【芳村真理】女優としてだけではなく女性司会者としても活躍した草分け的な存在!
2020年8月19日 更新

【芳村真理】女優としてだけではなく女性司会者としても活躍した草分け的な存在!

グラマラスな体つきに加えて、日本人離れした美貌をもつ女優として活躍された芳村真理さん。司会をするようになると、それまでにない個性が多くの視聴者から支持されました。女性司会者として草分け的な存在の芳村真理さんに注目して、プロフィールや経歴・出演作品をまとめましたので、ぜひ記事をご覧になってください。

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くノ一忍者が帯をも解き、裸体を武器にした忍法で、襲い来る男忍者を溺れさせていくセックス忍法合戦!
(中略)
くノ一忍者が自らの裸体を武器にした忍法を駆使し、襲い来る男忍者を溺れさせていく様を描いた痛快エロス時代劇。大坂城落城が迫る中、真田幸村は豊臣家の血筋を保つために5人の女忍者に秀頼の胤を身籠らせる。“<東映 ザ・定番>シリーズ”。
レギュラー番組

『奥様スタジオ・小川宏ショー』

出演時期:1966~1968年
放送局 :フジテレビ系列

概要&内容

当初は主だったコーナーはなく、ニュースや電話による相談コーナー、それに、「子どもの広場」のコーナーで、構成されていたが、番組開始から2年間、視聴率は劣勢が続いていた。そこで、企画検討の結果、「個性ある番組作り」を行うため、「曜日ごとのテーマ」の企画に方針を一新した。その中で、スタート2年目の秋よりスタートした「初恋談義」が話題となり、以後、「ご存知ですかこの人を」、「金曜編集室」、「私のふるさと」、「いたずら談義」等のトークコーナーを中心としたサロントーク型ワイドショーとして人気を博す一方、アシスタント役の露木茂が話題の事件・事象を独自に徹底取材する「露木レポート」や生放送の利点を生かした現場中継の多用によりニュースショーとしても高い定評を獲得。

『夜のヒットスタジオ』

出演時期:1968~1988年
放送局 :フジテレビ系列

概要&内容

1970年代前半までは「歌謡バラエティ」番組として、1976年4月からは、アイドル歌手・演歌歌手からテレビ出演に消極的であったニューミュージック・ロック系アーティスト、人気俳優、海外のアーティスト、歌なしのフュージョンバンドなどを出演させた。生演奏・フルコーラスを番組制作の基本とした。『ザ・ベストテン』(TBS系)・『NTV紅白歌のベストテン→ザ・トップテン→歌のトップテン』と続く『トップテンシリーズ』(日本テレビ系列)と共に、1970・1980年代の代表的音楽テレビ番組のひとつ。

『奥様スタジオ・3時のあなた』

放送時期:フジテレビ系列
放送局 :1970~1974年

概要&内容

月曜日から金曜日の15時台に初めて投入された本格的なワイドショー番組である。この時間帯にワイドショー番組が設置されるに至ったのは、主なターゲットである主婦層にとって、ちょうどこの15時から16時あたりが家事を一休みする時間帯であることを見込んでのものだった。

『お料理天国』

放送時期:TBS系列
放送局 :1975~1992年

概要&内容

当時話題のニュースや流行・世相などをテーマにした新種の料理バラエティーという触れ込みの下、1975年秋より関東ローカルの番組としてスタート(その後、1976年より全国ネット番組に昇格)。当時歌番組の司会などで活動していた芳村真理を総合司会に、進行アシスタントとしてやすし・きよしの西川きよしを起用してスタート。初期レギュラーとして久米宏(当時TBSアナウンサー)、藤村俊二、松岡きっこらが出演。料理監修は大阪あべの辻調理師専門学校が全面協力する形となった。

最近の芳村真理さんの活動ぶり

芳村真理さんは、2000年代後半からテレビ出演する機会を年に数回のペースまで落としており、1年のほとんどを森林育成や環境保護といった活動のために海外や地方で過ごす時間に当てていると言います。2014年に行なった定期検診では動脈瘤が見つかりましたが、早期発見だったことが功を奏して大事には至っていません。
最近の芳村真理さんの活動を追ってみると、夫の大伴昭さんは痴呆症になってしまっており、長年に渡って献身的に介護されていたそうです。長年連れ添った大伴昭さんも2018年に亡くなってしまい、悲しい別れを経験されました。
そんな芳村真理さんですが、気落ちすることなく、2020年には生島ヒロシさんが設立したことで知られている芸能プロダクション『生島企画室』に入ったという情報をキャッチしました。
詳細が記載された記事へのリンクを紹介しておきますね。
まだまだ新しいことに前向きに挑戦しようとしている姿は、我々、ミドルエッジの世代にも刺激されるものがありますよね。これからも元気に活躍される芳村真理さん。ファンとして、その姿をずっと応援していきたいと思います。
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