートを持った黒人の音楽が誕生している。その音楽は、当初はレース・ミュージックと言われていたが、1949年に「リズム&ブルース」という名前で呼ばれるようなった。このリズム&ブルースに注目した白人音楽家がそれを真似て、ロックン・ロールというものを生み出し、これが世界的にヒットするようになったのである。
レース・ミュージックはリズム&ブルース(R&B)、さらには、ソウル・ミュージック、ブラック・ミュージック、あるいは、ブラック・コンテンポラリー・ミュージックなどと呼ばれるようになり、60年代、70年代以降に一大勢力になっていくのである。60年代以降には、これとはまた別の音楽である、ジャズの要素が加わったソウル、ブラック・ミュージックも誕生するようになる。また、70年代には、ディスコの影響を受けたブラック・ミュージック、あるいは、ロックや、他の第三世界のいわゆるワールド・ミュージックなどの影響を受けたブラック・ミュージックも登場してくる。
そして、このリズム&ブルース(R&B)、ブラック・ミュージック、ソウル・ミュージックの世界で、様々な分派、あるいはジャンルが生まれている。それは地域的な要因や、音楽的要因だったりと様々な要因が考えられる。
ソウルの場合、とても地域性の特徴に富んでいるところが、他の音楽との大きな違いだ。デトロイトから出たモータウン・サウンド、シカゴから出たシカゴ・サウンド、メンフィスのメンフィス・サウンド、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンド、ニューオーリンズにも特徴的なサウンドがあります。ニューヨーク・サウンドもありますし、また、あまり特徴的ではありませんが、ロサンジェルスのサウンドもあります。
そして、音楽的要素で言えば、ファンク、スイートソウル、ヴォーカル・グループ、正統派ソロシンガー、アカペラ、ドゥワップ、セルフコンテインド・グループ(自分達で歌を書き、演奏し、歌う、すべてを自給自足でまかなうグループのこと)、ここ20年はヒップホップなどいくつものジャンルがでてきている。
こうしたものが複雑にからみあって、ブラック・ミュージックが形成されているが、ブラック・ミュージックの枠組みはかなり広いものになる。そして、そこには虹のごとく七色の、いやそれ以上の輝きを持っている。
Louisiana Blues - The Best Louisiana Sounds
ゴスペル「Oh Happy Day」M.A.J.2008 Mass Choir
キリスト教会でもこれを用いる教会と用いない教会があるが、特に青少年のための礼拝にはバンドまで繰り出して盛んに使われ、ローマ・カトリック教会でも事実上若い信者の獲得のために公認している。
「Oh Happy Day」はゴスペルの代表中の代表曲である。
Chuck Berry - Johnny B. Goode (Live 1958)
「フィラデルフィア・ソウル」隆盛の前夜
その大きな要因が、テレビ音楽番組『アメリカン・バンドスタンド』であった。これは、そのときのヒット曲をかけ、一般試聴者がそれにあわせて踊るところを見せる、というシンプルな番組だった。これが、1952年9月から始まり、1989年9月まで続くことになります。この収録スタジオがフィラデルフィアにあり、当初はローカル番組でしたが、1957年10月から全米にネットワークされることになり、これを機に番組の人気が一挙に爆発する。多くのアーティストが出演するために、多くの若者がフィラデルフィアに集まった。また、ロックンロールの登場とともに大変人気が高くなったが、当然地元フィラデルフィア出身のアーティストは、こぞってこの番組に出ようとしたので、街自体が音楽で盛り上がり始めるようになった。後に1970年代に登場する『ソウル・トレイン』のプロトタイプとなったのが、この『アメリカン・バンドスタンド』です。
この番組からは、多くのヒットが生まれたが、その多くは白人のヒットだった。また、フィラデルフィアにも多くのインディ・レーベルが生まれた。キャメオ/パークウェイ、ジェイミー・ガイデン、フィラ・オブ・ソウルなどなどだ。
そんなインディ・レーベルのキャメオ/パークウェイから、チャビー・チェッカーという黒人シンガーの「ツイスト」という曲がヒットする。これは、当時ヒットしていた「ツイスト」というダンスについて歌ったもので、その「ツイスト」用の曲として1960年8月から大ヒット、全米ナンバー1を記録した。
これは、70年代のいわゆる「フィラデルフィア・ソウル」のジャンルには入らないが、「フィラデルフィア・ソウル」の前夜の動きとして、頭の片隅にいれておいてもよいであろう。
American Bandstand -- Doing The South Street and more.... - YouTube
現在のモダンダンス原点は60年代初めに流行ったツイストだった!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
では、70年代一世を風靡したフィラデルフィア・サウンドとは?
ロックンロールが隆盛下のフィラデルフィアでは、黒人人口が多い割にはソウル・ミュージックは栄えず、アイドル歌手等による白人のポップ・ミュージックがヒットしていた。
レーベルに関しても、1950年代後半から1960年代前半にかけて、フィラデルフィアで唯一のレーベルであったキャメオ・パークウェイが取り扱っていたのはボビー・ライデルらによるアイドル歌手や、流行性のダンス・ミュージックであり、白人受けしたものであったが、このレーベルも1968年には倒産する。
このレーベルに替わり、フィリー・サウンドを作ったのが、フィラデルフィア・インターナショナル・レコード(PIR)である。このレーベルは、1971年にケニス・ギャンブルとリオン・ハフによるプロダクション・チーム「ギャンブル&ハフ」より設立され、コロムビア・レコードと配給の契約をした。
フィラデルフィア・ソウルを代表する多才なミュージシャンたち
また、日本に関して言えば、フィラデルフィア・ソウルで一番人気のスリー・ディグリーズなどは、日本でも大きな人気を獲得、日本語の楽曲などもレコーディングしました。これらのフィリー・ソウルの大ブームを受けて、日本の歌謡曲界でも、このフィリー・ソウルの影響を受けた作品も出ました。
こうして、フィラデルフィア・ソウルに注目が集まり、いわゆる白人のロック・アーティストなどもこの地を訪れ、そのサウンドを取り入れようとしました。エルトン・ジョン、デイヴィッド・ボウイなどがその例です。特にデイヴィッド・ボウイの1974年の『ヤング・アメリカン』、エルトン・ジョンの『トム・ベル・セッション』などは、話題になりました。
実際にはアメリカの深南部でアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽であり、またはその楽式。19世紀後半頃に米国深南部で黒人霊歌、フィールドハラー(労働歌)などから発展したものだろう。
ルイジアナブルースは、西隣テキサスとは異なり湿りっ気があり、東隣ミシシッピーほどラフさはなく、丸くてユルいのが特徴です。